ちょっと前に戻るけど…
息子に会いに東北に行って来マシタ。
道中、いくつか写真を撮ってきたので
実際、迷った。
観光気分で撮る写真とは違うので、
興味本位のように写していいのか? …と。
でも、決してただの興味本位じゃない。
現地に行かない人でも、Mのブログに遊びに来てくれる人に
現状を見て貰おうと思った。
仙台港から三陸道を通って、途中から海岸線に出た。
それまではよく見るような、のどかな山の風景が続いていたのに
いきなり目の前の景色が変わった。
鉄道だと思う。トンネル近くでの崩落。
ここから、のどかな風景が一変。
気仙沼方面へ……
どこかの新しい道をつくるための工事で見るような景色だけど、そんな工事現場じゃなくてここら一帯は
住宅地だったと思う…
家の基礎が、ここには建物があったんだと主張しているから……
ずっとカメラを構えて、シャッターを押し続けていて……
言葉もなかった。
1年と1カ月前には、ここで普通に生活していた人がいたのに、
波がさらってしまった……
地元の人は一生懸命に気持ちを奮い立たせようとしている。
この「がんばろう南三陸町」の、のぼりが健気に見えて仕方なかった。
確かに被害の規模は大きい。
未曾有の大災害といいながら、対応はいつも通り四角四面。
M達の応援は、本当に届いてる?
そんな疑問ばかりが、頭の中をグルグルまわる。
被災地はひたむきに前進しようという気持ちが見えるのに、
そこから遠く離れたM達は、去年の気持ちと比べて温度が下がっているよね。
忘れないって言いながら、本音を言えば実際忘れているほうが多いよね。
でもみんな生活があるから仕方ないし、当たり前だと思う。
思い出したとき、また応援すればいいんじゃないのかな
無理のないように復興するまで見守るつもりで。
でも、政府がここの復興を忘れたふりをするのは許せない。
フクシマの原発だけじゃないデショウが。
やることは沢山あるし、お金の分配だってまだジャン!
ダーが「テレビで見た」と言ったラーメンバス。
建物が何もなくなってしまって、野ざらし状態だったけど、
暖かい場所で食べてほしいために、バスの中にラーメン屋を作ったと店主が言ってたという。
Mは見てないので知らなかったけど、やはり素早く動くのは民間で働いている人なんだよね。
本当の苦労は、机に向かって仕事をしているお役人には絶対分らないと思った。
現地を見に来ても、やっぱり他人事らしい。
帰る家のある人はそういうものなのだろうけど、国を背負ってる人がそれじゃダメでしょうが。呆れる。
緑が消えて砂色ばかりの道を暫く走ると、色とりどりの賑やかなものが現われてきた。
困ったときに助けてくれた顔を知らない人に、お礼を言いたい気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
お涙ちょうだい的な報道をして、強引に「ありがとう」を言わせるマスコミは異常だと思っていた。
こんなふうに道路のあちこちで感謝の気持ちを伝えているのに、それ以上何を求めているの?
「お互い様」なんです。
そしてまた衝撃的な現実が道路沿いに続いてくる。
鉄筋だけが残された建物とか、しょっちゅうテレビで映されていた光景が目の前に広がる。
骨組みだけが残された建物もあったけど、Mには寸断された高架橋が信じられなかった。
その後も、甚大な被害を受けた海岸沿いを走って気仙沼に入った。
気仙沼の海岸通りも、瓦礫こそ撤去されたが閑散としたたたずまいが印象的だった。
小雨が降っていたせいもあって、Mの目にはひどく哀しそうに映った。
建物があったはずの場所に、基礎だけが残って寂しげに見えた。
この道は震災当初、車の渋滞がすごくて逃げるに逃げられず、
幼い子を抱いたままの親の遺体が多く見つかったと地元の人が言ってた。
話を聞く度に、泣くつもりはないのに泣いてる。
どんなに大変だったか聞いても、実際にその場所で恐怖に襲われた人の体験は、
Mには分らない。
多分、こんなカンジなんだろうな……と、人生で最悪のことを考えても
今回の大震災のような経験をしたことのないMには分ってあげられなくて、
申し訳ないという気持ちになっていく……
当たり前のことだけど、分ったふりすらできない……
でも、今後のことに関しては、何かほんの少しでも手伝うことはできるはず。
震災から1年と1カ月後に、被災地に行ってそんな気持ちになった。