さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

私の町の私の好きな家あちこち(2)

2018-02-08 | 日記
清水屋魚店さんに雪が降っていました。



どこにでもありそうなこんな小さくてむしろ寂れている感じさえするお店のどこに心惹かれるんだろうかとたいていの方はお思いになると思います。

30数年前私が60数歳の若かった頃、私は集落の鎮守鹿島神社の総代で会計係りを担当していました。その仕事のひとつに神社の催しごとのたびに神にささげる供物を整える仕事がありました。お米や野菜は地元で簡単に整えられますがするめなどの海産物などは店から購入しなければなりません。当時の私は海産物を店から買ったことなどありませんからどうしたらいいものかと迷っていると神社の神事など知り尽くしていらっしゃる古老の総代長さんは海産物は町の清水屋魚店から購入しなさいと厳然とおっしゃいました。

当時街には立派な魚屋さんが何軒もありました。ですからなぜ清水屋さんなんだろうかと不思議に思いました。行ってみると清水屋さんは大きくはないけれども海産物なかでもとくに立派な干物類がいっぱい展示してあり、話しているうちに集落の古老さんたちが昔から神事にお供えする海産物はこの清水屋さんと決めていたことも分かりました。

私が会計係りを勤めていた4年間はしきたり通り海産物の供物はこの清水屋さんから購入していました。でも総代役が終わると自然と清水屋さんを訪れて買い物をすることはなくなりました。でも町中の散歩などでこのお店の前を通るとなんか信仰に近いような親しみを感じていました。

それから20数年過ぎると街の個人経営の魚屋さんはほとんど店を閉じました。でも清水屋さんだけにはいつも熟年の方がお店の方と親しげにお話などなさりながら買い物をなさる姿がありました。古い昔からのお得意さんが店を支えていたんですね。

でもここ数年は気のせいかお客さんの姿が少なくなって寂れているように感じていました、お若い方はやっぱりスーパーなどの量販店に向かいます。清水屋さんになじんでいた熟年のお得意さんはやっぱり老いていきます。お店が寂れれていくのもやむをえないのかも知れないと密かに思っていました。

数日前のことです。いつも店の前にある軽トラにお店のお若い女の方が忙しそうにお店の中から品物を取り出して軽トラに積んでいらっしゃいました。この軽トラは移動販売車なんだと分かりました。

街から遠く離れた集落の方の熟年のかたの中には私と同じように運転免許を返納なさった方も多いと思います。そのようなご家庭では移動販売車どんなに待ち遠しく有り難いことか昨年運転免許を返納した私には良く分かります。清水屋さんは移動販売車で新しいお得意さんを開拓なさていらっしゃるそう思って私はとても嬉しくなりました。

雪降る中清水屋さんの前を通りながらそんなことをしみじみ思って嬉しくなった今日の散歩でした。




今日の散歩=7463歩