さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

アザミ咲く野辺

2012-02-13 | 日記
 心の温かい懐かしい友が逝って5年の年月がたちました。
 私に、野辺に咲く野草の花の美しさを教え、町の古い言い伝えなども話してくれた友でした。


 私より10いく歳か若くて現役の社長さんでもありました。事務所の2階を剣道の道場にして子供たちに優しく厳しい師匠様と慕われる居合抜きの達人でもありました。

 友は私に「この堤の散歩道にアザミの花が消えてしまった。私の大好きな花だったのに」とよく言っていました。そして思いもかけない事故で亡くなってしまいました。友が逝って、私は強くアザミの花を求めるようになりました。しかしアザミの花は散歩道からすっかり消えて見つからず、私にとってアザミの花が尊い野辺の花になりました。


 アザミの花が堤の散歩道から消えたのは堤を管理する役所が原因でした。
 堤の道は夏になるとすすきやヨモギなどの背の高い雑草に覆われて歩きにくくなり散歩する人の姿も見えにくくなりました。道は子供たちの通学路にもなっていましたので、道の両脇をPTAの方がなどが刈り払い作業をしていました。


 それが、いつ頃からだったろうか堤の草の緑をキャタビラをつけた大型の草刈り車が猛烈な勢いで刈りとばすようになりました。そして堤の道は明るく綺麗になりました。
 しかしそれは、堤の土手に咲いていたアザミや野菊や萩などの美しい野草も見境なく刈りとばしていたのです。ノカンゾウや西洋タンポポなどの強い種は刈り取られても美しい花を咲かせていましたけど、野菊やアザミなどの弱い野草は絶えてしまったのです。

 それがここ2、3年、堤の散歩道にアザミや野菊やマツヨイグサなどの花が見られるようになりました。嬉しかったです。


 それは町が年次計画でこの堤の土手に桜の植樹を始めたからなのです。その桜の植樹計画は独創的ですばらしいものでした。
 この植樹に賛同し「なにがし」かの寄付をすれば、植樹した桜の一本を自分の記念植樹の桜として名前入りのプレートをつけてくれる。ただし植樹後は自分の桜はもちろん周りの土手も責任をもって管理するというものでした。

 プレートには可愛い孫や子供の名前、米寿を迎えた記念のご夫婦の名前、年次ごとの同窓会の名前、いろんな町の愛好会の名前・・・等々楽しいものがいっぱいあって、周りの土手はその人たちが管理するようになったのです。そして土手の野草の緑も美しい花もよみがえったのです。
植樹された桜も少し大きくなって花も見られるようになりました。


 今は土手に美しいアザミの花にキアゲハの蝶がまい、秋には一株ですけど萩の花が美しく咲くんです。しみじみと友に美しく咲くアザミの花に止まる黄アゲハ蝶を見せてあげたいと思いながら散歩しています。


 そしてやがては植樹された桜は大きくなって散歩道は桜の名所なるんだろうと楽しみにしてもいるんでえす。