さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

真っ白な雪原に温かい心が走っています 平和な眺めです

2015-01-26 | 日記
 

 50年近くどっぷりと車社会の生活に浸りきってJRのローカル線のことなどすっかり忘れていた私なんですけど、このところすっかりローカルの会津只見線に心を奪われております。

 今日は会津坂下駅から奥会津への入口の山坂にかかる杉集落の踏切にいって来ました。15分ほど待っていると踏切の警報器が「かんかん」鳴ってランプが点滅しました。
 時間通り二輛編成のジーゼルカーが警笛を鳴らしてやって来ました。

 嬉しくって、楽しくってシャターを切り続けました。でも乗車してる人はまばらでした。たぶん病院や大事な買い物に車を使えない熟年の女の方などが多いんだろうなと思いました。

 うちのばばちゃん(家内)の友達になって頂いている○○整形外科医院や○○眼科医院などに通っていらっしゃる奥会津の熟年の女の方などが多いんだろうと思いました。

 会津只見線の車両も緑の色がきれいですし、客室も椅子もほんとに清潔で奇麗で心地よい暖かさです。そして乗り降りの人の少ない無人駅でもいつも除雪され奇麗に清掃されております。切符も自動販売機で手軽に購入出来、熟年の女の方もゆったりとした気分で乗車出来ると思います。

 すくない乗客の姿から、たぶん会津只見線は赤字路線だと思います。だからたぶん沿線の市町村で赤字補填をしているんだと思います。

 JRのローカル線はいい方はちょっと失礼で申し分けないんですけど、現実の車社会とは縁の薄いある意味で弱者の方にとってはとっても大事な交通手段だと思うのです。
 沿線の市町村の行政も、ローカルのJRもそういう弱者の方に温かいんですね。

 ついこの間までJRなどにまったく無頓着だった私の今は、「ぽー」と警笛を鳴らして走ってくるジーゼルカーを見ると嬉しくて、ローカル線に温かい心が走ってくるように思えるのです。

 そういうことで、これからは少しずつ会津只見線のJRの世界を楽しみながら訪問しその様子をブログに投稿して見ようかなどと思っているんです。豪雪の古里只見の様子などもとても楽しみにいて「います。

ひっそりと静か 私独りの山の駅

2015-01-25 | 日記
 今日はふと思い立ってばばちゃん(家内)を町営温泉糸桜里の湯に送った帰りに坂下駅の隣の塔寺の駅を訪れて見ました。70数年ぶりの訪問です。ちょっと懐かしさに胸をふるわせての訪問です。

 坂下駅から8~9分のところにある駅なんですけど塔寺の町からもちょっと離れた山の中にある駅なんですよ。 坂の下の中央右に小さく駅名の掲示板が見えています


 国道49号線から車で左折して坂を登り切るとひっそりと'駅が見えてきます
長い廊下の階段を登ると無人の駅です



 定刻通り二輛連結のジーゼルカーがやって来ました。降りる人も乗る人も誰もいません。物好きの爺いが独りカメラを構えているだけです。1分ほど停車して「ぽ~っ」と警笛を鳴らして坂下方面に走り去っていきました。でもまばらではありましたけど乗車している人は結構ありました。



 ばばちゃん(家内)の話では奥会津方面から病院にお出でになる熟年のかたは皆さんJRを利用なさっているとのことです。JRは熟年の方にとっては大事な交通手段なんですよね。

 こんなきれいな掲示板がありました



 塔寺には国の重要文化財にもなっている立木観音や心清水八幡宮があって元旦参りや連休の折りなどのにはたくさんの人がお出でになります。でも今は車社会です、JRを利用なさる方はごくわずかなんでしょうね。駅名の看板も古びて枠がさびています。



 70数年ほど'昔、私は自分の生まれた奥会津只見に住んでいました。だから帰省には必ずこの駅を通りました。自動車などは本当に少ない時代で、しかもガソリンが不足しているいわゆる戦時中のことで車の後ろに木炭を焚く釜があってそこから出るガスで走っていました。木炭車というんです。そんな時代でしたから当時の国鉄は大事な交通手段でいつも超満員でなかなか座れませんでした。

 塔寺駅は坂下駅からは急な山道の坂を登らなければなりません。Cなんとかいう蒸気機関車(SL)が真っ黒な煙をいっぱいに吐いて激しく蒸気を噴射して「なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、、こんな坂」と必死に登りました。今はたれ独り乗り降りする人のいない塔寺の駅ですけれども当時はたくさんの人が乗り降りしていました。

