放浪うどん人 ☆これから うどんに 会いに 行きます。☆

うどん食べ歩きブログ
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平成を旅して・・・。

2019年04月30日 | 未分類

まもなく平成というひとつの時代が終わろうとしています。

この節目に、当ブログの記事から平成という時代を振り返りたいと思います。

いろいろと多くの思い出深い記事があります。

でも、すべてを紹介する訳にはいかず、頭にパッと浮かんだものをピックアップさせて頂きました。

 

まずはブログを始めて間もない平成21年にアップした記事から。

私はカミさんと一緒に生まれて初めて香川県を訪ねました。

香川県で最初に訪ねたのが「竹清」さんです。

下の画像の通り、ぶっかけうどんに半熟玉子天を載せていただきました。

当時はうどんの事なんてまるっきり分からなくて、

初めてのセルフ店にかなり戸惑ったのを覚えています。 

この時の記事は、画像が2枚だけというお粗末な記事で、かなり恥ずかしいものです。

本当は削除したいところですが、自分への戒めの為に残しています(笑)

 

次は香川県高松市のもり家さんへ訪ねた時の話。(平成21年にアップした記事から。)

この時期は、カミさんとよく香川県を訪ねていました。

夫婦共々、普通免許を持っていないので、移動はいつも公共の交通機関を利用。

この日、もり家さんへも琴電仏生山駅からバスを利用して訪ねました。

もり家さんでうどんを食べ終えた後、川東という停留所でバスを待っていた訳ですが、

出発時刻になってもバスが来ません・・・。

冬の17時過ぎだったと思います。

次第に日が暮れて行き、気が付けば夜空の下・・・。

この世界に私とカミさんしか存在しないのではないかと・・・そんな風に思わせる空の色でした。

出発時刻から15分経ってもバスは来ない・・・。

何だか取り残されたような不安な気持ちになりながらも、こういうわびさびも良いなと思ったりしました。

さらに10分ほど経過した時、向こうからバスが見えました。

バスの窓からこぼれる灯りを見て、私もカミさんもホッとしたのを覚えています。

 

次の思い出は平成22年にアップした記事から。

「第3回関西讃岐うどん三十三か所巡礼」で、カミさんと一緒にうどん屋さん巡りをしました。

ふたりとも「釜揚うどん桂ちゃん」で巡礼達成です。

達成してから数か月後、上の画像の通り、達成者パーティーに参加。

この時は「放浪うどん人」を掲げていない時で、まったく無名なブロガーでした。

なので周りは知らない人ばかり・・・かなり緊張していたのを覚えています。

でもこのパーティー、とても楽しかった。

実はこの達成者パーティの前日まで、カミさんは足を痛めて松葉杖をついていました。

パーティをあきらめないとダメかな・・・そう思っていたのですが、当日はすっかりと快復して、

パーティに参加できる事になったのです。

 

次の思い出は、平成23年にアップした記事から。

忘れもしない東日本大震災の日・・・。

平成23年3月11日、私は大阪市旭区の蔵十さんでうどんを食べていました。

うどんを食べ終えて帰宅した直後に地震が発生・・・。

テレビを見ると、津波の映像が各局で流されていました。

多くの被害を出し、多くの方が亡くなったあの大震災・・・。

私はその翌日の12日に、前日、蔵十さんでいただいたうどんを記事にしています。

その記事は、東日本大震災の事にまったく触れていませんでした・・・。

当時、いろいろ悩みながらも、”普段通りに過ごそう” そう思っていたのかもしれません。

震災の日、蔵十さんでいただいたのは「和風クリーミーうどん」(上の画像)です。

とても美味しいうどんでしたが、このメニューを思い出すたび、東日本大震災の事が、

今でも頭によぎりますし、忘れてはいけないと思っています。

そういう思いもあり、ある意味、忘れられないメニューとなりました。

 

