磯端 / FUJICHROME Velvia 100F
結婚披露宴に出席。
新郎新婦は、初々しい中にも凛としたものを感じさせる好青年と秋田美人。
高砂に立つその姿は、門出にふさわしい輝きに溢れていました。
来賓祝辞が終わり、いよいよ乾杯の時。
音頭を取るのは、なんと私が中学時代にお世話になった先生でした。
所属していた部活動の監督でもあります。
教え子である新郎、そして新婦を祝福する言葉一つ一つに、
当時の先生そのものを感じる事が出来ました。
先生は大変厳しい指導でありながら、垣間見える懐の広い優しさのある方で、
よく怒られ、平手が飛んでくる事もしばしばあったものの、
良き教師、良き監督としての思い出が強く残っています。
中学時代ですからもう20年も昔の事。
時が経つのは本当に早いものだとつくづく実感してしまいます。
◆
恩師に直接感謝を伝えるのは、
当時、中学生のハナタレ小僧だった私には無理でした。
だからこそ、歳を重ね、様々な人生経験を重ねる事によって、
感謝の気持ちが強くなるのです。
一言その気持ちを伝えようとタイミングをみて先生のもとへ。
少しでも私の事を覚えていてくれればと思いながら声を掛けると、
まるで昨日の事のように覚えていてくれた先生がそこにいました。
それだけでありがたい気持ちになりました。
お世話になった感謝の気持ちを伝えると、
「ただ怒って、お前たちを走らせていただけだろ(笑)。」
という先生の返し言葉。
そして驚いたのが、私の「写真」における活動をご存じだった事。
私の性格までも覚えていて、また、当時から現在に至るまでの近況も語り合い、
そして、今後の活動に対する激励までして頂きました。
それだけに、ただただ頭が下がる思いでした。
先生と握手をする事なんて当時は考えられませんでしたが、
今は感謝と共に握手が出来た事、心の大きな財産となりました。
◆
何かの節目や機会を通しての出会いや再会。
音信不通でありながらも、または言葉少なくとも、
陰ながら見守ってくれる方々を想う事で、
たった一度の再会でも、大きな糧をもたらしてくれるように思います。
そして、再会に至るまでの「静かな蓄積」が、
人生に深みを与えているのではないかと考えたりもします。
ネットワーク端末等で日々、気軽に発信したり連絡を取り合える現代だからこそ、
そういった「静かな蓄積」の大切さを考えてみようと思います。