癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

苦労は買ってでもしろというけれど

2022-08-28 21:59:07 | 気付いたこと
私の中には昔から、私を苦しめるもうひとりの私がいる。


こう書くと、サイコなホラーみたいな感じだけど、


もしかしたらそれに近いのかもしれないけれど😅


でもちょっと違う。




存在に気付いたのは、以前子供たちが不登校になったとき。



楽になりたくて、色々自分を深掘していたら出てきた。


なぜだかとにかく私を苦しめたいみたいだった。


悪魔のような姿をした恐ろしい奴で、話し合ってみたけど駄目だった。



私はその存在に蓋をした。




その後も何度か出会ったけど、その存在の態度は変えられなかった。




でも、何ヶ月か前にまた向き合うことになり、話し合ってみた。



悪魔みたいな姿のソレは、普通の人の姿(大人でも子供でもない男の子っぽい姿)に変化した。



苦しめたいわけじゃない。と言う。


でも、苦しんでこそよりよい人生が送れるのではないのか、とも言った。


衝撃的だった。


それって、私の深層心理の言葉って言うことだから。



私は、心の奥深くで、



「苦しんでこそ!」って思ってるってことだ。



そりゃあ、人生ラクにならないはずだわよ🤣



確かに、親も祖父母もそういう信条の人だった。


人一倍苦労した人が、優しく強い人になれる。



だから、一生懸命説得した。



苦労は買ってでもしろというけれど、そんなのは親や学校の刷り込みだから、やめていいんだよ。



それに、必ずしも、苦労したからって立派な人になるわけじゃない。



最新の研究では、自分を大切にできる人がより良い人生をつかんでいる。



でも、その存在も困っているようだった。



座り込んで海を眺めてぼんやりと、「そんなつもりではなかったのだけど」という。



そっと寄り添って、一緒に生きていくしかないか…と思った。



そもそもそれも私自身なのだから。




それから数ヶ月、




色々あって気が付いた。




私は人生において、成長とか達成感を重視するタイプ。



親には苦労は買ってでもしろと言われて育った。




苦労して成長して達成感を得ることを重要視しているというか、快感に思ってる私がいた。



そりゃあ、苦労することをやめられないよね。



そして、私は、成長や達成することの高揚感みたいなのが欲しいだけで、



成長した自分自身や達成した自分自身には1mmも興味がないことに気が付いた。



自分自身に興味がないって、致命的だと思う。



植物に例えるなら、葉っぱや花には関心が向くけど、根っこのことは完全無視、っていう感じだと思う。



強い葉っぱや美しい花は、根が健康に生育してこそなんだから…。




私はカレに言った



達成感とか成長した実感とか、そういうのは、強い刺激物みたいなもので、もう、そういうのを欲しがる生き方はやめていこうよ。



もっと、足元を大事にしていくほうが重要だから。


それに、より良く生きるために苦労してきたのなら、ここからはそろそろ、実際に良く生きる方にシフトしていけばいいんじゃないかな。



もう、無理して苦労しなくてもいいんだよ。



そう言うと、カレは泣いた。






その日の晩御飯は、ゆっくり味わって食べた。



こういう風に生きたかったとカレは言った。



こういう風に生きていこうねと私は答えた。