ときめき

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薬師寺の写経

2013-05-03 11:50:11 | 日々の出来事
先日行われた薬師寺の「鬼追い式」の時、ご案内頂いたTさんに「私昔ですけどここで何度か写経をしたことがあります」とお話ししました。
するとその記録は調べられますよとおっしゃる。
私が書いた写経は堂塔経蔵に永代にお祀りしているそうです。

しばらくして嫁ぎ先住所で調べてもらったけれどないという。
そういえば実家に何年か住んでいたので昔の住所で調べてもらったら記録があり「集印帳」を再発行してくださった。



最初のページには昭和49年4月5日、同じく4月8日。
それからは8日ごとに5月、6月、8月に写経をしている。
もう39年前のことです。




そのきっかけは先天性心疾患で生まれた娘を49年3月に手術したのですが残念なことに術後の翌日2歳3ヶ月で亡くした。
その時は悲しいかな私も緊急入院をしていて同じ京大病院に二人して入院、手術を経験しました。
私の退院の日が娘の手術の日、車いすで娘を見送ったのが娘との最後となりました。

これまで生きてきた長い人生の中で一番辛い苦しい時期があの頃でした。
娘の葬式の時、高知から駆けつけた亡父が「自分の父親が死んだときには涙も出なかったけれど移動中ずっと涙が止まらなかった」と言った。
私には若いのに苦労しているなぁ。。。と声をかけて慰めてくれた。
私は逆縁で焼き場には行けなかったが父は娘の細い小さな骨を拾うのは居たたまれなかったとも言った。


その頃、薬師寺では高田 好胤管主が人気で写経勧道で金堂を復興させるという事を熱心にされていました。
色んなことに傷ついた心を慰めようと私も管主の本を読んだり直接お話を聞きたくて、その当時3歳の息子を連れて薬師寺に行ったんだと思います。

かたよらないこころ
こだわらないこころ
とらわれないこころ

ひろくひろく
もっとひろく
これが般若心経
空のこころなり


頂いたハガキに書いてあったこの言葉をみてわぁ~懐かしいと思わず声が出ました。
高田 好胤管主が大きな声で言い、その後に私たちが声を出して唱えていたあの言葉です。

その後私は京都に戻り薬師寺行きは難しくなってきました。
嬉しいことに妊娠しましたがつわりもきつく流産の危険性もあり、また心臓病の子供が生まれるのではないかと悩みながら長い間入院してやっと生まれたのが今の次女です。
その当時の色んなことが走馬灯のように目に浮かびました。

この私の写経の記録を数多くの写経の中から手作業で探して頂き、集印帳を再発行して頂いたTさん、本当にありがとうございました。
今は亡娘は息子の家にある仏壇で息子夫婦が手厚く奉ってくれていますし私も参ることができるようになり本当に嬉しく思っています。

今は幸せな日々を過ごせることに感謝してもう一度お写経を続けて行きたいと決意しました。
再びご縁を頂きありがとうございました。