次は平成24年にアップした記事から。

関西のうどん屋さんとうどん好きが一堂に会するイベント、

「関西うどん新麺会」へ初めて参加させていただきました。

この会で、多くのうどん屋さん、うどん好きとお知り合いになる事が出来て、とても楽しい会でした。

大勢の人と、一番仲良くしていた時期だったと思います。

 

でも、この数年後、私の歩いている道が、他の人達とは違った道である事に気づきました。

私と違う道を歩く人に対して、遠くから応援してあげる事は出来ても、

手を取り合って歩む事は出来ませんでした。

でも、それは仕方のない事です。

私が行く道は、私の人生そのものです。

私の人生は、私が責任を持って生きて行かなければならないのです。

 

次は平成24年にアップした記事から。

カミさんと一緒に北海道の旭川市を訪ねた時、偶然に見かけたのが↓↓こちらのお店。

「うどん茶屋 戯連堂(ケレンドウ)」さんです。

外観を見る限り、とても入りにくく、(お店に入るのに)勇気がいりました(笑)

店内も雑然としていて結構衝撃的だったのを覚えています。

でも、店主がとても優しい方で、しかもマジシャンで、

結果的にとても楽しいひとときを過ごせました。

上の画像は、店主が私にマジックを披露しているところです。

面白かったなー。(当時の記事はこちら。)

 

次は平成25年にアップした記事から。

大阪市旭区の「うどん蔵十」さんで「宴」というイベントが開催されました。

この前年、蔵十の大将が病を患い、お店が閉業する寸前までになりました。

でも、当時のお弟子さん(現:「うどんらんぷ若蔵」店主)と大将の奥様の頑張りで、

お店は閉業せずにすんだのです。

 大将も回復に向けて努力をし、その結果、厨房に戻る事が出来ました。

「宴」は「蔵十」の再出発と、お弟子さんの独立開業を祝うイベントでした。

蔵十さんを支える常連さんや、ブロガー、大将のご親友やお知り合いのうどん屋さんが集い、

素晴らしいイベントとなりました。

私も感動させていただきました。(当時の記事はこちら。)

 

次は平成25年にアップした記事から。

読売テレビ「大阪ほんわかテレビ ~昼ごはんでっせぇー!~」で、テレビ出演。

グルメレポーターとして、

「JUN大谷製麺処」の人気メニュー「かまたまーラ」と「白坦々饂飩」を紹介させていただきました。

これまで、通りすがりの様な感じでテレビに映った事はありますが、

しっかりと(番組上で)名前が紹介され、ピンマイクまで付けてのテレビ出演は初めての事。

かなり緊張しました(笑)

とにかく笑顔を絶やさずに過ごそうと、必死だったのを覚えています。

でも、この日は本当に楽しかったなー。

大谷さんと一緒にテレビに出演出来たのが、本当に嬉しかったです。 (当時の記事はこちら。)

 

次は母の一周忌で鹿児島県を訪ねた時の話(平成25年にアップした記事から。)

兄とふたりで大阪南港から、鹿児島県の志布志へフェリーで向かいました。

一周忌を機会に、母のお骨を、母の両親と兄妹が入っているお墓に納める為です。

母が青春を過ごした町を、丘の上から眺めた時、泣きそうになりました。(当時の記事はこちら。)

 

次は広島県江田島の話です。(平成25年にアップした記事から。)

大阪から広島県の江田島へ向かったわけですが、とにかく時間に追われる旅でした。

これまでの旅で、一番、時間に切羽詰まりました。

うどんを食べる為、お店に到着したのが11時6分頃で、帰りのバスが11時21分発・・・。

うどんはその15分の間で食べ終えなければいけない・・・。

11時21分発を逃すと、次は13時過ぎまでバスが来ない・・・。

本当に時間に追われ、かなり焦りました。

こんな旅は二度としたくないし、してはいけないと思いました。(当時の記事はこちら。)

 

次は香川県坂出市の「堂尾」さんを訪ねた時の話(平成25年にアップした記事から。)

当時89歳で、耳が遠い店主とメモによる筆談・・・。

別れ際「また必ず来ます」と伝えたのですが、再び訪ねようとした時は閉業されていました。

閉業される前に、もう一度逢いたかったなぁ・・・。

おばあちゃん、ごめんね・・・。(当時の記事はこちら。) 

