一太郎ファイルの復刻。このうちの何本かは『解読現代短歌』に収録したが、「ギンスター通信」とともにオウム事件について言及した文章が時代を感じさせる。
されど日常
近刊のいくつかの歌集を素材として、思いつくままに書いて見ようと思う。
十日分の食品トレイを落とし込み獣の檻のごとく蓋をす
飯沼鮎子
歌集『サンセットレッスン』から。近年は環境への配慮の意識が高まったこともあって、スーパーマーケットの入り口などに食品トレイの回収箱が設置されることが普通になってきた。何でもない日常生活の一齣であるが、「獣の檻のごとく蓋をす」と言うことによって作者が心のうちに抑えこんでいる何かが伝わる。「十日分の食品トレイ」とともに、私は日々に堆積してゆく澱んだ気分を捨て去る。でも、その行為には同時にうしろめたさのようなものがつきまとっている。平凡な日々の生活は、それが平凡であるということの罪深さをともなうものだ。人間が生きるというのは、どうしてもそういうことなのである。
感情を逃れゆくこと味のない水をあなたと飲むということ
夫も子供もいて自分も塾の講師として働いている。そういう生活の中で、自分自身の「感情を逃れゆくこと」が必要になるような局面がある。決してお互いに言ってはならないし、考えていることが悟られてもならないような思い。「味のない水」は生活だ。それは守られなければならない。でも、
精神の罅とあなたは言うけれど或る日真水が沁みだしてくる
この「真水」は偽らざる本当の気持、というようなものでもあるし、本然の自由への願いと言ってもいいものである。
スイッチをだれかがオフにしたようにふいにたばこが光うしなう
北村望
歌集『ブルーグラデーション』から。ここには、ほとんど作者自身の感想がのべられていない。けれども、「スイッチをだれかがオフにしたように」という散文的で平凡な直喩が、思いのほかに効いている。一首は、唐突に減衰してゆく火への注視を通して、生気を失った日常の空しい感覚を何程かはつかみ出しているのだ。
一ミリにも満たぬ瞳がきらきらと水の中からわれを見つめる
地味な歌だが、かすかな内面の充実感のようなものと、一人だけでいることの閉塞された感じが同時に伝わって来る。
羊歯のように生きてゆかねばならぬことに気づくのが少し遅すぎたようだ
全体に淡い印象の作品が多いが、日々壁のようなものにぶつかりながら真摯に生きる姿は、一冊の歌集を通して十分に伝わってくる。
キャリアとは無理難題を投げぬことおしくらまんじゅう押されて泣くな
藤井靖子
発言をするたび「鉄の女」とあだ名をくれる男等がいる
「ええやろ」で閉じられそうな会議ゆえ序列を乱し発言をせり
歌集『曇り日のランナー』から。歯切れがいいことばづかいで、新米の医師が職業人として成長し自立してゆく過程がうたわれている。男性主導の気風を色濃く残している男たちに、作者は真っ向から立ち向かっている。一首めの「おしくらまんじゅう押されて泣くな」には、仕事にかける意地のようなものがこめられている。二首めは、会議で女性が堂々と発言することを冷やかす男たちの姿を描き、三首めは事なかれ主義への抵抗を示すものだ。意見に男と女の区別などあるものか。 短歌は、日々の界面に打ち込む杭である。
(「白夜」)
新しさと昔のモデル
静かなるメーデーの日よ故里の樹木は沁むるごとく緑す
雪冠ややきらめきてマグノリアのすべてのつぼみ天に向きおり
これは星河安友子歌集『青葦のパレット』(一九七七年刊)に収められている作品である。時を越えて読み手のこころをゆさぶる、詩の魂のようなものがここにはある。一首め、一九五〇年代の匂いがする、どこかなつかしい作品。二首めの初出は『未来』一九五八年五月号。清潔な抒情は、類を見ない。花芽が暗示するものは生硬でストイックな青春の姿でありながら、全体のイメージは華麗でおしゃれだ。一冊しかないという歌集を著者に借りて送ってもらった時に、添えられた手紙の中に次のような文面があった。
「今、若い皆様が、実験作品を発表されています。どれもオリジナルだと御自分は思っていらっしやると思います。すべてとは申しませんが、私はそこに昔のモデルを見るのです。歌人には歌人のことばの好みがあり、かつて私が選んだ言葉、それが長い時を経て又使われています。もちろん、その間に高齢化・高学歴化により現在の作品は熟し洗練されています。が、私には新しいと感じるより懐かしく思われ『私作ったことがあったわ…』と言に出てしまうわけです。」
