先日中学校の還暦の同窓会というのが開かれて、私は幹事の当番のクラスに属していたため、お前は司会をやれということで、柄にもなく司会などをつとめたのだが、来ている人たちは和気藹々として笑顔が多かった。四十年数年ぶりに会う同級生もいたりして、恩師も存命の方三名が出席してくださり、最後は草野心平作詞のすばらしい校歌を全員で斉唱して会は盛況のうちに終了した。
それで、自分で自分の頭に水をぶっかけるというわけではないが、たまたま手に取った書物が花田清輝の『乱世今昔談』という書物だった。その中に「老人雑話」という文章があって、これがすばらしい。チェホフの『退屈な話』という作品に触れるところからはじまって、老いたる人に対する辛辣な警句に満ちた一文なのである。一ページほど読んでいると、
「そもそも老醜とは、いかなる状態をさすのであろうか。」と来る。これに続けて、
「それは、いっぱんに、肉体とともに精神の老化している状態を意味するものであると考えられている。しかし、時として、そんなふうに、肉体と精神とが、ぴったり呼吸をあわせて、仲よく年をとらないばあいもまた、ないことはない。つまり、肉体の老化のテンポについていけずに、精神だけが、いつまでも若々しいばあいもあれば、その反対のばあいもあるのである。そういうアンバランスな年のとりかたをした連中は、肉体と精神のどちらかを、とにかく、使いものになる状態のまま、とりとめているというので、人々からは祝福され、当人たちもまた、そのつもりになっているが――しかし、わたしをしていわしむれば、それこそ老醜以外のなにものでもないのだ。」
これを読んで、痛いなあ、と思う人はまっとうであるはずだ。腹を立てた人は、その時点で、すでにして老いが進んでいる証拠である。つまり、リトマス試験紙みたいな文章だ。しかも身近に思い当たる例が、見つかりはしないか。昔だったらさっさと死んでくれたから世代交代が容易だったのに、今は上が詰まっていて、なかなかそうもいかない。そのうち会社なり組織なりの命運が尽きてしまう、という事例もなきにしもあらずだ。
人物がいない、のではない、下の者が「人物」になってもらっては困るので、うまく時間をかけて擂り潰している。二、三年干されれば、たいていの人間は参ってしまう。覇気など育ちようがない。そういう組織ばかりだから、日本の大企業はだめなのだ。どんどん老朽化している。
「どんな会社もたいていやっているよ、あんなことは。」と、これは何のことを話題にして言われたセリフなのかは伏せておくけれども、こういう感覚が広く共有されているということ自体、すでに日本の多くの会社組織が「老醜」をさらしつつあるということの証左であろう。日本の企業文化におけるモラルは、どうしてここまで落ちぶれてしまったのか。
続いて花田の文章は、狂言の『枕物狂』に言及し、『財宝』にふれていく。まったく関係がないことだが、私が以前、国語の試験で難読語のひとつとして、「好々爺」という語句を出題したところ、これを「すきすきじい」と読んだ生徒がいたのには驚いた。しかし、昨今は週刊誌の広告やコンビニの雑誌棚などを見ていると、この読みがなかなかリアルに見えて来ることも確かなのである。
さて、花田の筆は、キケロが『老年論』を書いた一、二年後に自殺したことにふれ、やおら森於菟の『老耄寸前』という文章の称揚に移る。これは正宗白鳥も激賞したというのだから、どれだけすぐれた文章かはわかるだろう。森於菟は、その文章の中で、「平凡人の老耄状態を賛美して」次のように述べているというのである。
『人は完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身を置く必要があるのだ。そこでは現実と夢とがないまぜになり、現実はその特徴であるあくどさとなまぐささとを失い、一切の忘却である死をなつかしみ愛撫しはじめる。』
『痴呆に近い私の頭にはすでに時空の境さえとりはらわれつつある。うっすらと光がさしこむあさまだきの床の上で、時に利休がいろり端でさばく袱紗の音をきき、またナポレオンがまたがる白馬の蹄の音をきく。はたまた私は父に連れられて帝室博物館の庭を歩きながら父と親しく話し合う青年の私ですらある。現実の人は遠く観念の彼方に去り、以前は観念のみによって把握される抽象の人と考えられていたものが、今の私にとってはより具象的な現実である。』 (森於菟『老耄寸前』)
さらに花田は江村専斉の『老人雑話』に話を進める。専斉・江村宗具は、加藤清正に仕え、寛文四年にきっかり百歳で死んだ医者である。
「明智日向守が云う、仏のうそを方便と云い、武士のうそを武略と云う、百姓はかわゆきことなりと、名言なり。」
