元中日の権藤コーチの指導に関する話です。時代の変化があり、過去許されても、現在は許されないことも沢山あります。時代の変化を受けて、常識も変化しています。教育や、スポーツに暴力が介入することを止めない限り、不幸なことが続くと思います。日本の中で許されても、世界の中では暴力的指導は許されませんし、オリンピック委員会は暴力を否定していることを理解すべきです。
コーチの仕事、選手を前進させること
私の指導者としてのスタートは中日の2軍コーチだった。毎年入団してくる若い人たちをみていて再認識したのはプロ野球に入ってくるような選手は体格も運動センスも恵まれた、特別な才能の持ち主ばかりだということ。中学でも高校でも、誰に教わるわけでもなく速い球を投げたり、打球を遠くに飛ばしたりすることが出来ていた人だけが、プロへの入門を許されるのだ。
どの世界でも頂点を極めるような人は自分で成長のヒントをみつけ、課題を克服できる。だから、プロでトップを狙おうという選手に教えてうまくなるやつはいない、というのだ。
実際には自分自身の才能に気付かなかったり、失敗を重ねて自分の長所を忘れてしまうなどの理由で伸び悩むケースが少なくない。そこでコーチの出番となるわけだが、一番大事なのは選手に自信を回復させ、前向きに進む勇気を持ってもらうこと。それがコーチの一番の仕事だと思っている。
褒めてこそ選手は伸びる
昔、マラソンの渋井陽子選手らを指導する鈴木秀夫監督の話を読んだとき、わが意を得たり、と思ったものだった。
褒めて育てるのが信条という鈴木さんはミーティングをしない。力んでゲキを飛ばすこともないという。駅伝のゼッケンを渡すときも、とくに訓示はしない。「練習で全部教えているから、特にいうことはない」というのだ。練習ではこまごました指導をしているのかもしれないが、いざ選手を戦いの舞台にあげるにあたっては任せるしかない。私もまさに同じような考えで選手と向き合っていた。
ちなみに鈴木さんは高橋尚子選手らを育てた小出義雄監督の教え子であり、小出さんもまたそういう指導者だったのではないだろうか。
体罰を与えた方が伸びるか、褒めた方が伸びるか。これはもう褒めた方がいいに決まっている。それが私の40年あまりの指導経験による結論だ。
退任した柔道女子の園田隆二監督にとって指導とは「教えてうまくする」のが全てだったのではないか。一般的にはそれが当たり前だし「教えてうまくなるやつはいない」といっても、恐らく何を言っているのか、理解してもらえないだろう。
「教えてうまくなるやつはいない」は言い方としては極端だけれども、指導者のみんながこういう気持ちのかけらでいいから、持っていた方がいいのではないか。それが指導者としての心のゆとりにつながる。プレーするのは監督でもコーチでもなく選手だ。いくら手取り足取りしても、マウンドに上がった投手がいい球を投げてくれなければ駄目。指導者が自分の無力と、教えるということのむなしさを自覚したときに、選手を尊重する気持ちが生まれてくる。
「やるのは選手」の割り切り必要
プロ野球と同様、柔道の日本代表に選ばれてくるような選手はいずれもたぐいまれな才能を持っている人たちに違いない。同好会レベルの選手ならいざ知らず、金メダルを取るような選手は放っておいても自分に甘えは許さないはずだ。金メダルを取る人は殴っても殴らなくても取るだろうし、その器でない人は殴っても殴らなくてもメダルを取れないのだ。
柔道というお家芸を担う身として「是が非でも結果を出さなくては」と思うのはわかるし、その重圧は並大抵ではないだろう。負けても次があるプロ野球と、4年に一度の舞台で1回負けたらおしまいという世界を一緒にするなと言われれば、その通りだ。
それでもなお指導者は「しょせん、やるのは選手」という割り切ったものを、心のどこかにもっていないといけないと思う。
「そういう権藤さんは体罰をしなかったのか」というお尋ねも当然出てくるだろう。一回もしなかった、とは言わない。
1970年代に中日に高校からドラフト3位で入団した青山久人という投手がいた。バントの練習で失敗してもへらへらしていたのをみて、おしりに蹴りを入れたことがあった。
どんな理由があろうとも、そのような行為は許されない。ただ、コーチであれば褒めるばかりでなく、叱らなければいけないときも出てくる。
一番の長所、叱ってはいけない
叱るときに注意しないといけないのは、その人物の本質に関わる部分、一番の長所に関わる部分に触ってはいけない、ということだ。
私の仕事は投手を育てることだが「投球」という本筋に関わるところでガミガミ言ったことはほとんどない。青山もバントという“本業”ではないところで叱った。
自分はここで勝負する、それで生きていくしかないという核心的な部分で“駄目だし”をされたらどうだろう。スポーツの世界に限らず、自分のすべてが否定された気持ちになるのではないだろうか。負けることによって、一番悔しく焦っているのは当の本人だ。だから、そこを叱るときは本当に慎重にしないと選手の傷口に塩をすり込み、萎縮させるだけの結果に終わってしまう。
柔道女子のチーム内で、そういうことが起こってしまっていたのではないだろうか。園田前監督もその手腕と情熱を見込まれて起用されていたはずだ。日本一のコーチとして、その地位についていたのだろう。それだけに残念だし、組織運営の難しさを痛感させられる。
体罰というと、鉄拳で知られた西本幸雄さんを思い出す。阪急、近鉄を率いた名将だ。今後は体罰を加えるような監督は何度優勝したところで、名将と言われることはないだろうから、あくまで「そういう時代もあった」ということとして書いておく。