星河さんには、このことばを発する資格があると私は思うし、それは『青葦のパレット』一巻を見ればわかることである。今日の新人が、少し長い時間の流れの中に置いて見た時に、前の世代と同じことをやっているだけだという批評は、なかなか辛口で痛快ではないか。後からやって来た作者たちは、先行世代の作品をもっと虚心に読まなくてはならない、と思う。また、にもかかわらず、新しさはさらにいっそう求め続けられなければならないとも思う。
しかしそのためには、かつての名歌集の復刻や再発掘がもっともっと必要であると私は思うものだ。 (「短歌往来」一九九四年八月号)
道浦母都子歌集『夕駅』紹介
集中には一部で議論になった〈世界より私が大事〉の歌も収められている。九〇年代は著者にとってどういうものだったのか。「朝日新聞」の書評欄、NHKのテレビ番組への出演など公的な活動が増す一方で、作者の「孤心」は深まりを見せて行っているように思われる。吐息のようにもらされた歌の数々は、限りないいつくしみに満ちて、記憶の中の刺を包み込もうとするかのようだ。然り。これは真正の「をんなうた」にちがいない。
しじゆう
投げ出してしまえばよきに四十代疲れ世代の人恋いごころ
※「四十」に「しじゆう」と振り仮名。
この国に死刑あること私刑裁くために死刑に処すということ
うたは慰謝 うたは解放 うたは願望 寂しこの世にうたよむことも
※「願望」に「ゆめ」と振り仮名。
生と死の汽水のごとし雨の後の無風時間の河口に立てば
煙り雨しずかに森を潤せる夕べとなりて一人が沁みる
(「未来」)
「武器の歌」一首
謀略にむかうこころをとどめえぬゆうベ釘箱に華やぐ釘ら
伊藤一彦 歌集『瞑鳥記』より。
人のこころの中には、自分でもどうしようもない暗がりがある。それをこの歌では「謀略にむかうこころ」と言ってみた。何があったかはわからない。騒ぎたつ思い、めちゃめちゃに走り出そうとする不毛な思考に苦しめられた経験は、誰にでもあるだろう。
東京の地下鉄サリン事件や、四月十九日に横浜駅で起きた異臭さわぎにおののきながら、何冊か歌集をひっくり返して見ているうちにこの歌が目にとまった。こじつけのようだが、謀略もまた、現代の武器の一つではないか。
さらに、釘は、生産と堅実な構築の道具であるとともに、誤ればぐさぐさと敵なるものの背中に刺さりかねない狂暴な情動そのものの喩である。しかし一歩踏みとどまってみれば、あからひく日に染まりながら木箱の中で静かな重みをたたえている釘は、内なる焦慮を浮き上がらせないための重しともなるのだ。物は、固い質実をさらしながら、激しく何かを拒み耐えている作者の姿をうつしだす。それは著名な.一首、
男ありゆうベのやみのふかみにて怒れるごとく青竹洗う
の「竹」にしても同様である。ある時期、成就してはならない殺意の一点に向かってせりあがりつつ緊張を持続している精神というものはたしかに在った。伊藤一彦の作品によってもそれを知ることができる。 (「未来」一九九五年八月号)
松田みさ子著『青あらし』を読んで 戦後的な経験の原点から
本書は三部構成で、Ⅰ章とⅡ章に自伝的な文章を、Ⅲ章に旅行記や出会った人々の思い出などの各種の随想を収めている。中でも、Ⅰ・Ⅱ章のおもしろさは格別であり、テンポがよくて歯切れのいい語り口に、知らず知らずのうちに引き込まれて、一気に読み進んでしまう。
初恋の人の結核による病死から始まって、その生い立ちと郷里美川村からの出立、戦後四年目の全造船玉野分会での解放感あふれるいきいきとした賃金闘争、夫の解雇処分による転職とその後の離婚、女手ひとつでの子育て、東京に移住して順天堂大学病院に就職し、そこで労組副委員長になったこと、戦後の看護婦の人間回復の闘いとも言うべき病院闘争にかかわったための馘首処分、その処分撤回を求めての十五年に及ぶ裁判闘争、闘争による組合の借金を完済するまでの行商の日々、裁判にまつわるエピソードの数々、とこう書き出してみるだけでも、実にドラマチックな経歴の持ち主であり、その疾風怒濤の人生絵巻に、ただただ目を見張るばかりである。誇らずおごらず、あくまでも謙虚でありながら、強い生活意志をもって困難な闘いの日々を十全に生き抜いた、地味だけれども晴れやかな人生の軌跡がここにはある。
