癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

失敗と向き合えない私

2019-03-01 17:51:36 | 気付いたこと
とりあえず、今のところの結論。

 

 

 

 

 

つらつらと、思うままノートを書いてみて、

 

 

 

 

 

私が失敗を極度に恐れるのは、怒られてめっちゃ怖かったことに起因しているようだけど、

 

 

 

 

 

いつも思いつくままにノートを書いてるので、もう、どこでどうなったのかわからないけど、

 

 

 

 

 

ふと、ナリ君の子育ての記事に出てきた、「責任力」という言葉にとても引っかかった。

 

 

 

 

 

 

 

失敗を認めたくない

 

ミスを認めたくない

 

 

 

 

 

こんな私は、とても責任力の低い人間なんじゃないかと・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗を極度に恐れるのは、失敗しても責任が取れないと思うから。

 

 

 

子育てにしても、何か起きて

 

 

 

(例えば子供がニートになって大人になっても私が養わないといけないとか)

 

 

 

私が責任を負うことになったらと考えると、責任取れないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、このまま、責任力の低い自分を責めたら何にもならないんだけど、

 

 

 

 

 

 

 

失敗とか責任とか、おおごとに考えすぎているのかもしれない。(ナリ君の本に書いてあった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

将来、子供に

 

 

 

「お母さんのせいで私がめっちゃ不幸なのよ!」

 

 

 

とか

 

 

 

「産んでなんて頼んでないのに!」←(すでに言われたことあるし、自分も言ったことあるけどね。)

 

 

 

とか言われたら

 

 

 

 

 

「あらー、ごめんねー。てへぺろ(´▽`)」

 

 

 

 

 

で、済ませようと思う(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと話はそれるけど、

 

 

 

さっき気づいたけど、

 

 

 

昔あんなにつらい目にあって、とか

 

昔あんなひどい目にあって、とか

 

 

 

いうわりに、

 

 

 

幸せなこと受け取り拒否するよね。

 

 

 

自分のこと後回しにしたりさ。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、これも、今まで受け取り下手で来ちゃったから、

 

 

 

慣れとか練習が必要なのかもしれないなーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと、やっぱり、自分のために「はあ!ふざけんなてめー!」って戦えないところも、自分で自分に嫌気がさしているところなんだと思う。

 

 

 

 

 

わかるよ、いろいろ考えちゃって、後々のこと考えるとできないんだよね。

 

 

 

 

 

でも、結果的に逃げてる感満載で結局自分がつらくなってるんだよね。

 

 

 

 

 

これも、やってみないとなーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒマにゆるゆる暮らすつもりが、結局なんだかんだでいろいろ考えさせられちゃったよ。やれやれ。

 

 

 

 

 

でも、ホントーーーにヒマにゆるゆる暮らそうと思うと、自分が避けてることとか逃げてることがあると居心地悪くてできないんだろうなーーー。

 

 

 

 

 

 

 


えせポジティブを考える

2019-03-01 09:43:05 | 気付いたこと

とりあえず、えせポジティブ・・・。

ずっと、掘り下げ作業をしてきたけど、





まさか自分の「成長」「成果」を目指す姿勢が、自分のミスや自分の失敗を認められないから



ソレを見ないための



逃げ



だったとは、自分のことながら驚いた。




「成長」・「成果」を望む私 = ミスや失敗を直視ししたくないという逃げてる私




なんかもう、笑っちゃうよね。




結局振出しに戻った感じ


 

私自身がこの世に対して不満がいっぱい



子供もきっとこの世に不満を持つに違いない



その通りになっている証拠を探す



証拠が見つかる



ほら、やっぱり、子供もこの世に不満がいっぱいだ





子供も不満がいっぱいなので、「私がこの世に不満がいっぱい」の正当化をしているのかもしれない。




ホント、生まれてきたくなかったのに、って真剣に思ってますから。



さて、正当化してどんないいことがあるのかなー?





・・・、結局、私の親が悪いのよ、

って、親のせいにしておきたい・・・のか?

産んだ親のせいにしたい・・・のか?





どちらにしろ子供時代の恨みがいーーーーーーっぱい溜まってるんだろうな。







過去に、「私がこの世に不満がいっぱいだから子供も・・・」という流れに気付いて、



「じゃあ、私は生まれてきて良かったって思えるように生きよう」と思って生きていました。



結局これも、えせポジティブだったんですね。

 




だって、生まれてきたくなかったっていう気持ちは実際に私のなかしっかりあるのだから。




それを無視していい風に生きようなんて「生まれてきたくなかった」って思ってる私が許さないんだと思います。

 



まずその気持ちと向き合うことからなんでしょうね。




というわけで、どうしてそう思ったのか、思いつくままに書いてみました。

 

親が怖すぎ、叩かれるし

大人たちは喧嘩するし

それって見ていてこわいし

我慢をいっぱいしないといけない

学校も我慢がいっぱい

私を大切に扱ってもらえないし

貧乏なのもイヤだった

自分が頭悪くてブスで暗くて運動音痴なのもイヤ

欲しいものは我慢しないといけないし

食べたくないものを食べさせられた

美味しくないものも食べさせられた

ツラいことがいっぱい

 

  

 

正当化したいのは、

 

 

 


苦しんだ私が浮かばれないから?



かわいそすぎるから?







今は、自分のつらかった気持ちと向き合いたと思いますが




掘り下げの底にたどり着くと、「どちらを選ぶか」しかないように思います。





「この世は生まれてきたくないと思っちゃうくらいろくなところじゃない」という強烈な思い込みは、自分がいつの間にか選んで信じ込んだものなので、



逆に「この世は生きるに値する世界」と思いこむことも可能なはずだと思います。



「この世は生まれてきたくないと思っちゃうくらいろくなところじゃない」と思いこむに至る証拠がたくさんあったんだと思いますが、



自分がもう少し世界に対して心を開いていたら、また違ったとらえ方ができていたのではないかと思います。



ということは、やはり、気持ち次第で今とは違う信念を自分に持たせることができたかもしれないということ。



確かに、「自分がもう少し世界に対して心を開いていたら・・・」という条件が必要になってきますし、



その時は「この世は生まれてきたくないと思っちゃうくらいろくなところじゃない」と思いながらも生きるて行くことが自分の中の最善の策だったのかもしれません。





だけど、ここまで気付いたら、「選びなおす」が今の最善の策なのかなと、思うのです。





ツラかったことをなかったことにするのではなく、それを糧に、次を選ぶだけ。





選んだら、そう思い込んでみる。




心屋さんなどでよく言われる



「どーせ愛されてる」って信じてみるとか、ですよね。

 


そうしたら、その証拠が集まってくる。



やってみないとわからないけど、やってみるしかないかな(笑)