さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

向田邦子の『眠る盃』

2016年09月09日 | 
 一昨日にアップして、すぐに消してしまったのだが、食べ物のことを書いたら劇的にアクセス数が多かった。おそらくそういう話題のものを読みたい人が多いのだろう。

 食べ物のエッセイが含まれている本というと、おすすめしたいのは向田邦子の『眠る盃』(1979年講談社刊)である。これは文庫本ではなくて、元の単行本で読むことをおすすめしたい。司修の装丁が、実にいいのである。挿画の猫の絵は人間のような顔をしていて、明らかに著者の顔写真を彷彿とさせる。これは同じく司修が装丁した別の向田邦子の著書でも、装画の猫が著者らしい気配を漂わせている。このいたずら心にあふれた諧謔の味がたまらない。

 向田邦子の文章は、一行目ですっと心を持っていかれる。

「三十年ほど前のはなしだが、母方の祖母が布団を拾ったことがある。」 これは祖母の思い出話。
「とにかく小さかった。」 これは家の飼い猫が生んだ未熟な子猫の話。
「クレオパトラの昔から、女は美しくなるためには骨身を惜しまなかった。」 これは一頃流行した顔面のパックの話。
「躰の上に大きな消しゴムが乗っかっている。」 これは、巻末の文章で、ガスが漏れて死にかけた時の話。

 こういう文集を見ていると、昨今のSNS、ツイッターとか何とかいうメディアが、いかに文章力を育てにくいものか、という事がよくわかる。知人の言うには、ラインやツイッターをやっている人は、あまりブログなどやらないのだそうだ。まだしもブログの方が、文章を書くうえでは害が少ないような気がするが、「書く」という事に対して構えがゆるくなるのが、便利なインターネット時代の言語表現の最大の落とし穴なのだ。


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