最近、たまに降ってくる言葉は
「待って」
です。
はじめは
「半年待って」
その次は
「待って」
なんだろうなーーと思っていたら、結果を出すことを急ぐ自分を見つけました。
基本、待つのが嫌いな私です(笑)
確かにそのおかげで、仕事が早く片付いたり、結果を早く確認できたり、役立ってる部分もあるのは事実です。
でも、それも、使い分けが大事なんだなと思いました。
ゆっくり、ゆったり、ふわふわな幸せ生活を目指してる人間は、そもそも結果にこだわらないと思うし、急ぐこともないと思うのです。
あと、「待つ」にはこの世的な特徴として、「時間」ていうことなんですよね。
タイムラグとかさ・・・。
やりたいことが多すぎて、いっぺんに全部やっちゃいたいけど、いかんせん体は1個しかないから、いっぺんにやりたいことやっちゃえなくて・・・っていうジレンマも自分の中にあって・・・。
ひとつづつ、時間がかかってもやっていくしかないのだけど、今すぐ終わらせたい私・・・。
時間の概念がない世界だったら、頭に浮かんだ時点でもう現実化するらしい・・・、うらやましすぎる。
でも、そんな私がこの時間ていう縛りのある世界で生きてるんだから、それなりに理由があるんだろうな・・・。
一つ一つやっていたのでは間に合わないから(何に?)
ひとつひとつやっていく過程を楽しめない自分がいる。
早く結果を出したいから?
なんか、とりとめがなくなってきましたが、自分の覚書的に、書いてみました。
これについては、またノートとペンだな。
前回からの続き
そもそも安心て何だろう?
一連の流れから出てきたこの問い。
ふっと出てきたのは
「存在してもいい」
という、根源的なものでした。
私は
成長しても
成長しなくても
何かを生み出しても
何も生み出さなくても
いろんなことに挑戦しても
いろんなことから逃げていても
それでも、そのまま、存在していい。
安心 = この世に存在していい
この世に存在していいよって、自分が自分に言えるかどうかが、自分の安心感の根底にあるようでした。
さて、あなたは、自分がこの世に存在していいと心から思えますか?
そう聞かれちゃうと、私も
「え、いないほうがいい?」
とか思っちゃいます。
でも、昔、誰に聞いたのか、何で読んだのか、もう覚えてないのですが、
人間は、神様の許可をもらわないと、この世で生きることができない。
のだそうです。
神様の許可がなかったら、この地球上で命を持って存在できないのです。
今、どんな状態だろうと、命を持っている限り、存在を許可されているのだそうです。
少なくとも、今このブログを読んでいるあなたは、確実に、神様からOKが出ています。
生きてないとブログ読めないですもんね(笑)
この話を思い出して、急に、
とにかく私は、この私ただ一人を幸せにしていこうと思いました。
前回の続き
この前気づいた自分が逃げていること
1失敗すること
2失敗やミスを認めること
3相手と話し合うこと
4相手と戦うこと
5面倒なこと
6深く感じること
今回は残りの
「失敗すること」
「失敗やミスを認めること」
これに関しては、これに挑戦していたから気づいたことではないのですが、
ある日ふと
「やっぱり、私このままじゃダメなんじゃないかな」
という気持ちが沸き上がってきて、
いつもだったら、ポジティブシンキングとかなにか別のことでふたをしたりして、その気持ちから逃げるのですが、
この時は、じゃあ、徹底的に
「このままじゃダメだーーー!
(。-`ω-)」
って、思ってみようと思って、延々
「このままじゃダメだ」
と、心の中で繰り返してみた。
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
「このままじゃダメだ」
ここまで、続きを読みに来てくださった方、ありがとうございます。
徹底的に思ってみたんです。
そしたらいろんな思いが沸き上がってきて・・・。
今までだってさんざん思ったことだし、
「いやいや、そうじゃないよ」って思い直してきたことなんですが、
まあ、それが悪かったんですね。
無理にポジティブなほうへもっていこうと思って、いつかこうやって、未消化のままボロっと出てきちゃうんですよね。
何が出てきたかというと、
やっぱり、他人からの称賛が欲しい。
そんなの一瞬気持ちいいだけの麻薬のようなもので、
賞賛してくれる他人様だって、その日の天気や気分で感じ方が変わるんだから、いつも同じことで称賛してくれるわけではないのだし・・・。
と、いつもは自分をなだめすかすのですが、
今回は、欲しいものは欲しいということで、
「人からの称賛が欲しい」
「人からの称賛が欲しい」
「人からの称賛が欲しい」
「人からの称賛が欲しい」
「人からの称賛が欲しい」
以下省略 (笑)
で、ふと、じゃあ、どうしてそれが欲しいんだろう?と考えてみました。
まあ、人から褒められたら誰だって嬉しいから、一見当たり前のことですが、その当たり前を掘り下げることが重要なのです。
そこから出てきたのは、
「安心したいから」
でした。
人に褒められているときは、その人に認められている
つまり
その人に受け入れられているという「安心感」が欲しかったのだと思いました。
結局本当に欲しいのは、「安心」なんですね。
そこまで来ると、
称賛してくれるその人の、その日の気分で変わってしまう可能性の高い不確かなものが、本当に自分の「安心」になるのだろうか?
という疑問が・・・。
結局、本当の意味で自分を安心させてあげられるのは自分しかいないのだと思います。
でも、この未熟な私が私自身を本当に心から安心させてあげられるのだろうか・・・。
そもそも安心て何だろう?