 

次は平成26年にアップした記事から。

この日は友人のぱるさんと一緒に「うどんらんぷ若蔵」さんを訪れました。

その帰り際、同じ京阪沿線にある「手打ちうどん紅屋」さんを訪ねたのです。

私達がお店に入るや否や、紅屋さんの大将、ベニーさんが驚きの顔を。

なぜなら、私とぱるさん以外に、もうひとりサプライズな人物がいたからです。

その人物が誰かは、こちらの記事をご覧になってくださいね。

忘れられない記念すべき日になりました。

 

次は平成27年にアップした記事から。

東京の新宿にあるホテル、「ホテルグレイスリー新宿」のゴジラルームにカミさんと宿泊したこと。 

ゴジラファンの私にとっては、夢のような部屋でした。

宿泊者限定のゴジラグッズも頂けたし、ほんと楽しかった!(当時の記事はこちら。)

 

次はお知り合いの女優、

川嶋杏奈さんのクリスマスディナーショーの話。(平成27年にアップした記事から。)

大阪で有名なキャバレー「ナイトクラブ香蘭」で開催。

実はこちらのお店、このディナーショーが開催される数か月前に閉業されていたのです。 

それがこの日の夜、川嶋杏奈さんを応援している人達のご尽力により、

一夜限り復活する事になったのです。

人と人との繋がりを強く感じた、とても素敵な夜でした。(当時の記事はこちら。)

 

 

次は山口県での話。(平成27年にアップした記事から。)

JR徳山駅から徒歩7分ほどの場所にあるお店「手打ちうどんくうかい」さんを訪ねました。

こちらのお店で「ひやかけ」をいただいたのですが、これがとびきり美味しかった!!

私の中では、このお店の味を越える「ひやかけ(ひやひや)」は、まだ存在していません。

 

現時点で、まさしくベスト1の「ひやかけ」です。(当時の記事はこちら。)

 

次は香川県高松市の「メイドカフェ茶々娘」を訪ねた時の話。(平成27年にアップした記事から。)

こちらのお店、メイドカフェとはいえ「さぬきうどん全国制覇攻略本」に堂々と記載されています。

なので私達は訪ねる事にしたのです。 

この時は4人で香川県のうどん屋さん巡りをしました。

その4人の内、3人はメイドカフェ初体験。

後にも先にも、メイドカフェに入るなんて、これが最初で最後だと思います。

とてもシュールな世界でしたが、すごく楽しめました。(当時の記事はこちら。)

 

次は平成28年にアップした記事から。

ひとりで高知県を旅しました。

坂本龍馬ファンの私にとって、高知県は思い入れのある土地です。 

桂浜で龍馬さんの像を見た時は、とても感激して、しばらくその場から離れる事が出来ませんでした。

坂本龍馬記念館も見学できたし、美味しいうどん屋さんとも巡り会うことが出来た旅でした。

高知県へは、またいつか再訪したいと思っています。(当時の記事はこちら。)

 

次は富山県を旅した時の話(平成28年にアップした記事から。)

藤子不二雄A先生の作品「少年時代」の原風景を求めて富山県を訪ねました。

漫画「少年時代」は私の愛読書で、何度も何度も読み返している作品です。

何度も読み返している内に、漫画に描かれている風景を見たくなったのです。 

「少年時代」を読み始めて数十年・・・ようやく漫画の原風景を、この目で見る事が出来ました。

雪が残っている時期に訪ねる事が出来て良かったと、素晴らしい景色を眺めながらそう思いました。

また訪ねたい場所です。(当時の記事はこちら。)

 

次は熊本県を訪ねた時の話(平成28年にアップした記事から。) 

平成28年4月14日、熊本地震が発生した日です。

この地震で、熊本県は大きな被害を受けました。

そして私は思いました。

私に何かできる事はないか?

