“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

青年層の政治意識

2013年02月20日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
「週間金曜日」という週刊誌があります。2月1日号で、法政大学教授、週間金曜日編集委員である田中優子教授が、週間金曜日の社会的役割について、分析をしています。この週間金曜日は、日本政治の状況を憂え、改革したいと望む良心的知識人が編集委員を買って出て、運営されている雑誌です。その雑誌が昨年、12月総選挙で果たすべき役割を、果たせなかった。そのことを反省する内容です。

昨年年末の総選挙で20、30代の青年層がなぜ、投票に行かなかったのか。投票したいと思うような政治意識、政治行動がなぜ、青年層に沸きあがらなかったのか。なぜ、そのような役割を「週間金曜日」が担えなかったことへの反省です。

学生、青年層が抱える疑問、関心。学校とは何か。これからの人の働き方は何か。企業とは何か。選挙やデモは社会に何をもたらすか。グローバルリズムの功罪。未来は堂あるべきか。平和と戦争などなどに、どのような道があるかを指し示すまじめな議論、思想的試みなどが欠けている。あるいは多くの青年が読むことが出来、そのような理論誌があれば良いと思うのは田中教授だけではないと思います。震災、原子力発電所事故と政治問題、憲法改悪、新自由主義社会と貧困問題など日本の社会構造が病んでいます。青年層がもつ正義感、政治に対する関心がまじめに評価され、正常に発揮される社会、そのような正義が尊ばれる社会にしなければならないなと感じた考察でした。
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決める政治と決めさせない政治の価値

2013年02月20日 06時00分00秒 | 臼蔵の呟き
憲法学者樋口陽一さんが、決める政治と決めさせない政治の関係、重要性に関して考察しています。前民主党政権が自らを決められる政治実現が至上命題として位置づけて、消費税率引き上げの法案強行を行いました。その過程で、自公両党との談合を繰り返し、ミイラ取りがミイラになるという皮肉な政権運営に陥りました。民主党が政権に就いた最大要因が、自公政権の政治、政策提起を変更して欲しいとの国民の期待でした。その期待をことごとく裏切り、自民党野田派に行き着きました。

樋口教授は、二院制は多数決の横暴を戒める役割があるとしています。したがって、二院制は制度創設時から「ねじれ」を常態として想定していたと分析をしています。なぜならば、「多数決の横暴を戒める役割」を果たすために制度として創設されたからです。成熟社会は、軋轢、摩擦を制御しながら賢明な出口を見つけることである。それが成熟社会の正道であると。

ルソーは主権者を全体で捉えたとき「人民」、その構成員として公共のことがらに関る1人1人を指す場合、「市民」といったそうです。市民は、投票により、政治家、政党などを選択し、決定者としての役割を果たす。その半面で、監視者としての「市民」としても機能すると。市民がデモや集会に参加する場合、その多くは「決めさせない」ための行動が一般的である。市民的不服従が重要な政治的意味を持っている。

市民は高度なテクノロジー社会では様々な専門的で、高度な政治的、科学的な問題に直面する。その場合、専門家が原子力、金融、財政、医療、農業など職業倫理に忠実であろうとすれば、決めようとする政治に対して「決めさせない政治」のための役割を引く受けることが頻繁に発生する。彼ら専門家の思想、政治的独立と名誉を監視者として「市民」が支える。このことが「現在の価値ある課題である」。なかなか面白い視点、日本における政治状況を的確に分析している点で重要な指摘であると思います。

福島第一原子力発電所事故で、原子力ムラ住民、斑目委員長、東大、大阪大学、福島県立医大教授などの無神経な発言と行動が市民から批判をされました。この批判が政治的、法の立場からも正当である。このように理解することが出来ます。また、いままで電力会社、大手企業、原子力学会主流派からは「村八分」にされてきた良心的な科学者を「市民」が独立性、名誉を守るための声を上げることの重要性も肝に銘じたいと思います。

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