プラスアルファ

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不安な思いをウダウダ書き散らす日記

本来の目的・息子の話

2012年04月15日 11時39分39秒 | 辛辣うだうだ放題

今回、東北に行ったのは、
被災地を見に行くのがメインだったわけじゃないのよさ…

息子が仕事で赴任した先がたまたま気仙沼で、
たまたま被災した場所だった…という……
で、たまたま気仙沼の女性と結婚した。

たまたまの偶然が重なれば、必然とか言うのかちらん……

結婚してから相手の親に会うというのもナンだけどぉ…
ま、今の時代、何でもアリだから、
体調を整えないとならないMには助かりぃ~でしたわ。

で、
泊ったホテルは、テレビクル―が取材のために利用していたり、
ボランティアや、工事関係者なんかで一杯になるらしく、
一般の人は、なかなか予約が取れないとか言われたんだけど、
なぜかMはアッサリ予約が取れてしまった。


ホテルの大きな窓から海が見える。この手前は今は空き地だけど
波が建物をさらってしまった……

どこぞのテレビ番組で、お涙ちょうだいで綺麗にまとめるために
「それでも気仙沼の人は海のことを悪く言う人は誰もいませんでした」と、締めくくってたと言って
とても憤慨してた。

海で育って、海しか知らないけど、それでもまだ素直な目で海を見ることはできない。
色んなものを持ち去った海は憎いに決まってる。
でも、この海がなければ自分達もないのさ……と、地元の人は言ってた。

複雑なんだよね。
それをひと言で片付けようなんてさ……
そこ、一番大事なところなのに、端折っちゃうと意味が無くなるし……
メディアは当事者の事よりも、興味本位に見てる人の事しか考えてないもんね。
期待してもダメだけど、あまりにも現実とかけ離れたことしか取材しない。

きっと、東京から出て来るときに、机の前で考えたことを並べ直してるだけなんだろう。
そんな気がした。
まぁ、全部が全部じゃないだろうけど、最近のメディアの横暴ぶりはあまりにも目に余るもので。

…と、また文句たらたら・うだうだ書いたところで、話はやっと本題にはいる。
……と思う。ほんでもって、またすぐ脱線すると思う。

さてさて、
夜に嫁ちゃんの両親に会った時、初めて会った気がしなくて、いきなり意気投合してしまった。
色んな話を聞いた。
息子がどれほど大変な思いをしていたか、一番傍で見ていてくれた人が
詳細的に話をしてくれると、Mは最初はなんとかこらえていたんだけど、
不覚にも、こらえきれずにまた涙してしまった。
そんなに大変だったなんて……
想像もできなかった。

もちろん、息子も自分がどれほど大変だったかなんて、言うはずもないから
親はわかるわけもない。

どんなにその地域で仕事をしていても、所詮はヨソ者。
あのような未曾有の災害があった時、避難所に逃げ込んだ後は知った顔を探す。
近所の人、幼なじみ、誰か必ず一人はいるはず。
でも、ヨソ者には決まりきった仕事関係しか知り合いはいない。
住んでいる地域が違えば、仕事の関係者すらいない。

寒い体育館で、新聞紙一枚の上にひとり茫然と座っていたという。
息子にしてみれば、土地勘のないところで、
連絡網が途絶えてしまった今、どうやって生きていこうかと考えていたらしい。
素直に「絶望していた」と、言っていた。
余震はひどいし、帰る場所もない。
これでまた津波がきたら、本当にアウトだと思ったという。

沢山の人がいるのに、話し相手がいないのは何とも切ない。
不安な気持ちを語り合う人がいればまだ救われるのに。可哀想に……

その頃、
「ウチの所長、どうしてるだろう?」と、まだ結婚する前の嫁ちゃんがボソっと言うと
「よし、探しに行こう!」ということで、
嫁ちゃんと母親が二人でアチコチの避難所を探し回ってくれたらしい。
その時、もちろん彼女たちだって、被災しているわけで。
嫁ちゃんの母親の家も壊滅状態で、自分たちも別の避難所にいたのに。

嫁ちゃんの母親が、これまたものすごくおせっかいな女性のようで、
こういう人がいてくれて、息子は本当に助かったと思う。

避難所の駐車場で空を見上げてボォ~っとしてる息子を見て
「あ、ほらあそこにいた」と最初に見つけたのが嫁ちゃんの母親。
で、嫁ちゃんが
「え~? 違うよぉ、所長はもっとピッ! としてるから絶対違うって」と全面拒否。
しかし、実際近くにいくと息子だった……と。
笑っちゃった。
母親のほうがちゃんと見抜いてる。さすがだ。

てか、それくらい息子はうらぶれていたんだ……

その時息子は、避難所から出て歩いて電波の通じる街まで行こうとしていたらしい。
ちょうど雪が降ってきて空を見上げているところに遭遇したと言う。

この辺一帯は壊滅状態だから、歩いて行ったって、
10日経っても着かないぞと言って、
通れる道路を探して、嫁ちゃんの父親が車で電波の通るところまで乗せてくれた。

それこそ、街は瓦礫だらけで道路も寸断されていて、
しまいにはスタンドも津波にやられて、ガソリンが不足していた頃だったのに。
話を聞いていると、本当にありがたいやら、
M達は遠くで心配するだけで何もできずにいたのが情けないやら………

震災後は、ライフラインがまともに動き出すまでは
本当に大変な日々だったという。
3か月目にやっと少しだけホッとできたというけど、
それでもまだ街の中は瓦礫だらけ。