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コーチの仕事、選手を前進させること
私の指導者としてのスタートは中日の2軍コーチだった。毎年入団してくる若い人たちをみていて再認識したのはプロ野球に入ってくるような選手は体格も運動センスも恵まれた、特別な才能の持ち主ばかりだということ。中学でも高校でも、誰に教わるわけでもなく速い球を投げたり、打球を遠くに飛ばしたりすることが出来ていた人だけが、プロへの入門を許されるのだ。
どの世界でも頂点を極めるような人は自分で成長のヒントをみつけ、課題を克服できる。だから、プロでトップを狙おうという選手に教えてうまくなるやつはいない、というのだ。
実際には自分自身の才能に気付かなかったり、失敗を重ねて自分の長所を忘れてしまうなどの理由で伸び悩むケースが少なくない。そこでコーチの出番となるわけだが、一番大事なのは選手に自信を回復させ、前向きに進む勇気を持ってもらうこと。それがコーチの一番の仕事だと思っている。
褒めてこそ選手は伸びる
昔、マラソンの渋井陽子選手らを指導する鈴木秀夫監督の話を読んだとき、わが意を得たり、と思ったものだった。
褒めて育てるのが信条という鈴木さんはミーティングをしない。力んでゲキを飛ばすこともないという。駅伝のゼッケンを渡すときも、とくに訓示はしない。「練習で全部教えているから、特にいうことはない」というのだ。練習ではこまごました指導をしているのかもしれないが、いざ選手を戦いの舞台にあげるにあたっては任せるしかない。私もまさに同じような考えで選手と向き合っていた。
ちなみに鈴木さんは高橋尚子選手らを育てた小出義雄監督の教え子であり、小出さんもまたそういう指導者だったのではないだろうか。
体罰を与えた方が伸びるか、褒めた方が伸びるか。これはもう褒めた方がいいに決まっている。それが私の40年あまりの指導経験による結論だ。
退任した柔道女子の園田隆二監督にとって指導とは「教えてうまくする」のが全てだったのではないか。一般的にはそれが当たり前だし「教えてうまくなるやつはいない」といっても、恐らく何を言っているのか、理解してもらえないだろう。
「教えてうまくなるやつはいない」は言い方としては極端だけれども、指導者のみんながこういう気持ちのかけらでいいから、持っていた方がいいのではないか。それが指導者としての心のゆとりにつながる。プレーするのは監督でもコーチでもなく選手だ。いくら手取り足取りしても、マウンドに上がった投手がいい球を投げてくれなければ駄目。指導者が自分の無力と、教えるということのむなしさを自覚したときに、選手を尊重する気持ちが生まれてくる。
「やるのは選手」の割り切り必要
プロ野球と同様、柔道の日本代表に選ばれてくるような選手はいずれもたぐいまれな才能を持っている人たちに違いない。同好会レベルの選手ならいざ知らず、金メダルを取るような選手は放っておいても自分に甘えは許さないはずだ。金メダルを取る人は殴っても殴らなくても取るだろうし、その器でない人は殴っても殴らなくてもメダルを取れないのだ。
柔道というお家芸を担う身として「是が非でも結果を出さなくては」と思うのはわかるし、その重圧は並大抵ではないだろう。負けても次があるプロ野球と、4年に一度の舞台で1回負けたらおしまいという世界を一緒にするなと言われれば、その通りだ。
それでもなお指導者は「しょせん、やるのは選手」という割り切ったものを、心のどこかにもっていないといけないと思う。
「そういう権藤さんは体罰をしなかったのか」というお尋ねも当然出てくるだろう。一回もしなかった、とは言わない。
1970年代に中日に高校からドラフト3位で入団した青山久人という投手がいた。バントの練習で失敗してもへらへらしていたのをみて、おしりに蹴りを入れたことがあった。
どんな理由があろうとも、そのような行為は許されない。ただ、コーチであれば褒めるばかりでなく、叱らなければいけないときも出てくる。
一番の長所、叱ってはいけない
叱るときに注意しないといけないのは、その人物の本質に関わる部分、一番の長所に関わる部分に触ってはいけない、ということだ。
私の仕事は投手を育てることだが「投球」という本筋に関わるところでガミガミ言ったことはほとんどない。青山もバントという“本業”ではないところで叱った。
自分はここで勝負する、それで生きていくしかないという核心的な部分で“駄目だし”をされたらどうだろう。スポーツの世界に限らず、自分のすべてが否定された気持ちになるのではないだろうか。負けることによって、一番悔しく焦っているのは当の本人だ。だから、そこを叱るときは本当に慎重にしないと選手の傷口に塩をすり込み、萎縮させるだけの結果に終わってしまう。
柔道女子のチーム内で、そういうことが起こってしまっていたのではないだろうか。園田前監督もその手腕と情熱を見込まれて起用されていたはずだ。日本一のコーチとして、その地位についていたのだろう。それだけに残念だし、組織運営の難しさを痛感させられる。
体罰というと、鉄拳で知られた西本幸雄さんを思い出す。阪急、近鉄を率いた名将だ。今後は体罰を加えるような監督は何度優勝したところで、名将と言われることはないだろうから、あくまで「そういう時代もあった」ということとして書いておく。
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