私がお金持ちなら、何億円だって寄付したい、でも私にそんな財力はない・・・。

どちらかと言えば私は貧乏だ・・・。

お金をあまりかけずに私が出来る事、ブログで伝える事しかない・・・そう思い熊本県へ向かいました。

その時、私にとても優しくしてくださったのが、FACEBOOKで知り合った、

熊本県天草の「松村さん家のパン屋さん」店主と、その奥様です。

私の人生で、大切にすべき友達が出来た瞬間でした。

友達って宝だと思います。

宝だからこそ、なかなか見つかりません。

偽物だってあります。

本物の宝が見つかる瞬間は、心の目が開きます。

松村さんご夫妻にお会いした時、警戒心の強い私の心の目が開きました。

お付き合いしている期間なんて関係ないのです。

本当に大切なものは、必ず心の目が開き、心が感じてくれます。(当時の記事はこちら。)

 

次はとある銭湯での話。(平成28年にアップした記事から。)

前夜、私は大阪市旭区で開催されたチャリティーイベント、

「リレーフォーライフジャパン大阪あさひ」に参加し、そのイベントの中で、

夜通し歩いていました。

夜が明け、歩き終えた時、朝から開いている銭湯へ行こうと、

イベント会場から10分ほど歩いたところにある銭湯へ向かいました。

その銭湯は、早朝でもお客さんの多い、人気のある銭湯です。

その銭湯の湯舟に浸かっていますと、目の前に大柄な人が湯舟に入って来ました。

ふと、その人の肩のあたりに目をやると、なんとまあ見事な絵が・・・。

周りを見ると、肩や背中に絵を描かれている人達が他にも数人いらっしゃいます。

私がこの時、どんな思いだったのかは、こちらの記事をご覧下さい。

 

次は平成29年にアップした記事から。

今は亡き、高畑勲監督のアニメ映画「火垂るの墓」を題材にした記事を作成しました。

『「火垂るの墓」の中にある「ひとでなし」』という記事です。

この記事にはかなり思い入れがあります。

記事を作り上げるのに、4ヶ月ほどかかりました。

何度も何度も原作本、小説、映画を観たり読んだりしました。

ロケ地にも数回訪ねました。

書いては修正のくりかえし・・・。

あっという間の4ヶ月でした。

ただ、この記事は、まだまだ未完成な記事なのです。

もっと伝えておくべき事があるような気がして・・・。

今後もロケ地に足を踏み入れ、その答えを見つけたいと思っています。(当時の記事はこちら。)

 

次は香川県をひとりで旅した時の話。(平成29年にアップした記事から。)

香川県をひとりで旅するのはこの時が初めてではありません。

でも、この時の旅は、これまでと違った旅をしました。

SNSで知り合った人達との出会い旅です。

こういう旅をしてみたいと思ったのは、「松村さん家のパン屋さん」での事があったからだと思います。

あの時のような出会いを求めていたのかもしれません。

それに、私がこれからやろうと思っている事の答えが、見つかりそうな気もしていました。

その予想はズバリ的中、唯々、うどんを愛して止まない人達ばかり。

それは決してマニアックなものではなく、目の前のうどんを、目を輝かして食べる人達でした。

私のブログで求めているものが、そこにありました。

また、香川県の名店「讃岐夢うどん 夢う」の大将と、貴重な時間を過ごせた事も、

忘れられない思い出となりました。

 

当時の記事は↓↓こちら

 

ベロタクシーに乗って。 - 赤灯台(せとしるべ)から、たばこや蒲鉾店へ

手打ちうどん ひさ枝 - マツタケうどん -

上野製麺所 - うどん県民が選ぶ名店 -

UDON FACTORYエビス(移転後) - ひやカレー -

手打うどん風月 - かしわ天ひやかけ -

丸亀の夜 穴場で食べた「ざるうどん」

セルフうどん麺太郎 - うどんもお肉も美味しい! -

さぬきうどん兵郷(閉店) - しみじみとこの一杯 -

うつ海うどん - 好みの一杯 -

讃岐うどん工房 I style(アイ・スタイル) - うどんバカ一代とあづまうどんのDNA -

たこ焼き マークン - たこ焼きうどん -

讃岐うどん えん家 - 歩けばお腹も減る -

 