 そんなことを思い浮かべながら、「ぽ~っ」と警笛を鳴らして走りさっていくジーゼルカーを静に見送りました。懐かしい思いでいっぱいでした。



 悔しいです、なぜなんでしょう、私としたことがどうゆうわけかシャッターがいつのまにかセルにセットされていてシャッターがおりず走り去っていくジーゼルカーの大事なシーンが撮れませんでした。悔しい~・・・です。 

工事の現場お邪魔してすみません

2015-01-24 | 日記


 冬の寒さの中で働いていらしゃるお姿を見ると頭が下がります。みんないい人ばっかりなんですよ。「お邪魔してすみません」と声をかけると笑顔で親切に工事現場の道を案内してくれます。みんないい人ばっかりです。みんな私達地域の仲間の方なんです。



 私など停電の経験などありません。ぬくぬくと安心しきってエアコンの効いた明るい部屋でテレビやPCやなどを楽しんでいます。真冬に停電などしたら大変です。ローソクをさがしてつけて布団にくるまって耐えているほかありませんね。このかたたちのおかげでぬくぬくと暮らしていけるんですね。有り難いことです。

 わたしの陋屋は「○○電機」という会社の隣にあります。この写真は二階のPC室の窓からとった会社の第二駐車場です。



 私とばばちゃん(家内)がBSで朝ドラ「マッサン」を見ながら食事をしている7時30分頃皆さん挨拶を交わしながら元気に出勤なさいます。会津若松市からお出でになる方もいらっしゃるみたいですから6時50分頃には家を出なければなりませんね。大変です。

 夕方は私が横綱の相撲でも見ようかと5時20分頃二階のPC室からおりようとする頃皆さんは楽しそうに笑顔で話し合いながらお帰りになります。この人たちも地域の仲間みんないい人ばっかりです。

 デフレ脱却のためのなんとかのおかげで株価上昇などという世界とはまったく無縁の人たちですけど私達の地域社会を支えていてくれるお仲間でみんないい人ばっかりなんです。ほんと頭が下がります。

冬の空ちょっぴり今日は春めいて

2015-01-23 | 日記
 会津の冬は厳しくて吹雪く日、冷たい鉛色の空の日が続いています。でも今日は久方ぶりにいて(厳しい寒さ)が緩んで青空が見えました。



 積み上がられた純白の雪も少し融けて少し黒ずんで、空の青さがやわらかくどこか春を感じる暖かさでした。あと十日で立春、春は間近ですね。

※奥会津の私の古里では大寒の厳しい寒さがゆるむことを「いてがゆるむ」と言っていました。


幸せの縁起買って帰ろうか 会津坂下町

2015-01-21 | 日記
 
1月14日、初市の出店を楽しむ人で賑わいました。



 初市の縁起ものと言えば小さな起き上がり小坊師とだるま、それに風車です



 起き上がり小坊師と達磨は「七転び八起き」いつも元気に働くこと、風車には「黒豆」がついていて「くるくると廻って忙しくまめに働く」ことを祈る縁起物と聞いています。皆さんお家に帰って神棚に上げ家内安全無病息災をお祈りするんですね。

賑々しい初市の出店です。町通りの両側に美事に並んで人々を楽しませてくれました



 
いろいろな出店がありますね。大判焼き、焼きそば、たくさんの人が集まって賑わっていました



 
こんなに大きくて店舗のような出店もあるんです。テントの奥は食堂になっていました
町の人たちの出店なんでしょうね



 この出店では坂下の福豆俵が売られています。福豆俵は初市の日役場前に作られた特設やぐらから一年の日数にちなんで365個撒かれます。拾った人は一年間幸せに過ごせるといわれております



この日、役場前には市神様が日月神社から「移御」されて祀られ、大俵と子どもたちの引く小俵が展示されます 格好の撮影ポイントで若いお母様方が子どもたちの可愛い姿をカメラにおさめていました






 
若いお母様と一緒に楽しむ子どもたち、幸せがいっぱいです





 爺いはと言えば、出店の広い通りを3回くらい廻ってスナップ写真を楽しみ、それに安兵衛太鼓と大俵引きの撮影で疲れ、恒例の福豆俵まきを撮る元気はありませんでした。焼きそばを2個買って帰りばばちゃん(家内)と初市を祝いました。

 疲れましたけど充実した一日でした。原写真館の若いご主人にお会いして撮影の技術的な援助を頂いて嬉しかったこともありました。たぶんこの日の初市を重い一眼デジをもって撮影していた人たちのなかでは88歳の爺いの私が最高齢だったのではなかろうかと密かに自負しているんです。たれも褒めてなどくれませんから自分で自分を褒めているんです。