今日も昨日から引き続いて親鸞聖人です。
この本は、親鸞聖人の残された手紙など膨大な資料を本文と現代訳とを併記しながら、生い立ちから入滅までを詳しく記した親鸞本の決定版だと思います。

紀野一義著 「わが親鸞」
師匠法然上人と同じく流罪となった親鸞聖人は35歳であったそうです。僧籍を剥奪され名前も「藤井善信」という俗名を与えられての越後への流罪でありました。しかし、親鸞聖人は、「僧に非ず、俗に非ず」を貫き通したといわれております。
流罪にされると、どんなに健常な人でも健康を損ね生き延びる事は難しいといわれておりました。
延喜式の定めによると、流人は、一人につき、一日米一升と塩一勺が給されるが、翌年の春に種子が支給され、秋の収穫期になると、米・塩・種子の支給は停止されるのだそうです。
流罪は、ただ生活環境の激変を与えるのではなく、精神的打撃を加えるのであるから、肉体的に頑丈に耐えられるだけでは、とうてい生き延びる事は出来ないといわれております。
このような極悪な環境の中で生き延びたのは、親鸞聖人と日蓮上人のみです。お二人とも、反骨の精神を高め、老廃もせず宗教的境地に深みを加えて行ったからだと著者は言います。
そして、お二人の広めたお念仏の信心とお題目の信心が、今日の日本人の仏教信心の大半を占めているのは、地獄を通り抜けてきた宗祖の骨の硬さを今日に伝えているからだと思う。(著者)
このような内容の本です。是非手にとって読んで欲しいと思います。
この本は、親鸞聖人の残された手紙など膨大な資料を本文と現代訳とを併記しながら、生い立ちから入滅までを詳しく記した親鸞本の決定版だと思います。

紀野一義著 「わが親鸞」
師匠法然上人と同じく流罪となった親鸞聖人は35歳であったそうです。僧籍を剥奪され名前も「藤井善信」という俗名を与えられての越後への流罪でありました。しかし、親鸞聖人は、「僧に非ず、俗に非ず」を貫き通したといわれております。
流罪にされると、どんなに健常な人でも健康を損ね生き延びる事は難しいといわれておりました。
延喜式の定めによると、流人は、一人につき、一日米一升と塩一勺が給されるが、翌年の春に種子が支給され、秋の収穫期になると、米・塩・種子の支給は停止されるのだそうです。
流罪は、ただ生活環境の激変を与えるのではなく、精神的打撃を加えるのであるから、肉体的に頑丈に耐えられるだけでは、とうてい生き延びる事は出来ないといわれております。
このような極悪な環境の中で生き延びたのは、親鸞聖人と日蓮上人のみです。お二人とも、反骨の精神を高め、老廃もせず宗教的境地に深みを加えて行ったからだと著者は言います。
そして、お二人の広めたお念仏の信心とお題目の信心が、今日の日本人の仏教信心の大半を占めているのは、地獄を通り抜けてきた宗祖の骨の硬さを今日に伝えているからだと思う。(著者)
このような内容の本です。是非手にとって読んで欲しいと思います。