次は同僚Sさんと一緒に、ふたりで関東を旅した時の話(平成29年にアップした記事から。)

この時は横浜からレンタカーを借りて、Sさんが運転で、水沢うどん・ひもかわうどん・耳うどん

加須うどんなど、各地の名物うどんを食べ歩きました。

特に印象に残ったのが「相模原の讃岐うどん屋 笑門」さんで、

「スペシャル海老天ぶっかけうどん」を食べた事。

私がすすめたメニューを、Sさんが嬉しそうに「美味しい!」と言って食べていたのが、

今でも印象に残っています。(当時の記事はこちら。)

 

次はカミさんと一緒に愛媛県へ行った時の話(平成29年にアップした記事から。)

以前から、カミさんと一緒に愛媛の道後温泉へ行きたい。

そして「うどん空太郎」さんのうどんを味わってもらいたいと思っていました。

私の念願が叶い、カミさんと一緒に愛媛を旅する事になりました。

もちろん「うどん空太郎」さんへも訪ね、カミさんに美味しいうどんを堪能してもらいました。

食べ終わった後、カミさんが「100点満点やな」と、空太郎さんのうどんを評価してくれたのが、

とても嬉しかったし、連れて来て良かったと思いました。

道後温泉本館にも訪ね、個室で坊ちゃん団子を一緒に食べて、楽しい時間を過ごしました。

また機会があれば、カミさんと一緒に訪ねたいと思います。(当時の記事はこちら。)

 

次はカミさんと一緒に広島県尾道市を訪ねた時の話(平成29年にアップした記事から。)

尾道は私の大好きな町です。

何度訪ねても、その都度新しい発見が出来る町です。

その大好きな町を、カミさんと一緒に歩きました。 

天気がとても良くて、とても楽しい旅でしたが、

高所恐怖症のカミさん、尾道水道が眼下に広がる、見晴らしの良い山道を、

恐怖に怯えながら歩いていました。

その一点だけは、楽しいとは言えなかったようです。

でも、その他は満足してくれたので、連れて来て良かったです。(当時の記事はこちら。)

 

次は香川県の屋島へ行った時の話(平成29年にアップした記事から。)

この日は、同僚Sさんの車で香川県を回りました。

同乗者は私とSさんの他に、大阪市浪速区のうどん屋さん「JUN大谷製麺処」の大将とです。

思えば、同僚Sさんの車で旅するのは、これが最後となりました。

この翌年に、Sさんは東京へ異動になったからです。

しかしこの時の屋島、とても楽しかったです。

水族館で行われたイルカ劇ライブ「爆裂海洋戦隊ドルフィンジャー」は面白かったなー。

大谷さんも凄く喜んでいたし。

水族館を見学したあと、屋島の展望台から夕陽を見ました。

それがとても綺麗で、同僚Sさんとの車での旅、その最後を飾るにふさわしい景色でした。

(当時の記事はこちら。)

 

次は東北地方を旅した話(平成30年にアップした記事から。)

平成29年12月に、ひとりで東北地方を回りました。

4泊5日という短い期間でしたが、東北のすべての県を回ることが出来ました。

どの場所も思い出深いのですが、特に印象に残ったのが、

山形県から宮城県石巻へ向かうまでの、電車の窓から見える景色・・・。

綺麗で雄大なのですが、同時に厳しさと淋しさを感じました。

また、石巻市を散策した時に、東日本大震災の恐ろしさを、目の当たりにしました。

復興への道のりが、まだまだ長い事も知りました・・・。

 

次は長野県を旅した時の話(平成30年にアップした記事から。)

