とりあえず、えせポジティブ・・・。
ずっと、掘り下げ作業をしてきたけど、
まさか自分の「成長」「成果」を目指す姿勢が、自分のミスや自分の失敗を認められないから
ソレを見ないための
逃げ
だったとは、自分のことながら驚いた。
「成長」・「成果」を望む私 = ミスや失敗を直視ししたくないという逃げてる私
なんかもう、笑っちゃうよね。
結局振出しに戻った感じ
私自身がこの世に対して不満がいっぱい ↓ 子供もきっとこの世に不満を持つに違いない ↓ その通りになっている証拠を探す ↓ 証拠が見つかる ↓ ほら、やっぱり、子供もこの世に不満がいっぱいだ |
ホント、生まれてきたくなかったのに、って真剣に思ってますから。
さて、正当化してどんないいことがあるのかなー?
・・・、結局、私の親が悪いのよ、
って、親のせいにしておきたい・・・のか?
産んだ親のせいにしたい・・・のか?
どちらにしろ子供時代の恨みがいーーーーーーっぱい溜まってるんだろうな。
過去に、「私がこの世に不満がいっぱいだから子供も・・・」という流れに気付いて、
「じゃあ、私は生まれてきて良かったって思えるように生きよう」と思って生きていました。
結局これも、えせポジティブだったんですね。
それを無視していい風に生きようなんて「生まれてきたくなかった」って思ってる私が許さないんだと思います。
まずその気持ちと向き合うことからなんでしょうね。
今は、自分のつらかった気持ちと向き合いたと思いますが
掘り下げの底にたどり着くと、「どちらを選ぶか」しかないように思います。
「この世は生まれてきたくないと思っちゃうくらいろくなところじゃない」という強烈な思い込みは、自分がいつの間にか選んで信じ込んだものなので、
逆に「この世は生きるに値する世界」と思いこむことも可能なはずだと思います。
「この世は生まれてきたくないと思っちゃうくらいろくなところじゃない」と思いこむに至る証拠がたくさんあったんだと思いますが、
自分がもう少し世界に対して心を開いていたら、また違ったとらえ方ができていたのではないかと思います。
ということは、やはり、気持ち次第で今とは違う信念を自分に持たせることができたかもしれないということ。
確かに、「自分がもう少し世界に対して心を開いていたら・・・」という条件が必要になってきますし、
その時は「この世は生まれてきたくないと思っちゃうくらいろくなところじゃない」と思いながらも生きるて行くことが自分の中の最善の策だったのかもしれません。
だけど、ここまで気付いたら、「選びなおす」が今の最善の策なのかなと、思うのです。
ツラかったことをなかったことにするのではなく、それを糧に、次を選ぶだけ。
選んだら、そう思い込んでみる。
心屋さんなどでよく言われる
「どーせ愛されてる」って信じてみるとか、ですよね。
そうしたら、その証拠が集まってくる。
やってみないとわからないけど、やってみるしかないかな(笑)