今たたかわれている京都府知事選挙、それ以外にも多くの知事・市町村長選挙に国政では政策の違う与野党が相乗りしてきた。対抗馬を出すのは、日本共産党くらいという状況が続いてきた。
民主党は、相乗りを禁止する方針だったが、いくつかの選挙では相乗りしている。町村はともかく、市議会以上の規模の自治体は、おおむね政党化が進んでいる。所属政党が違うということは、政策が違うということだ。特に、府県や政令市・中核市の規模になると、国の政策の違いが鋭く対立することになる。その規模の自治体で「相乗り」することはどう考えても納得できない。同じ政策なら、少なくともその自治体の議会では同一会派を名乗ればいいのにそれもしない。
それと、「相乗り」は民主主義の上で決定的な欠点がある。住民・有権者の選択の機会を奪うことである。相乗りしている政党の皆さんは、「共産党に勝たせない」の一点で団結している。彼らの言うとおり、共産党が対抗馬を出せないような自治体となれば、それこそ無投票で知事や市町村長が決まるということになる。そんなことが何年も続けば、権力の魅力に魅せられて、政治権力は堕落・腐敗する。このことは歴史が証明している。
民主主義の基本は、有権者に政策の違いを訴えて、その政策を実現するために候補者を立てて選択してもらうことである。
それの選択肢が少ない京都府民は不幸である。
いや、今回こそ「相乗り」に納得できない方は、非相乗りで政治を転換させることが賢明な選択だろう。
民主党は、相乗りを禁止する方針だったが、いくつかの選挙では相乗りしている。町村はともかく、市議会以上の規模の自治体は、おおむね政党化が進んでいる。所属政党が違うということは、政策が違うということだ。特に、府県や政令市・中核市の規模になると、国の政策の違いが鋭く対立することになる。その規模の自治体で「相乗り」することはどう考えても納得できない。同じ政策なら、少なくともその自治体の議会では同一会派を名乗ればいいのにそれもしない。
それと、「相乗り」は民主主義の上で決定的な欠点がある。住民・有権者の選択の機会を奪うことである。相乗りしている政党の皆さんは、「共産党に勝たせない」の一点で団結している。彼らの言うとおり、共産党が対抗馬を出せないような自治体となれば、それこそ無投票で知事や市町村長が決まるということになる。そんなことが何年も続けば、権力の魅力に魅せられて、政治権力は堕落・腐敗する。このことは歴史が証明している。
民主主義の基本は、有権者に政策の違いを訴えて、その政策を実現するために候補者を立てて選択してもらうことである。
それの選択肢が少ない京都府民は不幸である。
いや、今回こそ「相乗り」に納得できない方は、非相乗りで政治を転換させることが賢明な選択だろう。