どうせ歴史を学ぶなら、こういう言葉を諳んじておきたいものだ。本読みたるもの、国民を早々に老耄に誘うようなテレビ番組に感心している暇などないはずなのだ。
それで、自分で自分の頭に水をぶっかけるというわけではないが、たまたま手に取った書物が花田清輝の『乱世今昔談』という書物だった。その中に「老人雑話」という文章があって、これがすばらしい。チェホフの『退屈な話』という作品に触れるところからはじまって、老いたる人に対する辛辣な警句に満ちた一文なのである。一ページほど読んでいると、
「そもそも老醜とは、いかなる状態をさすのであろうか。」と来る。これに続けて、
「それは、いっぱんに、肉体とともに精神の老化している状態を意味するものであると考えられている。しかし、時として、そんなふうに、肉体と精神とが、ぴったり呼吸をあわせて、仲よく年をとらないばあいもまた、ないことはない。つまり、肉体の老化のテンポについていけずに、精神だけが、いつまでも若々しいばあいもあれば、その反対のばあいもあるのである。そういうアンバランスな年のとりかたをした連中は、肉体と精神のどちらかを、とにかく、使いものになる状態のまま、とりとめているというので、人々からは祝福され、当人たちもまた、そのつもりになっているが――しかし、わたしをしていわしむれば、それこそ老醜以外のなにものでもないのだ。」
これを読んで、痛いなあ、と思う人はまっとうであるはずだ。腹を立てた人は、その時点で、すでにして老いが進んでいる証拠である。つまり、リトマス試験紙みたいな文章だ。しかも身近に思い当たる例が、見つかりはしないか。昔だったらさっさと死んでくれたから世代交代が容易だったのに、今は上が詰まっていて、なかなかそうもいかない。そのうち会社なり組織なりの命運が尽きてしまう、という事例もなきにしもあらずだ。
人物がいない、のではない、下の者が「人物」になってもらっては困るので、うまく時間をかけて擂り潰している。二、三年干されれば、たいていの人間は参ってしまう。覇気など育ちようがない。そういう組織ばかりだから、日本の大企業はだめなのだ。どんどん老朽化している。
「どんな会社もたいていやっているよ、あんなことは。」と、これは何のことを話題にして言われたセリフなのかは伏せておくけれども、こういう感覚が広く共有されているということ自体、すでに日本の多くの会社組織が「老醜」をさらしつつあるということの証左であろう。日本の企業文化におけるモラルは、どうしてここまで落ちぶれてしまったのか。
続いて花田の文章は、狂言の『枕物狂』に言及し、『財宝』にふれていく。まったく関係がないことだが、私が以前、国語の試験で難読語のひとつとして、「好々爺」という語句を出題したところ、これを「すきすきじい」と読んだ生徒がいたのには驚いた。しかし、昨今は週刊誌の広告やコンビニの雑誌棚などを見ていると、この読みがなかなかリアルに見えて来ることも確かなのである。
さて、花田の筆は、キケロが『老年論』を書いた一、二年後に自殺したことにふれ、やおら森於菟の『老耄寸前』という文章の称揚に移る。これは正宗白鳥も激賞したというのだから、どれだけすぐれた文章かはわかるだろう。森於菟は、その文章の中で、「平凡人の老耄状態を賛美して」次のように述べているというのである。
『人は完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身を置く必要があるのだ。そこでは現実と夢とがないまぜになり、現実はその特徴であるあくどさとなまぐささとを失い、一切の忘却である死をなつかしみ愛撫しはじめる。』
『痴呆に近い私の頭にはすでに時空の境さえとりはらわれつつある。うっすらと光がさしこむあさまだきの床の上で、時に利休がいろり端でさばく袱紗の音をきき、またナポレオンがまたがる白馬の蹄の音をきく。はたまた私は父に連れられて帝室博物館の庭を歩きながら父と親しく話し合う青年の私ですらある。現実の人は遠く観念の彼方に去り、以前は観念のみによって把握される抽象の人と考えられていたものが、今の私にとってはより具象的な現実である。』 (森於菟『老耄寸前』)
さらに花田は江村専斉の『老人雑話』に話を進める。専斉・江村宗具は、加藤清正に仕え、寛文四年にきっかり百歳で死んだ医者である。
「明智日向守が云う、仏のうそを方便と云い、武士のうそを武略と云う、百姓はかわゆきことなりと、名言なり。」
どうせ歴史を学ぶなら、こういう言葉を諳んじておきたいものだ。本読みたるもの、国民を早々に老耄に誘うようなテレビ番組に感心している暇などないはずなのだ。
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