序文において筆者は、大学病院ストとその後の裁判闘争に触れて、「造船所での時と同じように、思想がどうというより、なにかこの社会の、もやもやしたもの、不正義、人をねじまげるものに立ち向かう年月であった。」とのべているが、著者の一本筋が通った生き方は、この一行に集約されていると言えるだろう。「はじめてのストライキ」の章のおしまいの方にも、次のような言葉が見える。
「共に闘った多くの人々が失ったものは何だったか、得たものは何だったか。私自身について言 うならば、失ったものは生活手段であり、糧である。得たものは計りしれないくらい大きかった。 一口でいうなら、生きるとはどういうことか、ということであった。ようやく人間になった気が したことである。」
何という感動的な、心を打つ言葉だろう。これは、戦後の「自由」と「人間解放」にかかわる貴重な歴史的証言と言えるのではないだろうか。
さて、Ⅰ・Ⅱ章を今あらためて読み返しながら気がつくことは、各小節の枕に必ず一首の歌が掲げられていることである。短歌には、散文とは別の語気がこもっており、たとえば、
うち深く溜める泪を鞭として檄を書きつぐ指萎ゆるまで
という、「病院スト」の章の冒頭に見える一九六〇年の一首など、「うち深く溜める泪を鞭として」という硬質で引き締まった修辞には、この当時の新しい短歌と共通した要素が感じられ、しかも、実際の労働争議の前線において、このような作品が生み出されていたということが私には興味深い。散文のざっくばらんな語り口だけではなく、よく選び出された一首一首の歌の気息に注意して読んでみると、著者のまっしぐらな生き方を支えたものが、ほかならぬ短歌だったのだということがよく了解できる。そして、師の渡辺順三をはじめとする「人民短歌」の人々との出会いが持つ格別な意義も、Ⅲ章以下を読むうちに見当がついてくる。付録の章におさめられた「プロレタリア歌人のこと」という短文には、小名木綱夫の絶詠、
賃金のどれいならざる誇りもてはたらきしことわれは謝すべし
という極貧の中で屈しなかった人物の、誇りやかな一首が引かれている。こういう人間的な高潔さは、かつての庶民の多くが持ち伝えていた美徳であった。さらに、本書のあちこちに散見する、性にまつわるユーモラスで自然な語り口は、本書の内容を明るくしている。「奇才の人」の一文における、赤木健介老の朝床のエピソードなど、凡百の人であったらとても書けるものではないだろう。「蛇寺」の随筆にしても、その根底に流れているのは女人のエロスである。
このよどんだような世紀末に、本書を通して、貧しかったけれども誇りやかだった戦後的な経験の原点をふりかえってみることは、意義あることにちがいない。
(「多摩歌人」?年?号)
小高賢著『宮柊二とその時代』 核心を突いた作家論
宮柊二という歌人には、わかりにくい部分がある。それは、師の北原白秋との関係の中で、ほかならぬ白秋に「君の歌は瘤の樹をさするやうだ」と最初に言われたものである。なぜ彼は白秋のもとを去り、さらに幹部候補生への任官をこばんだのか。何が戦後の宮柊二に「恥」の意識を起こさせたのか。なぜ、戦後になって「孤独」を思想にまで高めた歌人が、歌壇ジャーナリズムの上で活躍し、結社経営に情熱をそそぐようになったのか…。著者はこれらの大きな論点に一つずつぶつかって行く。わかりやすい言葉で、時代状況と作家の中の芯のような部分との対応を、的確に描き出して行く。
歌集『群鶏』の章では、「悲歌」によって精神的な成人式を経てから、「群鶏」の一連で白秋から自立する姿を描出する。戦争への対処のしかたと『山西省』における文学的真実の構成をたどったのち、戦後の宮の『小紺珠』以降の三歌集については、「一兵士が戦後を生きていたのだ」というようにとらえてゆく。「孤独派宣言」の「一市民」は、シチズン(市民)と言うよりもソルジャー(軍人)というように理解した方がいいという解説は、納得させられるものがある。本当に宮に新しい時代が訪れたのは、『多く夜の歌』の新聞の選歌を引き受けた時期であったと概観する。