掘り下げる旅は続きます。
この前気づいた自分が逃げていること
1失敗すること
2失敗やミスを認めること
3相手と話し合うこと
4相手と戦うこと
5面倒なこと
6深く感じること
順不同で、やってみて気づいたこと書いてみます。
「面倒なことから逃げない」
これに関しては、面倒なことを全部自分一人でやらないといけないと思っていたけど、人にやってもらえることは人にお願いすればいいことに気が付いた。
今更その気づき?って感じですが、自分が面倒なことを人にお願いするのって気が引けるから、ついやってこなかったけど、
もしかしたら快く引き受けてもらえるかもしれないのにね。
結構自分の中では大きな気づきでした。
それだけでも、面倒だからと後回しにしてきて、済ませられてないことからくる落ち着かない気持ちが減るのだから、めっけもんです(^^♪
というわけで、
面倒なこと = とりあえず人に頼んでみよう!
「深く感じることから逃げない」
いろいろやってみて思ったのですが、意外と、人に対して
「あの人をこんな風に思ったら、あの人に失礼だわ」
「この人にこんな風に思うなんて私、最低の人間だわ」
と思ってしまって、一瞬感じた相手への自分の気持ちをなかったことにしようとしているときがあることに気づきました。
お世話になってる人や、身近な人になるとなおさらそれは強くなるようです。
ある意味わたし、いい人です。
でも、結果として、自分が一瞬感じた気持ちや感情をなかったことにしようとしているのは、逃げであり、自分をないがしろにしているということでもあるなーーと思ったのです。
そして、意外と、ソレ、頻繁にやってる・・・。気づかなかったよ(-_-;)
それでふと思ったのですが、私、すごーーーく人を見る目に自信がないんですよね。
それって、ソレのせいじゃん(爆)
こうやって、私は自分の人を見る目を育ててこなかったということなんだなーーー(;´Д`)
やれやれ・・・。結局自分のせいだった。
そして、そういうことを無視しないでいることが、自分を大切にすることにつながるんだと思う。
というわけで、
どんな感情もなかったことにしない
「相手と話し合うこと」
「相手と戦うこと」
これは今のところ子供としかできてないのですが、
中学生になった三女と時々口論になるのですが、
相手も中学生にもなると口が立つので、
だんだんこちらも良い反論が見つからなかったり、
あまりの話のかみ合わなさに面倒になってきたり、
いろいろ考えすぎて逆になんて言っていいかわからなくなったりで
私のほうがだんまりになってしまうことも。
で、「ちゃんと返事して」と三女に怒られる始末(-_-;)
これって、元旦那と私みたい・・・
あんなに返事をしない旦那に怒っていた私が、今では娘に同じこと言われてるよ・・・(ノД`)・゜・。
元旦那も、私と同じ気持ちだったのかな。
ごめんねーーー元旦那。
それはともかく、三女とはいつも同じような内容で同じことを繰り返している気がしたので、ノートに書いて自分の考えてることを整理してみた。
相手と対立して、自分の言いたいことも分からなくなっているのに、これこそ「ノートとペン」の出番だよね。
で、おかげで結構整理できて、三女に本当に伝えたいことがはっきりしました。
もしこの先、人と揉めるようなことになった時、その場で自分の気持ちがわからなくなってしまっても、ノートとペンで整理していけば大丈夫だなって思えました。
というわけで、
こういうのって、慣れの問題もあるし、場数の問題もあると思うけど、
落ち着いてノートとペン!
と思いました。
失敗と向き合えない私ですが、
要は、失敗から逃げている。
逃げている。
夫と言い争いになるのが怖くて夫と向き合うことを避けてきた。逃げてきた。
私はそもそも、失敗や間違いだけでなく、他のいろんなものから逃げているのではなかろうか?
確かに、逃げることも大事な時はあるよ。
今までは「逃げ」が私のためだったのかもしれない。
人間どんなこともでも、自分の得になる方を取るらしいからね。
現実はどうあれ、究極の選択でまだましと思える方を無意識に選んでいるらしい。
そこら辺のことは、ナリ君や心屋さんもブログで書いてるのでそれ読んでもらえたらいいと思います。
そこで、なにから逃げてるか書き出してみた
1失敗すること 2失敗やミスを認めること 3相手と話し合うこと 4相手と戦うこと 5面倒なこと 6深く感じること |
1~4は大体今まで掘り下げてきたことなんだけど、今回出てきた5、6について書いてみたいと思います。
5面倒なこと
面倒くさいという理由で後回しにして、でもそれが自分の中で引っかかりながらもそのままにしていること。
これも、ある種の逃げなんじゃないかなーと思います。
面倒だからやらないのも、自分を大切にする一つでもあるし、それでいいんだけど、やらないことで自分の中に何か引っかかりが残るのなら、それはやったほうがいいことかもしれないし、まだそこに掘り下げるポイントがあるのかもしれないので、「面倒だから」の一言で片づけないようにしたい。
6深く感じること
掘り下げる作業をやっていて、掘り下げた先で「(。´・ω・)んん?」って思うものに出会うんだけど、それって、文章化された状態で出会ってるんじゃなくて、固まりで見つかる。
そしてそれはどんなものか感じてみないと、どういったもの分からないし、文章化できない。
そういったことでも感じる力の大切さは実感したんだけど、
感じなければスルー出来る
↓
知らん顔できる
↓
なかったことにできる
↓
だれとも争わなくていい
そんなことをしている自分を発見しました。
っていうか、薄々気付いていて、でも、それが得策だかそのまま放置していたって感じかな。
でも、結局それが自分に我慢させることにもなっていて・・・。
これが一番胸が痛かったかも(>_<)
というわけで
私の逃げてる大全集
1失敗すること 2失敗やミスを認めること 3相手と話し合うこと 4相手と戦うこと 5面倒なこと 6深く感じること |
ゆるゆるふわふわの向上性のない生活をしながらも、
しばらく、これらに気を付けて暮らしてみたいと思います。