tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

親鸞聖人の続きを・・

2011-07-14 18:57:32 | 徒然日記
今年は浄土真宗の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌にあたり、東西本願寺では全国からの信者さんが参集され盛大に法要が営まれているそうです。
昨日「親鸞」の本を紹介いたしましたので、今日は親鸞聖人を読んだ俳句を紹介したいと思います。


「勿体なや 祖師は紙衣の 九十年」

この句の作者は、大谷句仏(俳号)、東本願寺第22世法主・大谷光演(元伯爵)、法名は「彰如」(しょうにょ)というお方の俳句です。

このお方は、東本願寺の法主でありますが、俳号の「句仏」の方が有名かも知れません。句仏とは「句を以って仏徳を讃嘆す」という意味だそうですが・・・。

この掛軸は句仏上人の中でも代表的なもので、多くの信者さんに分け与えたらしく良く見かけます。「祖師」とは、もちろん親鸞聖人のことであり、「紙衣」とは和紙を材料とした粗末な着物のことだそうです。



流罪を解かれた親鸞聖人は20年の長きに渡り、関東地方を旅をされながら布教されたそうですが、網代笠に杖を書き込んでおりますので、句仏上人はそんな宗祖親鸞を想い描いての句だったのでしょう.


本願寺が東西に分かれた理由は、豊臣秀吉の命により隠居させられていた教如上人(光寿)に徳川家康が寺地を寄進し東本願寺を建立させたことによりますが、真宗教団(当時は一向宗と呼ばれていました)の強大な勢力に危惧を抱いた徳川家康が、真宗教団の勢力を二つに分割したのではないかという説が有力です。

コメント (2)
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