本書において著者は、率直で自己客観視をともなった語り口によって、強い説得力のある文体を生み出した。
(「短歌新聞」)
されど日常
近刊のいくつかの歌集を素材として、思いつくままに書いて見ようと思う。
十日分の食品トレイを落とし込み獣の檻のごとく蓋をす
飯沼鮎子
歌集『サンセットレッスン』から。近年は環境への配慮の意識が高まったこともあって、スーパーマーケットの入り口などに食品トレイの回収箱が設置されることが普通になってきた。何でもない日常生活の一齣であるが、「獣の檻のごとく蓋をす」と言うことによって作者が心のうちに抑えこんでいる何かが伝わる。「十日分の食品トレイ」とともに、私は日々に堆積してゆく澱んだ気分を捨て去る。でも、その行為には同時にうしろめたさのようなものがつきまとっている。平凡な日々の生活は、それが平凡であるということの罪深さをともなうものだ。人間が生きるというのは、どうしてもそういうことなのである。
感情を逃れゆくこと味のない水をあなたと飲むということ
夫も子供もいて自分も塾の講師として働いている。そういう生活の中で、自分自身の「感情を逃れゆくこと」が必要になるような局面がある。決してお互いに言ってはならないし、考えていることが悟られてもならないような思い。「味のない水」は生活だ。それは守られなければならない。でも、
精神の罅とあなたは言うけれど或る日真水が沁みだしてくる
この「真水」は偽らざる本当の気持、というようなものでもあるし、本然の自由への願いと言ってもいいものである。
スイッチをだれかがオフにしたようにふいにたばこが光うしなう
北村望
歌集『ブルーグラデーション』から。ここには、ほとんど作者自身の感想がのべられていない。けれども、「スイッチをだれかがオフにしたように」という散文的で平凡な直喩が、思いのほかに効いている。一首は、唐突に減衰してゆく火への注視を通して、生気を失った日常の空しい感覚を何程かはつかみ出しているのだ。
一ミリにも満たぬ瞳がきらきらと水の中からわれを見つめる
地味な歌だが、かすかな内面の充実感のようなものと、一人だけでいることの閉塞された感じが同時に伝わって来る。
羊歯のように生きてゆかねばならぬことに気づくのが少し遅すぎたようだ
全体に淡い印象の作品が多いが、日々壁のようなものにぶつかりながら真摯に生きる姿は、一冊の歌集を通して十分に伝わってくる。
キャリアとは無理難題を投げぬことおしくらまんじゅう押されて泣くな
藤井靖子
発言をするたび「鉄の女」とあだ名をくれる男等がいる
「ええやろ」で閉じられそうな会議ゆえ序列を乱し発言をせり
歌集『曇り日のランナー』から。歯切れがいいことばづかいで、新米の医師が職業人として成長し自立してゆく過程がうたわれている。男性主導の気風を色濃く残している男たちに、作者は真っ向から立ち向かっている。一首めの「おしくらまんじゅう押されて泣くな」には、仕事にかける意地のようなものがこめられている。二首めは、会議で女性が堂々と発言することを冷やかす男たちの姿を描き、三首めは事なかれ主義への抵抗を示すものだ。意見に男と女の区別などあるものか。 短歌は、日々の界面に打ち込む杭である。
(「白夜」)
新しさと昔のモデル
静かなるメーデーの日よ故里の樹木は沁むるごとく緑す
雪冠ややきらめきてマグノリアのすべてのつぼみ天に向きおり
これは星河安友子歌集『青葦のパレット』(一九七七年刊)に収められている作品である。時を越えて読み手のこころをゆさぶる、詩の魂のようなものがここにはある。一首め、一九五〇年代の匂いがする、どこかなつかしい作品。二首めの初出は『未来』一九五八年五月号。清潔な抒情は、類を見ない。花芽が暗示するものは生硬でストイックな青春の姿でありながら、全体のイメージは華麗でおしゃれだ。一冊しかないという歌集を著者に借りて送ってもらった時に、添えられた手紙の中に次のような文面があった。
「今、若い皆様が、実験作品を発表されています。どれもオリジナルだと御自分は思っていらっしやると思います。すべてとは申しませんが、私はそこに昔のモデルを見るのです。歌人には歌人のことばの好みがあり、かつて私が選んだ言葉、それが長い時を経て又使われています。もちろん、その間に高齢化・高学歴化により現在の作品は熟し洗練されています。が、私には新しいと感じるより懐かしく思われ『私作ったことがあったわ…』と言に出てしまうわけです。」