地震から2~3日後には、息子は職員さんの安否を確かめるために
歩いて家まで行ったというが、瓦礫の山を越え谷を越え、
いつもなら車で30分もあれば行きつくところでも1日がかりで歩いていたという。
帰ってきたら足ががくがくで、しばらく震えがとまらなかったとか。
で、それを教えてくれるのは本人じゃなくて、嫁ちゃんのお母さん。

自分の息子のように見守ってくれていたとは……感謝、感謝デありました。

街の様子はというと……
この先の色の変わった部分は生々しい話なので、嫌な人は避けて通って。

瓦礫の下には遺体が沢山あったし、海には沢山浮いていたという。
警察は手が足りないので、結局は民間人が船を出して回収したそうな。
その後のトラウマはひどいものだったらしい。

道路に散乱していた瓦礫の中から、不意に遺体を見つけたときも、
近くにいた住人が運んでいて、嫁ちゃんの知り合いは
遺体の運搬をするはめになり、強制的に手伝わされてたとか。

遺体といっても、体が五体満足のままで安らかな顔をしているわけではない。
焼け焦げた人もいれば、ちぎれてしまった人もいる。
訓練を受けている人でさえ顔をそむけるのに、
民間人にとっては、まるっきり初めての体験で、
悲惨な遺体を見た人は、暫くは食事がのどを通らなかったとか。

ものすごいトラウマだと思う。

しかも、あの未曾有の地震と津波を体験して、
身内や知り合いが亡くなって、帰る家もなくなって、精神的にかなり弱ってるだろうに、
まだ過酷なことが次々と課題として上ってくるんだから、
どこまで我慢を強いるの?

想像力のない人には、どれほど大変だったかは分らないだろう。
もっとも、Mだって一生懸命に想像力を働かせたけど、
……無理だった。分らない。

避難所で、もう飲むしかないっしょ…と、皆で飲んだりもしたらしい。
でも、何日かすると、飲んでるだけじゃ現実は変わらないということで、
奮起し始めたとか。

いきなり目の前の困難に立ち向かおうとしても、無理だよね。
自然の流れなのかもね。
でも、最後まで何もしないで酒におぼれている人も、やはりいるようで……

嫁ちゃんの母親は、息子の事を
「彼はいつも凛としてた」と言ってくれていた。
んまぁ、遠くから来た私達に最大のリップサービスと思ったけど、
お世辞とかそんなんじゃ絶対ないと言われ、
そうなんだ……そんなふうに映っていたのね……と、
少しだけ息子が誇らしかった。

M達大人は色んなことを涙あり、笑いありで話していると、
孫ちゃんが嬉しそうに歌い出す。
いつのまにかゴマをするための、小さなすりこぎを握りしめて
マイクにして歌ってた。
彼女はチビまる子そのもので、めっちゃひょうきんでMは大いにウケた。

この小さい体で大きな体験をしたなんて、考えるだけで泣けてくる。
彼女なりにあの凄まじい経験を受け入れているところが、すごいなぁ……と。

その辺の軟弱な大人に爪の垢を煎じてあげたいと思ったですよ。
Mも爪の垢をもらいたかったけど、すっかり忘れた……

誰からも好かれる人なつっこい性格は、この先も変わらずにいてほしい。

「こんど、さっぽろにあそびにいっていい?」と聞くので
「当たり前だよぉ。この前来てくれるって言ったのに、あんぱんまんに誘惑されたでしょ」と
恨みがましく言うと、ものすごく照れてた。

そういえば、座席のセッティングをした時、
向かい合わせに嫁ちゃん家族、M家とセッティングして
最初は子供用の箸を嫁ちゃん側に置いていたという。

嫁ちゃんの母親が気付いた時には
M家のほうに、小さな箸が置かれていて
「あら、間違えた…」と言って、一度戻したらしいのに
気がつくとまたM家側にあった……と。

こっちはM家だから、孫ちゃんはコッチだよと言っても
「こっちがいいの」と、またお箸を戻していたという。

息子が4月から気仙沼ではなく、石巻での勤務になったので
社宅が1DKしかなく、仕方なく単身赴任している。
孫ちゃんは、息子が大好きで一時でも長く傍にいたいらしかった。
その健気な行動に、ふと笑みがこぼれる。

父親ってのは、どこの家庭でも相変わらず陰が薄いっすね。
Mのブログでも陰が薄いっすね……

嫁ちゃんの父親は、気仙沼で会社経営していて、
ちょっとした名士というか、有名な人なんだけど、
演技ではなく、本当に腰の低い人だった。

今回の津波で会社はなくなったけど、
一番早くに再建したツワモノ。
従業員を路頭に迷わすことはできない……って。

でも、普段はものすごくシャイな人で、
あまりお酒も飲まないし笑った顔も珍しいと言うけど
あの日は最初から最後まで笑いどおしだったし、
よく飲んでいたし、喋ったし、それ以上に人の話をよく聞いている人だった。

嫁ちゃんも、母親も目を丸くしていたのが印象的だった。
それほど、嬉しかったんだと嫁ちゃんの母親は言っていたし、
息子は嫁ちゃんの父親にタイソウな信頼があって、
Mにも「息子の事は大丈夫だから、心配しないで」と、言ってくれた。
しみじみ、ありがたいと思ったデスね。

良い人達の中で、息子は本当に幸せ者だと思ったデアリマスよ。
まずは、良かった良かった……
チャン・チャン♪

相変わらず話がまとまらなく長くなっちまったぜぇ……

長々と読んでくれてありがと~~っした。

てかね~~、
ちょっと背筋が寒くなることを体験したんですわぁ。
忘れなければ次回ってことで……

Mはね、コワい話は嫌いなのよ……くすん……

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