tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

桜が咲きました

2011-04-09 11:50:17 | 徒然日記
大震災の後また大きな余震がありました。そんな中ですが、近くの城址公園に出かけて見ました。さすがに毎年見られる、花の下での大宴会は見られませんでした。
世の中自粛自粛の空気が行き渡り、日本全体が暗くなっております。でも、被災地の事を思うと・・・。となってしまうのでしょう。



そんな人間の気持ちなど素知らぬごとく花は咲き春を謳歌しております。やがて被災地にも春が訪れ花々が咲き始めるでしょう。そして、多くの人々を慰め励まし、そして、希望を呼び戻してくれる事でしょう。そんな事を願わずにはおられません。



公園に咲いていた藪椿です。こちらも、待ち焦がれていた春に競い合って咲いておりました。
人一倍春を待ちわびていた東北の人達に一日でも早く穏やかな春が訪れますように・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「心が疲れたとき読む本」 紀野一義著

2011-04-08 20:37:39 | 本棚の中から
「活字離れ」という言葉を耳にしてから随分たつような気がいたします。確かに本を読まなくなったのでしょう。街中の小さな本屋さんが次々と姿を消してしまう昨今です。よく通っていた本屋さんのシャッターを見る度に寂しさが胸を締め付けます。

人との待ち合わせなどで時間のある時は、本屋さんに入ります。本棚いっぱいに並んだ本に囲まれていると何だか幸せな気分になれるから不思議です。



この本は、若いころ駅の売店で購入して以来何度読んだことやら・・・。紀野一義著「心が疲れたとき読む本」よほど疲れていたのでしょうか。引かれるように手に取り、迷わず購入した思い出深い本です。
今でも、時々読み返しております。読むたびに新しい発見があるから不思議です。多分、その時の私の精神状態によって、文章がダイレクトに心に飛び込んでくる箇所があるのでしょう。・・・と思ってます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草々の植替え

2011-04-07 13:50:09 | 日常雑感
月曜から始めた山野草の植替えが終りました。およそ50鉢やっと終了です。
先週から、土を買い求め準備をしておりましたが、始めて見ると??無い・・・。再び買いに走り、吾ながらこの計画性の無さにガックリとしております。
それでも植替えはしなければなりません。私のこんな気持ちなど関係なく草たちの芽は日を追うごとに延びて行きます。もう明日・・・なんていってはいられ無い時期に突入しております。



材料は揃いました。写真の土は軽石の大・中・小・赤玉・桐生砂・昭和村の土を配分して混ぜたものです。

植替える鉢をゆっくり鉢から取り出して、びっしりと根詰りしている根を竹串と竹べらを使って丁寧にほぐして行きます。これは、力も要りますが、根気の要る作業です。こんな作業が3日間続きましたがやっと終りました。


植替えが終った野草棚です。

これからは、朝晩の水やりが欠かせませんが、早いものでは4月下旬には咲き始めます。そして、この野草棚は秋までの間花の欠く事はありません。順序よく花を咲かせます。

これから毎日楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謡曲「鉢の木」の舞台を訪ねて

2011-04-03 18:36:23 | 徒然日記
今日も諸般の事情でお祭りが中止となり一日が空きました。
3月27日の「謡曲の舞台を訪ねる」で出かけて行った「佐野の渡し」の近くに、謡曲「鉢の木」の舞台となった佐野源左衛門常世の屋敷跡があります。現在「常世神社」として、地域の人々により大切に守られております。



謡曲「鉢の木」どんな物語なのでしょうか。少し長くなりますが紹介しておきます。

ある大雪の日、諸国遍歴の旅の僧が上野国の佐野の渡しで夕暮れになってしまい、路端の貧しげな民家に一夜の宿を求めました。しかし、家の主人は貧しさのため、家はみすぼらしく、旅人をもてなそうにも何もしてやることはできないため断るが、雪の中で難儀しているのを見捨てることもできず、結局、泊めることにしました。

主人はなけなしの粟飯を炊き心ばかりのもてなしをしますが、暖をとる薪さえなくなってしまい、主人はやむなく大事に育てていた秘蔵の盆栽「梅」「松」「桜」の鉢の木を切って囲炉裏にくべ、火を焚いて旅の僧をもてなしました。



僧は篤い志に感動し、主人を由緒ある人と察し、強いてその素性を訊ねたところ、 佐野源左衛門常世のなれの果てである事を明かし、一族の者に所領をことごとく 押領されて、かくの如き身となってしまった事を切々と話した。そして、物語では、あの名台詞が語られるのです。「落ちぶれたりといえどもこの源左衛門、鎌倉殿の御家人として、もし幕府に一大事がおこれば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりとも あの馬に乗り、一番に鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ所存でござる」とその覚悟のほどを述べました。

やがて春になり、幕府から緊急の動員令が下され、御家人たちは先を争って駆けつけ、その中には当然、あの佐野源左衛門常世の姿もありました。召出された常世は千切れた具足に錆びた薙刀のみすぼらしい姿をあざけり笑う武者達の前を悪びれることなく進みます。そこで待っていたのは、あの時の旅の僧でした。「わしはいつぞやの大雪の日、一夜の宿をそちの家でやっかいになった旅の僧である」実は旅の僧こそ、前執権 (しっけん)で鎌倉幕府の最高実力者北条時頼その人であリました。時頼は常世の言葉に偽りがなかったことを賞し、先日の約束を果たし、その志に報いるため、


奪われた佐野庄三十余郷を常世に返し与えただけでなく、薪にされた盆栽の梅・桜・松にちなんで加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三つの庄園を 新たに恩賞として与えました。

「駒とめて 袖うち払う陰もなし 佐野の渡りの 冬の夕暮れ」という古歌が下敷になっており、太平記から素材を得ているといわれております。作者は観阿弥とも世阿弥ともいわれておりますが、不詳ということです。

群馬県高崎市の 「献上銘菓処 鉢の木七冨久」さんは、この物語がそのまま店の屋号になっております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禅語「春水満四澤」

2011-04-01 15:14:33 | 禅語今昔
早春の水温むころによく掛けられる禅語のひとつです。



拝見すればどなたでも直ぐに想像できるほどの語句でもあります。
目を閉じれば、春の陽をいっぱいに浴びた山々の雪がゆっくりと解け始め幾筋もの澤に集まりさらさらと流れ出していく光景が浮かびます。
出典は、陶淵明の「四時の詩」(しじのし)の「春水満四澤」から、雪解け水を集めてあふれている澤の姿を強調したものと言われております。

3月11日の大震災以来、日本は元より世界の各国から膨大な援助の手が差し伸べられております。
このお軸を拝見して直ぐに、温かな陽射しは皆さんの善意です。その善意によって溶け出した雪(善意の心)が少しづつ澤に集まり、やがて心のこもった大輪となって被災された人々に何らかの形となって届いて行くのです。こんな事を考えてしまいました。
一人でも多くの方が春のお日様のように温かな心を持って、「今、自分に何ができるか」を考えて見る機会でもあります。


お花は「黒文字 藪椿」です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする