tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

中山道「高崎宿から板鼻宿」まで歩く・・・

2020-12-14 17:20:13 | 中山道六十九次散歩

12月14日(月)

朝から気温が上がらず師走らしいお天気でした。

今日は、忘れないうちに先日歩いた中山道の備忘録です。

当日は、10時に集合して歩きだしました。

榛名草津道追分

最初に出会ったのは、自然石に彫られた道標でした。

加工された石ではないという、素朴な道標で、古街道を彷彿させてくれます。

八坂神社の下豊岡道標

江戸末期に草津温泉などの案内を目的に建立されたといわれ、正面には「榛名山 草津温泉 かわなか かわらゆ温泉 はとゆ」右側には、「神山三里 三ノ蔵五里半 大戸九り半」左側に「安中 松井田 横川」と彫られておりました。

若宮八幡宮

平安末期に源頼家、義家親子が奥州の安倍氏の反乱を制圧する途中に戦勝祈願のために建立したと伝えられております。江戸時代には新門辰五郎、そして、明治になって乃木希典大将などが参拝され一躍有名になり、参拝の人々でにぎわったと伝えられております。

達磨

高崎だるまは有名ですが、この地域では達磨作りが盛んで、高崎だるまのほとんどが生産されております。

日当たりの良いと頃に達磨さんが干されておりました。

飯野茶屋本陣

茶屋本陣というのは、茶屋とあるように、大名の参勤交代や公卿の昼食や休憩するための使われた施設をいいます。

群馬県指定文化財の碑

ここは、代々茶本陣に携わっていた飯野家の屋敷で、母屋、座敷、蔵、味噌蔵大門、等があった広大な広さがあったそうです。

無料開放しておりますが、要予約だそうです。

中山道の道標

中山道を歩いていると、ところどころに案内道標が建っております。

木製の道標で中々味わいがあっていいものです。

藤塚の一里塚

江戸日本橋から28番目の一里塚です。

復元整備されたものですが、旧状をとどめておりました。

一里塚

国道が拡張整備された時に、反対側の一里塚は取り払われてしまったといわれております。

樹齢400年といわれるムクノキが存在感を示しております。

冬ですので全景が見られました。

達磨屋さん

途中達磨の製造販売をしている工房に立ち寄って、達磨の歴史を聞いたりしました。

同行の方が達磨を買われておりましたが、ずっと大きな袋を下げておりました。

寒念仏橋供養塔

板鼻宿の念仏講の人達が、寒念仏で集めた浄財で石橋を改修したので寒念仏橋と名付けられたといわれておりますが、この碑だけで橋は無かった。

川の流れが変わったためだそうです。

 

八幡八幡宮大鳥居

地名にもなっております八幡神宮の大鳥居です。

ここから真っすぐのところに八幡様が鎮座されております。

八幡八幡宮本殿

村上天皇の時代957年荷、石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられております。

古くから、一国一社の八幡宮として尊崇されておりました。

代々源氏の崇敬が深く、源頼家、義家は奥州征伐のおり、必勝祈願し戦勝の結果、社殿を改築されたと伝わっております。

見事な彫刻

建物は神仏混合でそこかしこに仏教様式が見られるのも面白いと思いました。

社殿の周りには、見事な彫刻が巡らせております。

上州では、剣術道場が神社に額を奉納し掲げることが名誉なことといわれ、各道場が競って額を奉納したといわれておりました。

念流の額です。

この額と相対するように、一刀流の額が掲げてありました。

双体道祖神

歩きながら出会った双体道祖神です。

一時期あちこちの道祖神が盗難にあい、有るべきとこら以外から見つかり大騒ぎになりましたが、第三者からの購入という事でどうにもならなかったという話をよく聞きました。

お地蔵さま

地域の方々から大事にされているお地蔵様です。

榛名道標

「やわたみち」と刻まれており、文政年間の建立されております。

「やわたみち」は、上野国一宮八幡宮をさしております。

細かく

ちなみに右側は、「はるな、くさつ、ゆがわら、さわたり、・・・」とあります。

今でも観光の名所となっているところが案内されております。

板鼻宿

江戸から14番目の宿場で、本陣1、脇本陣1、旅籠54軒、そして人口1422人だったという記録が残っており、中山道上州7宿の中で最大の宿場だったそうです。

碓氷川、九十九川、秋間川の合流点で河川交通の集散地でもあったと云われております

マンホール

安中市は梅の一大産地ですので、梅がデザインされております。

長傳寺

正式な名称は、八幡山龍雲院長傳寺といいます。

彫刻の寺として有名で、この日は住職が丁寧に説明をしてくれました。

天文年間に高崎の八幡宮境内に開基された寺でしたが、八幡宮が戦のために焼失した際に、ここ板鼻宿に移転再建されたといいます。

本道の彫刻が素晴らしく、しばらく見ていても飽きない・・・

板鼻宿本陣跡の碑

海音寺潮五郎揮毫した碑です。

こことのご縁があったのでしょうか?

板鼻宿本陣跡

本陣は、建坪が167坪という広さで、木島家が勤めており、現在は板鼻公民館になっておりました。

本陣書院

書院が残されており、皇女和宮が江戸へ下向途中、文久元年1月10日の一夜をこの本陣で過ごされたのです。

書院内部(安中市HPより)

書院は、「皇女和宮資料館」として保存されており、使用した草履や料理用具、そして行列の様子を描いた巻物などが保存されております。

和宮の行列は、京都から1万人、江戸から1万5千人、人足4千人という膨大な数で、50kの長さになったといわれております。

板鼻堰

板鼻堰とは、板鼻地区から始まる全長15k野用水路の事で、今から400年前に造られたといいます。

板鼻宿の中心を流れる板鼻堰は、今でも豊かな水の流れと情緒豊かな風景は宿を訪れる人々を楽しませくれます。

生活用水

家々も足場を作り生活の上で大切な水場として利用していたそうです。

ホッとさせてくれる風景です。

鷹之巣橋

この橋をゴール間近な夕暮れにわたりました。

江戸時代には、橋は架かってなく夏は川越人足で渡り、冬は板の仮橋で渡ったそうです。

渡し跡があるそうですが、今回はスルー

仲宿一里塚

江戸日本橋から29番目の一里塚です。

最近建てられたようで、まだ新しいものでした。

最近の街道歩きブームで行政も動き出したようです。

板鼻庚申塔

上州一之宮への道標を兼ねた庚申塔で、享和2年建立されたものです。

「従是 一宮、大日街道」と記されております。

一宮とは、富岡に鎮座する貫前神社の事です。

ここから富岡は近いか・・・・

久芳橋

今回のゴールです。

この橋を渡ると安中宿です。

次回は、ここから出発です。

歩いた距離 13.9k

歩いた歩数 20.207歩

よく歩きました。

コメント (10)
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