星河さんには、このことばを発する資格があると私は思うし、それは『青葦のパレット』一巻を見ればわかることである。今日の新人が、少し長い時間の流れの中に置いて見た時に、前の世代と同じことをやっているだけだという批評は、なかなか辛口で痛快ではないか。後からやって来た作者たちは、先行世代の作品をもっと虚心に読まなくてはならない、と思う。また、にもかかわらず、新しさはさらにいっそう求め続けられなければならないとも思う。
しかしそのためには、かつての名歌集の復刻や再発掘がもっともっと必要であると私は思うものだ。 (「短歌往来」一九九四年八月号)
道浦母都子歌集『夕駅』紹介
集中には一部で議論になった〈世界より私が大事〉の歌も収められている。九〇年代は著者にとってどういうものだったのか。「朝日新聞」の書評欄、NHKのテレビ番組への出演など公的な活動が増す一方で、作者の「孤心」は深まりを見せて行っているように思われる。吐息のようにもらされた歌の数々は、限りないいつくしみに満ちて、記憶の中の刺を包み込もうとするかのようだ。然り。これは真正の「をんなうた」にちがいない。
しじゆう
投げ出してしまえばよきに四十代疲れ世代の人恋いごころ
※「四十」に「しじゆう」と振り仮名。
この国に死刑あること私刑裁くために死刑に処すということ
うたは慰謝 うたは解放 うたは願望 寂しこの世にうたよむことも
※「願望」に「ゆめ」と振り仮名。
生と死の汽水のごとし雨の後の無風時間の河口に立てば
煙り雨しずかに森を潤せる夕べとなりて一人が沁みる
(「未来」)
「武器の歌」一首
謀略にむかうこころをとどめえぬゆうベ釘箱に華やぐ釘ら
伊藤一彦 歌集『瞑鳥記』より。
人のこころの中には、自分でもどうしようもない暗がりがある。それをこの歌では「謀略にむかうこころ」と言ってみた。何があったかはわからない。騒ぎたつ思い、めちゃめちゃに走り出そうとする不毛な思考に苦しめられた経験は、誰にでもあるだろう。
東京の地下鉄サリン事件や、四月十九日に横浜駅で起きた異臭さわぎにおののきながら、何冊か歌集をひっくり返して見ているうちにこの歌が目にとまった。こじつけのようだが、謀略もまた、現代の武器の一つではないか。
さらに、釘は、生産と堅実な構築の道具であるとともに、誤ればぐさぐさと敵なるものの背中に刺さりかねない狂暴な情動そのものの喩である。しかし一歩踏みとどまってみれば、あからひく日に染まりながら木箱の中で静かな重みをたたえている釘は、内なる焦慮を浮き上がらせないための重しともなるのだ。物は、固い質実をさらしながら、激しく何かを拒み耐えている作者の姿をうつしだす。それは著名な.一首、
男ありゆうベのやみのふかみにて怒れるごとく青竹洗う
の「竹」にしても同様である。ある時期、成就してはならない殺意の一点に向かってせりあがりつつ緊張を持続している精神というものはたしかに在った。伊藤一彦の作品によってもそれを知ることができる。 (「未来」一九九五年八月号)
松田みさ子著『青あらし』を読んで 戦後的な経験の原点から
本書は三部構成で、Ⅰ章とⅡ章に自伝的な文章を、Ⅲ章に旅行記や出会った人々の思い出などの各種の随想を収めている。中でも、Ⅰ・Ⅱ章のおもしろさは格別であり、テンポがよくて歯切れのいい語り口に、知らず知らずのうちに引き込まれて、一気に読み進んでしまう。
初恋の人の結核による病死から始まって、その生い立ちと郷里美川村からの出立、戦後四年目の全造船玉野分会での解放感あふれるいきいきとした賃金闘争、夫の解雇処分による転職とその後の離婚、女手ひとつでの子育て、東京に移住して順天堂大学病院に就職し、そこで労組副委員長になったこと、戦後の看護婦の人間回復の闘いとも言うべき病院闘争にかかわったための馘首処分、その処分撤回を求めての十五年に及ぶ裁判闘争、闘争による組合の借金を完済するまでの行商の日々、裁判にまつわるエピソードの数々、とこう書き出してみるだけでも、実にドラマチックな経歴の持ち主であり、その疾風怒濤の人生絵巻に、ただただ目を見張るばかりである。誇らずおごらず、あくまでも謙虚でありながら、強い生活意志をもって困難な闘いの日々を十全に生き抜いた、地味だけれども晴れやかな人生の軌跡がここにはある。
