一太郎ファイルの復刻。2012年5月の文章である。どこに出したかは忘れた。「読書散策」という題である。
気散じに読む本をさがすのに苦労はいらない。誰でもそうだと思うが、手にとってめくってみて、いい感じだったら何となく最後まで読んでしまうものだ。先日は宇野千代さんの『残っている話』という自伝的な小説の文庫本を、朝晩の通勤の車内で読んだ。表紙が花色の着物の柄で、それを見るのが目に楽しかった。千代さんは、小説だけでなく着物を扱って生計の足しにしたそうである。
『残っている話』を見ると、千代さんは、骨董の収集で有名な青山二郎の知人であったようだ。私は青山のへんな癖のある文章が嫌いだ。千代さんのような天然ののびやかさが、まるでない。でも、筑摩文庫の『青山二郎文集』には、中原中也についてのおもしろい回想文が入っている。
青山の顔写真を見ると、一種の勘気が顔に走っている。それとは反対に、彼が集めた陶器の写真は、どれも可愛げがあるように見えるのだから、人間の本質は見かけではわからないということなのだろうが、さて、その青山でさえ、心底辟易して付き合いきれなかったというのだから、詩人の中原中也の酒席での絡み方は、相当なものであったようだ。中原がねばっていたために、酒場が数軒つぶれたということである。現実の詩人は、たぶん虫酸の走るような嫌なやつだったに違いない。しかし、書かれた作品と本人とは、ちがうのである。
中原中也の思い出を書いたものとしては、小林秀雄のものが有名で、私も高校の時に読んで以来、その強い印象は変わらない。しかし、中原伝説の打ち割ったところを書いた証言として、右の青山の文章は、相当いいもののように思う。ああいうきかん坊のような顔をした人でなければ、なかなかあそこまでは書けなかったのではないか。金田一京助は、後年自分が書いた石川啄木についての文章を、いろいろな事実を隠して良く書き過ぎた、しかし、もう自分にはどうにもならないと言っていたということである。ローマ字日記などをひらき見れば、さもありなんと思われる。親友が親友について書くということは、なかなかむずかしいことのようである。
宇野千代さんの本に話を戻すと、千代さんが尾崎士郎と田舎に住んだ時のこと、二人して山の中の窪地で焚き火をしたら、あっという間に燃え広がって火事になってしまったことがあった。その時の尾崎は、火を消すでもなく、助けを呼ぶでもなく、落ち着いてただ何にもしなかったということだ。結局村の人が飛んできて火を消してくれたということだが、東郷青児にしろ、尾崎にしろ、千代さんの周りには度外れの人物が大勢いて、そこのところを一種の好奇心と情熱で突っ切ってきた千代さんの生き方というのも、並外れたものである。結核で血を吐いている東郷のような男と血だらけの布団に平気で同衾する千代さんの神経もたいしたものだと思うが、何か痛々しいような必死な印象がある。
私は尾崎士郎の相撲についての文章を忘れがたいものとして記憶しているが、それは相撲取りが気合を入れてだんだん対抗心と取り組み相手への敵愾心を高まらせて行くまでの緊張に満ちた時間を見事に描き出したものだった。あれはとにかく名文だと思うが、根底に必死な生の有り様を全面的に肯定し、共感する態度のようなものがあって、それはどこかで尾崎という男の魅力となっていたのではないかと思う。ところが、その人物が、現実的にはまったく無能で、自分で起こした火事ひとつ満足に消すこともできないというところが、本当にばかばかしくておもしろい。
気散じに読む本をさがすのに苦労はいらない。誰でもそうだと思うが、手にとってめくってみて、いい感じだったら何となく最後まで読んでしまうものだ。先日は宇野千代さんの『残っている話』という自伝的な小説の文庫本を、朝晩の通勤の車内で読んだ。表紙が花色の着物の柄で、それを見るのが目に楽しかった。千代さんは、小説だけでなく着物を扱って生計の足しにしたそうである。
『残っている話』を見ると、千代さんは、骨董の収集で有名な青山二郎の知人であったようだ。私は青山のへんな癖のある文章が嫌いだ。千代さんのような天然ののびやかさが、まるでない。でも、筑摩文庫の『青山二郎文集』には、中原中也についてのおもしろい回想文が入っている。
青山の顔写真を見ると、一種の勘気が顔に走っている。それとは反対に、彼が集めた陶器の写真は、どれも可愛げがあるように見えるのだから、人間の本質は見かけではわからないということなのだろうが、さて、その青山でさえ、心底辟易して付き合いきれなかったというのだから、詩人の中原中也の酒席での絡み方は、相当なものであったようだ。中原がねばっていたために、酒場が数軒つぶれたということである。現実の詩人は、たぶん虫酸の走るような嫌なやつだったに違いない。しかし、書かれた作品と本人とは、ちがうのである。
中原中也の思い出を書いたものとしては、小林秀雄のものが有名で、私も高校の時に読んで以来、その強い印象は変わらない。しかし、中原伝説の打ち割ったところを書いた証言として、右の青山の文章は、相当いいもののように思う。ああいうきかん坊のような顔をした人でなければ、なかなかあそこまでは書けなかったのではないか。金田一京助は、後年自分が書いた石川啄木についての文章を、いろいろな事実を隠して良く書き過ぎた、しかし、もう自分にはどうにもならないと言っていたということである。ローマ字日記などをひらき見れば、さもありなんと思われる。親友が親友について書くということは、なかなかむずかしいことのようである。
宇野千代さんの本に話を戻すと、千代さんが尾崎士郎と田舎に住んだ時のこと、二人して山の中の窪地で焚き火をしたら、あっという間に燃え広がって火事になってしまったことがあった。その時の尾崎は、火を消すでもなく、助けを呼ぶでもなく、落ち着いてただ何にもしなかったということだ。結局村の人が飛んできて火を消してくれたということだが、東郷青児にしろ、尾崎にしろ、千代さんの周りには度外れの人物が大勢いて、そこのところを一種の好奇心と情熱で突っ切ってきた千代さんの生き方というのも、並外れたものである。結核で血を吐いている東郷のような男と血だらけの布団に平気で同衾する千代さんの神経もたいしたものだと思うが、何か痛々しいような必死な印象がある。
私は尾崎士郎の相撲についての文章を忘れがたいものとして記憶しているが、それは相撲取りが気合を入れてだんだん対抗心と取り組み相手への敵愾心を高まらせて行くまでの緊張に満ちた時間を見事に描き出したものだった。あれはとにかく名文だと思うが、根底に必死な生の有り様を全面的に肯定し、共感する態度のようなものがあって、それはどこかで尾崎という男の魅力となっていたのではないかと思う。ところが、その人物が、現実的にはまったく無能で、自分で起こした火事ひとつ満足に消すこともできないというところが、本当にばかばかしくておもしろい。