さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『前川佐重郎歌集』を読む 2

2017年01月14日 | 現代短歌 文学 文化
つづく「残響」の一連をみる。

八月の半ばにありて錆びゆけど下肢にまとへるわが影の刃は

 「刃」に「は」と振り仮名。佐重郎の歌には「刃」という言葉が頻出する。影はふつうはむしろ輪郭の曖昧なものだが、強烈な光が射す盛夏はくっきりとした輪郭を持つ。しかし、それをあえて「刃」のような影、と言うときに、「私」が抱えている危機そのものがぐっと迫り出してくる。「下肢」は「かし」と読んで下半身の事。男の下半身、というと生活の土台を支えるものであるとともに、性的な欲求の在処というニュアンスも多少暗示される。続く歌。

蒼穹に溺れひさしき手足あり摑まむかいま男坂に立ち

 「蒼穹」には「あをぞら」と振り仮名。男坂は、都内の実在の地名だが、そちらの意味かどうか。人生の男坂、辛い方の登山道、という含みをどうしても感じさせる。これまでは青春の夢におぼれていたが、これからは何か確固とした手がかりのようなものを摑んで生きていかないといけない、という決意の歌。

白粥にはる薄膜の韻きこゆ八月半ば置き去りし耳

「白粥」に「しらかゆ」、「韻」に「おと」と振り仮名。「白粥にはる薄膜の韻」とは、何だろう。厨で粥をたいている音か。その音の記憶を置いてきた、置いたまま出てきてしまった、ととる。この「耳」の背後には、岡井隆の有名な歌「つややかに思想に向きて開ききるまだおさなくて燃え易き耳」(『土地よ、痛みを負え』)の「耳」の残響があるかもしれない。「耳」は思想的な言葉を感受する若者の感性の比喩として人口に膾炙したものだ。

冷ゆるまで直立せむか諸々の思ひあつめし独りの驟雨

 この歌の結句「独りの驟雨」というような叙法は、一時期非常に流行してからすたれてしまったものだ。「直立」と言ったらただちに思い浮かぶのは佐佐木幸綱の有名な歌集のタイトル『直立せよ、一行の詩』であるが、「直立」という語の示す力のベクトルは真逆である。幸綱の「直立せよ」には、若者の内側に眠っている激情を呼び覚まして行動に駆り立てるようなところがあった。詩と行為とがともに手を携えて世界の正面に突進してゆくような、青春の息吹が感じられた。そういう連想を沈めたところで、逆にたった一人で立ちすくむ孤独な「私」がここにはいる。一首だけ取り出した時にはさしたる歌ではないのだけれども、この一連の中では重たい意味を担つている。

短夜を昭和へ一語抛りゆく言葉の塔の赤き朝焼け

「短夜」に「みじかよ」、「抛」りに、「ほう」り、と振り仮名。ここで問題になっているのは、観念だ。「言葉の塔」は、ヘーゲル哲学とか、マルクス主義といった思想体系のようなものを暗示する。

没りし陽を浴びつつおもふこの帰路のかつて土砂降り銀の夕立

「没」り、に「い」りと振り仮名。「帰路」という言葉は、解釈のうえではひとつのキーワードとなるだろう。出発の時は銀の夕立に降られていた青春時代から、歳月を経て、「私」は夏の赤い夕陽を浴びながら帰路をたどっている。この「私」は作者自身であるとともに、戦後日本というものの全体的な暗喩ととらえてもいいだろう。「帰路」は「昭和」へ一語、「あばよ」とか何とか投げつけて戻って来た「私」の帰還のイメージと結びついている。続けて五首を引く。

六十年代の露しとどにぞわが額に垂れ落つ夜半の鏡面羞し
 ※「額」に「ぬか」、「羞」に「やさ」。

やはらかき光を浴みて棘あはき鎧を解きし夏のひひらぎ
 ※「鎧」に「よろひ」。

一束の緋に率かれゆく生類のかのまぼろしをいまだ負ひにき
 ※「緋」に「ひ」、「率」に「ひ」。

木を過ぐる秋蝉のこゑ繊くありしばしも熱き遁れゆくもの
 ※「繊」に「ほそ」。

ひるがへる朴の大葉にゆだねつつ空に浮かべる蝉殻ひとつ
 ※「朴」に「ほほ」、「蝉殻」に「せみがら」。なお、「蝉」は旧字。

 ここまで読んでくると、やはりこの一連が時代というものを背景にうたわれていることがわかる。「鎧」を解くというのは、端的に言って戦後に拡大した革命思想を捨てたことを意味している。これは戦時中の「転向」とはちがう。転向というのは権力の強制によって発生するものだが、これは自ら状況の変化を認識しながら全体的な革命的思潮の衰退を確認し、自身の思想的な敗北と挫折の意味を内面的に受け止めているのである。

やはらかき光を浴みて棘あはき鎧を解きし夏のひひらぎ

 こういう歌をみると、昨年道浦母都子の『無援の抒情』が再刊されたが、戦後の左翼的な変革の思想に憑かれた人々がひとりひとりどのように、その経験を咀嚼していったのか、ということが思われるのである。いま思い出したが、昨年は「桜狩」の早野英彦さんと、「未来」の武井一雄さんが亡くなった。二人とも自らが思想的に負った課題を背負って愚直に誠実に短歌に取り組んでいた歌人であった。前川佐重郎さんの歌を読むうちに、期せずしてこの二人の世間的には無名だった歌人の存在を思い起こし、ここに花を手向けておきたいと思う。

ひるがへる朴の大葉にゆだねつつ空に浮かべる蝉殻ひとつ

 ああ、この歌は二人への、また同様な六十年代の祝祭の青春を生きた人々への、また無数の戦後の思想的な死者たちへの挽歌としていま読み直すことができるのではないか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