先日「人のせいにするとホントうまくいかない」という記事を書いて、
その後また、
「ちゃんとやっといてよね!(; ・`д・´)」
っていうことがありました。
で、前回の反省を生かし、その人のことより、問題に対処する方に集中したら、あっさり解決できたし、
その人のせいというわけでもなかったことが判明。
ひも解いてみないとわからないことが世の中にはありますねーー(*´ω`*)
今回はそれで怒りも収まったのですが、
怒りが収まらない、ほんとにその人が悪い場合について考えてみました。
「ちゃんとやっといてよね!」って怒りがわく時って、
「私はちゃんとやっているんだから!」っていう思いが裏側にくっついている気がします。
ちゃんとやっている自分が損しているみたいな気になっているんじゃないかな?
もしくはちゃんとやっている自分が可哀想とか・・・。
その損した気持ち・自分が可哀想と思う気持ちをどこかにぶつけたいから、怒りになって出てくるんじゃないかと思います。
自分が可哀想っていう思いについては、そこに気付いてあげて、「よしよし、私頑張った」って認めてあげると、昇華していくように思いますが、いかがかな?
いろいろ考えたのですが、損した気持ちの方が厄介だと思います。
損をした気持ちって、心の中に欠乏感を生むのだと思いもいます。
欠乏感は、得をしたなにかで埋めないと納得できないんだと思います。
たとえば、その問題を起こした人に、私が問題に対処した分何か(行動や物)でお返しをしてもらうとか。
世の中持ちつ持たれつで、自分が迷惑をかける場面もあるので、お互い様と思えるといいのかなと思います。
ただ、一方的に迷惑をかけられて困っている人は、そう思えないですよね。
そういう時は、相手にしっかり伝えていくしかないと思います。
でも、それは、「私が損してるのよ(; ・`д・´)」っていう相手を責める気持ちで向かっていくと、話がこじれますよね、フツー。
ずっと以前に読んだ心屋さんの本で、
相手を責めるより、自分はツライ・悲しいという気持ちを表現するといいよって書かれていました。
損してるという気持ちの奥底には、
頑張った自分が、悲しい・ツライという感情が隠されていることと思います。
いつも、そこまで気付ける自分になりたいな、と思いました。
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