春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

近藤元次先生の13回忌

2006年03月20日 | 日記
今年は、近藤元次・元農水大臣の13回忌に当たる。3月9日夜、在京の関係者数名で偲ぶ会を開き、
彼岸入りの18日には新潟に行き、市内の真城院にある先生のお墓にお参りした。

先生が亡くなられたのは平成6年2月。死去の知らせに驚き、慌てて入院先の東京逓信病院に駆けつけたが、
変わり果てた姿に涙がとまらなかった。新潟市で行われた葬儀にも参列し、最後のお別れをした。
3回忌には佐渡に渡り、相川町にある先生のお墓にお参りし、7回忌には在京の人たちで偲ぶ会を開いた。

先生は63歳で亡くなられた。生きていれば75歳。現職衆議院議員では津島雄二、堀内光雄氏らと同い年である。
もし生きていたら、当然、議員を務められていたろうし、宏池会はいまみたいな分裂もなかったのではないか。
また、「加藤の乱」も起きなかったのではないかと思う。

洞察力の鋭さ、深さ、そして的確な判断、その上での調整、まとめには天性のものがあった。
それだけに、宮澤喜一氏は近藤先生を頼りにした。平成3年11月、宮澤総理は大臣経験者の先生を官房副長官に起用し、
与野党との折衝、政策の調整に当たらせた。1年9ヵ月の在任中、懸案のPKO法案を成立させたが、政治改革をめぐる
自民党内の対立など、この時期、あまりにも問題が多過ぎた。内政・外交と奔走しつつ、タイ訪問中に倒れた。

近藤先生には物事をなだらかに治めてしまう不思議な力があった。
大きな体を幾分前かがみにさせながら姿を見せると、その場が温かい空気に包まれる。相手の話をじっくり聞き、
その上で自分の意見をぽつりと言う。その一言一言に動かしがたい重みがあった。

「理屈」以上に「人間」がその場を制する。そのような人間はめったにいない。スケールの大きな政治家だった。

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