長野県の名物うどん「おしぼりうどん」を食べるのが目的で、長野県を訪ねたのですが・・・。

印象に残ったうどんは「おしぼりうどん」ではなく、長野県松本市のうどん屋さん、

「うどん酒場 勝利」さんで食べたうどんです。

ゲソ天うどんにちくわ天をトッピングしていただいたのですが、

出汁をひと口飲んで、心がポッと温かくなったのを、今でも忘れていません。

いや、忘れられないです。

本当に美味しかった。(当時の記事はこちら。)

 

次は山梨県で吉田うどんを食べた話(平成30年にアップした記事から。)

大阪難波から夜行バスに乘って山梨県吉田市を訪ねました。

「桜井うどん」さん、「手打ちうどん美也樹」さんなど、美味しい吉田うどんを堪能しましたが、

中でも印象に残ったのが、「葭之池温泉(よしのいけおんせん)」です。

昔ながらの温泉宿(現在は宿泊出来ません、日帰りのみです)で、

古い浴場は、狭いながらも歴史を感じる素晴らしい温泉場でした。

また、休憩室で食べる事のできるうどんが、安価ながらも具たくさんの贅沢なうどんで、

 しかも美味しかった。

「葭之池温泉(よしのいけおんせん)」を訪ねたのが夕暮れ時でした。

帰りはすっかりと暗くなり、ほぼ真っ暗な夜道を恐る恐る駅まで歩いたのが、

今では良い思い出となっています。(当時の記事はこちら。)

 

次は沖縄県を旅した話(平成30年にアップした記事から。)

ちょうど昨年の今頃です、沖縄県をひとり旅したのは。

中でも印象に残ったのが沖縄そばのお店「てんtoてん」さんです。

とてもシャレていて、しかも美味しくて、スタッフの愛想も良い。。

お店の中には綺麗な空気が流れている様な感じがして、よどみがありません。

本当に癒しの空間でした。

あと、ひめゆりの塔などの戦争遺跡を訪ねた事も、私の人生にとって大きな財産となりました。

沖縄戦を体験した人達に比べたら、私の苦労なんて、全く大したことはありません。

むしろ幸せなんだと、そう思います。(当時の記事はこちら。)

 

↓↓こちらの記事もご覧ください。

 

HIMEYURI(ひめゆり) - 彼女達の涙 -

 

 

次は長崎県の五島を旅した時の話(平成30年にアップした記事から。)

坂本龍馬の祈り像と、龍馬ゆかりの碑を見学したくて、五島の有川港から江ノ浜へ行きました。

江ノ浜で無事に祈り像と碑を見ることは出来たのですが、

有川港へ戻るバスが3時間後でないと来ない・・・。

なので私は、有川港まで10キロほどの道のりを歩いて戻りました。

峠をいくつか越え、小雨にも降られ、なかなかしんどかったけど、戻れた時はとても充実していました。

何よりも、龍馬さんの歴史の一つに触れる事が出来たのが、とても嬉しかったです。

(当時の記事はこちら。)

 

 

次は今年、平成31年に入ってからの話。

今年2月に福岡県をひとり旅しました。

下の画像は、小倉南区北方にあるうどん屋さん「福ちゃんうどん」さんの店主を撮影しました。

何故このような撮影が出来たのか?

このお店のアットホームな雰囲気が、そうさせたのです。

詳細は、近々記事をアップしますので、それまでお待ち願います。

 

そしてこれが最後。

下の画像は兵庫県尼崎市の「讃岐うどん はるしん」で撮影したものです。

平成最後に食べたうどんが、はるしんさんの釜揚げうどんです。

こちらも詳細は、後日アップさせていただきます。

 

さあ、平成も本日で終わります。

私にとっての平成は、大切なものを私に与えてくれた時代でした。

カミさんとの結婚、日本全国の旅。

ブログを始める事も出来たし、応援してくれる人もいます。

私は幸せなまま、令和という時代を迎えることが出来ます。 

 

新しい時代でも、全国のうどんを食べ歩きたいと思います。

うどんの事を知らない人達が、うどんを好きになってもらえるよう、

よりいっそうブログに力を注ぎたいと思います。

全国にいるであろう読者の皆様に、寄り添うようなブログを目指しています。

表情のあるブログを目指しています。


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