春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

「愛国心」と「祖国愛」

2006年03月22日 | 日記
「王ジャパン」がキューバを破って世界一になり、日本中が勝利に沸いた21日、日教組は東京都内で臨時大会を開き、
教育基本法の改正に反対する決議を採択した。教育基本法に「愛国心」や「郷土愛」を盛り込むのは断じて容認できない
というのが彼らの主張である。日教組が一部教師による偏向集団であるとはいえ、このような教師が教壇に立っているのか
と思うと腹が立つ。

「愛国心」について、藤原正彦氏は著書『国家の品格』の中で次のように述べている。
「愛国心」という言葉には、「ナショナリズム」(国益主義)と「パトリオティズム」(祖国愛)の二種類の考えが流れ込ん
でいる。「ナショナリズム」とは、他国のことはどうでもいいから自国の国益のみを追求するという、あさましい思想。一方
の「パトリオティズム」とは、自国の文化、伝統、情緒、自然をこよなく愛するという、人類普遍の思想。

この二つの思想、美と醜を混ぜ合わせた「愛国心」をつくりあげたのが明治以降の日本で、この二つの思想を峻別しなかった
ため、戦後、GHQ指導のもと、「愛国心」は戦争の元凶として捨てられてしまった。「愛国心」の否定が「祖国愛」の否定
にまでつながったところに今日の思想的混迷があると指摘している。

藤原氏は、「愛国心」ではなく、「祖国愛」という言葉を意識的に使いたいと言う。同時に、政治家や官僚にはある程度の
ナショナリズムが必要だとも言っている。なぜなら、世界中の指導者は例外なく国益しか考えていないからで、日本の指導者
だけが高邁な思想を貫いていると、日本は大損をする。安全や繁栄さえ脅かされる。

だから、国民は、ナショナリズムを敬遠しつつ、指導者たちのバランスあるナショナリズムを容認するという大人の態度が
必要だと言う。現実の世界を見ると、残念ながらダブルスタンダード(二重基準)で行くしか仕方がないというのが藤原氏の
見解だ。

政治家は「愛国心」という言葉を好んで使うが、それが国益を表現するものであり、国民が容認する範囲内であれば許される
という理解は極めて現実的である。

「祖国愛」という言葉の意味はすばらしいと思うが、GHQによって捨てられてしまったもののうち良質なものは取り戻すと
いう意味からも、今の日本人に必要なものは、やはり「愛国心」の方ではないかと思う。

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