序文において筆者は、大学病院ストとその後の裁判闘争に触れて、「造船所での時と同じように、思想がどうというより、なにかこの社会の、もやもやしたもの、不正義、人をねじまげるものに立ち向かう年月であった。」とのべているが、著者の一本筋が通った生き方は、この一行に集約されていると言えるだろう。「はじめてのストライキ」の章のおしまいの方にも、次のような言葉が見える。
「共に闘った多くの人々が失ったものは何だったか、得たものは何だったか。私自身について言 うならば、失ったものは生活手段であり、糧である。得たものは計りしれないくらい大きかった。 一口でいうなら、生きるとはどういうことか、ということであった。ようやく人間になった気が したことである。」
何という感動的な、心を打つ言葉だろう。これは、戦後の「自由」と「人間解放」にかかわる貴重な歴史的証言と言えるのではないだろうか。
さて、Ⅰ・Ⅱ章を今あらためて読み返しながら気がつくことは、各小節の枕に必ず一首の歌が掲げられていることである。短歌には、散文とは別の語気がこもっており、たとえば、
うち深く溜める泪を鞭として檄を書きつぐ指萎ゆるまで
という、「病院スト」の章の冒頭に見える一九六〇年の一首など、「うち深く溜める泪を鞭として」という硬質で引き締まった修辞には、この当時の新しい短歌と共通した要素が感じられ、しかも、実際の労働争議の前線において、このような作品が生み出されていたということが私には興味深い。散文のざっくばらんな語り口だけではなく、よく選び出された一首一首の歌の気息に注意して読んでみると、著者のまっしぐらな生き方を支えたものが、ほかならぬ短歌だったのだということがよく了解できる。そして、師の渡辺順三をはじめとする「人民短歌」の人々との出会いが持つ格別な意義も、Ⅲ章以下を読むうちに見当がついてくる。付録の章におさめられた「プロレタリア歌人のこと」という短文には、小名木綱夫の絶詠、
賃金のどれいならざる誇りもてはたらきしことわれは謝すべし
という極貧の中で屈しなかった人物の、誇りやかな一首が引かれている。こういう人間的な高潔さは、かつての庶民の多くが持ち伝えていた美徳であった。さらに、本書のあちこちに散見する、性にまつわるユーモラスで自然な語り口は、本書の内容を明るくしている。「奇才の人」の一文における、赤木健介老の朝床のエピソードなど、凡百の人であったらとても書けるものではないだろう。「蛇寺」の随筆にしても、その根底に流れているのは女人のエロスである。
このよどんだような世紀末に、本書を通して、貧しかったけれども誇りやかだった戦後的な経験の原点をふりかえってみることは、意義あることにちがいない。
(「多摩歌人」?年?号)
小高賢著『宮柊二とその時代』 核心を突いた作家論
宮柊二という歌人には、わかりにくい部分がある。それは、師の北原白秋との関係の中で、ほかならぬ白秋に「君の歌は瘤の樹をさするやうだ」と最初に言われたものである。なぜ彼は白秋のもとを去り、さらに幹部候補生への任官をこばんだのか。何が戦後の宮柊二に「恥」の意識を起こさせたのか。なぜ、戦後になって「孤独」を思想にまで高めた歌人が、歌壇ジャーナリズムの上で活躍し、結社経営に情熱をそそぐようになったのか…。著者はこれらの大きな論点に一つずつぶつかって行く。わかりやすい言葉で、時代状況と作家の中の芯のような部分との対応を、的確に描き出して行く。
歌集『群鶏』の章では、「悲歌」によって精神的な成人式を経てから、「群鶏」の一連で白秋から自立する姿を描出する。戦争への対処のしかたと『山西省』における文学的真実の構成をたどったのち、戦後の宮の『小紺珠』以降の三歌集については、「一兵士が戦後を生きていたのだ」というようにとらえてゆく。「孤独派宣言」の「一市民」は、シチズン(市民)と言うよりもソルジャー(軍人)というように理解した方がいいという解説は、納得させられるものがある。本当に宮に新しい時代が訪れたのは、『多く夜の歌』の新聞の選歌を引き受けた時期であったと概観する。
本書において著者は、率直で自己客観視をともなった語り口によって、強い説得力のある文体を生み出した。
(「短歌新聞」)