さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

「さて、」第十号

2021年11月19日 | 現代短歌
 いつでもそうなのだけれども、この頃はまた、年甲斐もなく人生に踏み迷って生きているという実感が、濃くなってきた。それだけではなく、少しこころをひらいて、人と話をしてみると、たいていの人が、似たようなところにいて、円満に安らかに暮らしているひとなど、一人もいないような気がする。
 そういう時に、芸術全般があることは、ほんとうにありがたいことだと、感じられる。

 同人誌の「さて、」は、そういう心持ちに適う内容を持っていて、思い出したのは、自分が二十代の頃に、栃木県の佐野に丹羽正三という歌人がいて、その人が出していた同人誌に、似たような雰囲気があった。それをみて私は短歌をはじめることになったのだが、天草季紅さんとその周辺の人たちの醸し出す雰囲気は、久しぶりにそれを思い出させたのだ。
 一言で言うなら、参加者の一人一人が自立した表現者であり、しかも一冊にまとまった時にお互いが交響楽を為すような倍音のハーモニーを奏でているとでも言おうか、原田千万さんの前号につづく蝶についてのエッセイや、日向邦夫の白秋詩「落葉松」テキストについての文章や、天草さんのアイヌの詩を関心の柱に据えながらユーラシア大陸の四行詩に想念をはばたかせる小論「押韻と反覆」に到るまで、その存在のありようが明るく、汚れてない。

  陽だまりに陽の匂ひありその淡き匂ひのなかにわが老いてゆく  原田千万

  捉へしと思ひしものにとらはれてゐるやもしれぬ生きるといふは

  未だ夢のつづきがわれにあるごとく闇にゆれゐるあぢさゐの花
 
  これは、清潔なほろびにむかうことを肯定するうたなのである。加齢に勇気をもってたえるということが、私にもできそうな気がしてくる歌なのである。

  パスポートなくして途方に暮れてゐた技能実習生といふアジアの青年
                                天草季紅

 日本国家がいま、ただちにしなくてはならないのは、外国人労働者の人権の保障と、家族や子供たちが安全に暮らし、教育を受けられるようにする条件の整備である。そうして入管をめぐる法律とその運用の仕方の早急な見直しである。現に人手不足でどうにもならなくなっている業界はあり、そこで従来のような使い捨ての労働者搾取を続けていたら、長期的にはこの国はもたない。そういうことを天草さんの作品は、直接にではないが訴えている。

  「平成」を二重線にて消し「令和」対角線上瀕死の「平和」   森島章人

 この作者の力強い社会風刺の一連も見ごたえがある。

   ゆふやけに声をうしなひもどり来る母におぶさるまぼろしの児ら  小玉隆

  作者の姉や弟は早世したらしい。そういう年代の方の歌であるが、一連にはみずみずしい歌が見える。

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