精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

発言の自由と責任

2010年04月24日 00時16分44秒 | 佐々木の想い

 「そんなこと言われなくても分かっている」と言われそうなタイトルだ。しかし、案外理解されていない。
 私たち地方議員にも、国会議員ほどではないが発言の自由=保障がされている。国会議員は、憲法で「国会内での発言について、外で責任を問われない」「開会中の不逮捕特権」などがあるが、私たちにはない。ただ、制度として発言の保障はある。例えば、発言取り消しの方法である。
 一般的には、「ごめん、言い間違えた」で済むことが多いが、議員としては発言に責任を持つ必要がある。なぜなら、その発言で他の議員の賛否が変わったり、住民の理解が得られる(得られない)ことがあるからである。事実に反する発言は論外である。しかし、人間である以上、勘違いもあるだう。その場合でも、他人・他の議員が(多数意見であっても)勝手に取り消すことはできない。もし、そんなことができるのなら、「多数派議員による少数派議員の発言封じ込め」=発言がなかったことにすることが可能になるからだ。だから、発言取り消しができるのは、本人か議長だけである。議長の場合も、乱用は禁じられており「明確に事実に反する」とか「他人のプライバシーや名誉を著しく侵害する」ような場合に限定されると解されている。
 私も長年議員をしていて、発言回数も多いので、中には「勘違い」「確認不足」により、誤解を与えたことがある。その場合は、率直に説明しも当事者に謝罪したことがある。人間として当然である。
 また、6期目の議員として、「明らかに事実と異なる発言」や「議会運営上不適切な内容・タイミング発言」に関しては、気がつけば指摘をしている。本人が気が付いていないなら、他の議員が指摘するのは当然だと考えているからだ。
 でも、そのことが素直に受け止められず、反感を買ったり、場合によっては(特定の場面だけを、ある立場で見れば「発言介入している」ように解釈できる)政治的に利用されたりすることがある。それに踊らされて、反響攻撃をしてくることもある。
 自分の都合だけを考えて保身的になろうと思えば「沈黙」が有利である。それでは、議会人としての責任を果たせないと考えてきたので、前述のような言動をしてきたが・・・・世の中には、(一部のマスコミもそうだが)ある部分だけを取り上げて批評する輩もある。そのことで、多くの方が誤解したままになることもある。民主主義にとっては「害悪」であるが、それを意図的にしてくる「悪意」の存在も否定できない。
 今、
  従来の姿勢を貫くべきか、
  必要以外のことは沈黙し、悪意のある攻撃から逃れるか
 という選択肢の中で揺れている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする