さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

遙かに遠い夢の詩

2012-02-21 | 日記


 これは私にとって懐かしい「遙かに遠い夢の詩」なんですけど、ご存じの方はいらっしゃらないでしょうね。73歳以上の方なら記憶されていらっしゃる方もあるかもしれません。この詩と挿絵が手に入って私は嬉しくってたまらないのです。

 昭和8年(1933.)から昭和20年(1945)まで小学校でつかわれていた国語の教科書「小学国語読本巻き二」の巻頭の詩と挿絵なんです。
 旧仮名遣いなので読みにくいと思いますので今の文章に直してみます。

  一 山の上

 向こうの山に
 登ったら
 山の向こうは
 村だった

 続くたんぼの
 その先は
 広い 広い
 海だった

 小さい白帆が
 二つ 三つ
 青い海に
 浮いていた
 遠くの方に
 浮いていた。


 小学校1年生だった私は、2学期になると新しい国語の教科書「小学国語読本巻二」が先生から渡されました。



 先生から表紙を開くように言われて巻頭の詩と挿絵に私の目は釘付けになりました。
 この峠を越えた道の先に私の知らない村がある。そしてそのたんぼの先に広い海がある。
 私の胸は明るい夢にときめきました。



 私の小学校は茅葺き屋根、2教室、それに職員住宅用の部屋が2間、トイレ・水屋(台所)は児童と共同使用、ご存じの方は少ないでしょうけれども「宮沢賢治の風の又三郎」の小学校を思わせる小さな山の学校でした。

 学校の障子の窓を開けると200メートルほど先に標高1200メートル嶮しい岩くらの山が見え、学校の裏は愛宕山のブナの森が続いていました。



 集落は尾瀬沼の隣の山峡の村でした。山に挟まれた谷間に幅200メートルほどの居平があり、そこに渓谷檜枝岐川が流れ、わずかな田畑があって、そこに寺・地蔵堂・学校を入れても12戸前後の人の住んでいる小さな集落でした。

 私たち子供の世界はその集落がすべてでした。山の幸・緑・ハヤブサ・ムササビ・野ウサギやテンなどの動物、渓谷のイワナ・ヤマメ・秋に檜枝岐川に登って来る鱒、2メートルを超す豪雪の雪も子供たちにとっては楽しい遊び場がいっぱいでした。小さな集落は子供たちの楽園でした。


   写真は「あつしおかのうの四季」からお借りしました。

でも、この詩と挿絵は私に大きな夢と希望を開かせてくれたのです。

  向こうの山に
  登ったら
  山の向こうは
  村だった
  田圃の続く
  村だった
 
  続くたんぼの
  その先は
  広い 広い
  海だった
  
 峠路のその先には私の知らない村が、田んぼが、そして広い海があるんだ。
 いつの日かこの峠の路を越えて行きたい。私の夢は果てしなく山の向こうに広がっていきました。

  そして、子供の時から85歳の今まで、私は山の向こうに果てしなく広がっている村や田んぼや海の夢の世界を求めて生きてきたように思んですよ。

 今はこの古里を遠く離れて暮らしていますけど、嬉しい時、悲しいとき、失意のとき、それぞれの時にいつもこの懐かしい古里に思いは回帰するんですよ。

 私の学校の隣にあった地蔵堂です。私たちガキどもの遊びの根拠地でした。後ろの山が愛宕山です。








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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
朝日新聞の「ひととき」の投稿に (みぃたん)
2012-07-21 10:16:30
はじめまして。
今年還暦のみぃたんと申します。

今朝(7月21日土曜日)の朝日新聞の朝刊の「ひととき」にこの詩の前半が載っておりました。
この詩の全文が知りたくて検索しましたら、こちらのブログにヒットしました。

挿絵付きなので、うれしくなりました。

とても素敵なブログで、楽しく拝見させていただきました。ありがとうございました。
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嬉しく感激です。 (さんたろう)
2012-07-21 12:08:32
 ちょうど私の子供たちと同年代のお若いお方からのコメント、嬉しく感激です。ありがとうございました。

 85歳じじの大きな喜びです。
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こんにちは (よっぐ)
2012-07-21 12:37:34
はじめまして。
関東在住の50代の主婦です。

みぃたんさんと同じく、朝日新聞の記事からこちらにおじゃましました。

短い詩歌なのに、心にぐっときました。
心の琴線に触れるとはこういうことかしら、と。

さんたろうさんの記事のタイトルの七五調もとても気持ちよく響きます。
ブログもさっそくブックマークしました、後でゆっくり拝読・拝見させていただきます。


腰の具合はいかがでしょうか?
わたしもよくやります・・・・。
どうぞお大事になさってください。


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記憶の底から (ともしび)
2012-07-21 13:59:10
 私は昭和7年生まれの80歳です。
今朝の新聞を読んで遠い記憶の底からこの詩が浮かんできました。
 今も登山やハイキングを楽しんでいますが、その原点はこの詩に会ったような気もします。
 お元気でお過ごしください。
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今日は嬉しい日です (さんたろう)
2012-07-21 14:10:00
 よっぐさん、コメントありがとうございました。

 この詩は私の心の原点です。

 今日は少し腰の痛みが薄らいだのでちょっとPCの前にすわったら嬉しいコメントが二つも・・・
 嬉しくて心が明るくなりました。

 私のブログを見てくださるお方がいらっしゃる私の人生が明るくなりました。

 本当にありがとうございます。
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朝日新聞に・・ (さんたろう)
2012-07-21 14:40:50
 ともしびさん、80歳でいらっしゃるですか。

 この詩と挿絵を心の原点にしていらっしゃる方は多いんですね。

 私がこの詩を一緒に学んだ友は私を入れて6人でした。

 私はこの詩と一緒に宮沢賢治の「風の又三郎」を思います。
 どっどど どどうど どどうど どどう
 青いクルミも吹き飛ばせ
 すっぱいくゎりんも吹き飛ばせ

 そして幼い5人の友と楽しく遊んだ昔を思うんです。
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歌も歌いました (ゆり)
2012-07-23 19:21:37
50代ですが、教科書では知りませんでしたが、歌を思い出しました。今から思えば、当時の単調な童謡のようなものではなく、物語が進むにつれて、転調して、「小さい白帆が二つ三つ」からドラマチックにうたわれます。楽譜を探しましたが、見つかりません。作曲者など知りたいです。
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ゆりさん (さんたろう)
2012-07-24 11:17:32
 50代の方からのコメント、とても嬉しいです。じじも若返ったような気がします。

 そうなんですか、この詩に曲がついてドラマチックに歌われていたんですか。

 曲がついたこの詩はこの詩はどんな物語になっているんでしょうか、音痴のじじですけど聞いてみたいです。
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やっと見つけた! (あゆ)
2012-11-25 03:02:14
はじめまして、実はこのようにコメントをするのが初めてです。今年、23歳で78歳の祖母をもちます。

私は小学生のころ、この詩を祖母から聞いて、とても印象に残っていました。しかし、「山の向こう」「海だった」のフレーズしか覚えていなかったのです、いま、ふと思い出して検索したら、このように本物をみることができました。ありがとうございます。
私の故郷も、とてもこの詩に似ています。もしよろしかったら訪ねていただきたいです。
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あゆさん (さんたろう)
2012-11-25 09:22:44
 あなたのおばあさんも小学校一年生の時この詩に心をうたれたんですね。

 そして小学校生の可愛いお孫さんにこの詩をよんでくださったんですね。とても懐かしい思いがします。

 あなたのふる里に思いをはせながらコメントを読ませて頂きました。嬉しかったです。ありがとうございました。
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