終戦日の昼間ラジオの有る近所の畳屋の裏で、頭を垂れて聞いてた大人達の後ろで訳も解らず、普通なら背伸びしてのぞき込む筈の少年が、大人に合わせて頭を下げてた、そういえば国民学校2年か3年の時も校長先生が読み上げる教育勅語と何だっけ「天祐を保有しなんたら・・」も頭を下げて聞いていた。ラジオの放送が終わると大人達が皆「負けた負けた、クソッ」・・父はバラックの入り口で手に持ったブラシの束(焼ける前は町工場で工員も数人働いていた軍の測量器関係の部品を製造してた)を地面に叩き付けて悔しがっていたここでも「クソッ負けやがって・」大人達も聖戦を正しい戦争だと信じていたのだろう。
翌晩、暗くなった近所の焼け跡の一角に大人数人が集まって何か話し合っているようだった、話の内容はこれから日本は?或いは?自分達は如何なって行くんだろうか?未だ戦争がその時終わったのだと言う実感は無かったのではないか、呆然自失と言うのが大人達の心境だったと思う・・
その時暗い向こうから何か鼻歌を歌いながら近所の長嶋(名前だけ憶えてる)オッサンが大声で「オーワッタ、オーワッタ、・・」と言いながら、私達の傍を一升瓶ぶら提げて通りかかる、「これから何やっても良いんだな・・それを横目に、暗がりで大人達は夫々口でブツブツ言ってたようだが、皆オッサンを非難する様子は無いようだった、大人達がショックを受けて無力になったのはあの日一日だったのかも・・
父親は国民酒場の安物のアルコール焼酎?で脳軟化症で無くなった、享年63歳、集団疎開で栄養失調で病んでいた私を草津町から連れ帰ってくれた父に、父なきあと、83歳まで生きて施設で亡くなった母に感謝である。合掌・・・
台風が近づいて、今夜は雨だそうですが未だ今は・・・夕方の常盤平団地、未だ蝉が鳴いてます、飛んでます。ミンミン蝉がこんな近くで、山百合でしょうか雨、風で倒れなければ良いですが・・





翌晩、暗くなった近所の焼け跡の一角に大人数人が集まって何か話し合っているようだった、話の内容はこれから日本は?或いは?自分達は如何なって行くんだろうか?未だ戦争がその時終わったのだと言う実感は無かったのではないか、呆然自失と言うのが大人達の心境だったと思う・・
その時暗い向こうから何か鼻歌を歌いながら近所の長嶋(名前だけ憶えてる)オッサンが大声で「オーワッタ、オーワッタ、・・」と言いながら、私達の傍を一升瓶ぶら提げて通りかかる、「これから何やっても良いんだな・・それを横目に、暗がりで大人達は夫々口でブツブツ言ってたようだが、皆オッサンを非難する様子は無いようだった、大人達がショックを受けて無力になったのはあの日一日だったのかも・・
父親は国民酒場の安物のアルコール焼酎?で脳軟化症で無くなった、享年63歳、集団疎開で栄養失調で病んでいた私を草津町から連れ帰ってくれた父に、父なきあと、83歳まで生きて施設で亡くなった母に感謝である。合掌・・・
台風が近づいて、今夜は雨だそうですが未だ今は・・・夕方の常盤平団地、未だ蝉が鳴いてます、飛んでます。ミンミン蝉がこんな近くで、山百合でしょうか雨、風で倒れなければ良いですが・・




