さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

引き子らのふんどしの赤熱気に輝いて

2015-01-18 | 日記
  私達の町の初市には400年前の蒲生時代からの伝統の行事と言われる奇祭大俵引きがおこなわれます。


 プロのカメラマンはさすがすごいですね、熱気溢れる男たちの俵引く姿、興奮して応援する町通りいっぱいの観客の姿を美事にとらえて写されています。福島民報の紙面に掲載されていた俵引きの写真です。お借りしました。


 

 大俵引きは成人の男たちばかりではありません。町のスポーツ少年団の子どもたちの可愛い俵引きもおこなわれます。





 
 入場する引き子たち総勢124名とアナウンスされました。町の引き子たちだけでなく遠くは大阪からそして東京・仙台・新潟など他の地方からもたくさんの男たちが参加していると名前がアナウンスされました。私達の町の大俵引きは全国に知られているんですね。
 


はっぴ姿の女の子二人と一緒、明るく楽しい引き子たちの仲間の笑顔です



 揺らぐ大俵、引き子たちの熱気、爺いの私も夢中でシャッターを切りました




 
引き子たちの熱気、撮る人の熱気、思わず叫んで応援する人の熱気、もちろん私もそのうちの一人です



 

 坂下町の新しい年の幕開け初市の大俵引きでした。私などは撮影のいい場所の確保に一時間以上も冬の寒空のしたにがんばって立っていたんですよ。ちょっと時間が遅れれば群集に押されて場所をとられ写真など撮れなくなるんです。しっかりと場所を確保しなければなりません、疲れました。楽しかったけど疲れました。

 明日は知人の葬儀に出席します。明後日は初市の出店に縁起物などを求めて楽しむ様子を投稿するつもりです。

おらほの町の初市じゃ~ 安兵衛太鼓の初打ちじゃ~  

2015-01-16 | 日記
  私達の町会津坂下の貴徳寺には堀部安兵衛が幼い頃両親とともに暮らしていたという伝承があるんです。 (井関敬嗣先生 会津坂下の伝説と史話より)
 それにちなん私達の町には勇壮な安兵衛太鼓のチームがあって町のいろんなイベントに先立って演奏されるんです

 1月14日は私達の町の初市です。例年の通り大俵引きに先きだって勇壮な太鼓が演奏され人々の心を楽しませてくれました。


美事な演奏に感動して聴き入るみなさんです
 


皆様の熱演の様子をご覧下さい
















別れの一本杉は私の大好きな歌です

2015-01-14 | 日記
 
哀切の思いが心に沁みて涙もろくなった私の心が潤むのです


 今日散歩の帰り道疲れていましたけど遠回りになる駅前の春日八郎先生の銅像まで足をのばしました
そして雪の中に立つ先生の銅像の前で軽く頭を下げしみじみと心に別れの一本杉を心に歌いました




 私の町では午後5時に町いっぱいに別れの一本杉のメロデーがながれます
そのメロデーを聞きながら町の人みんなが町出身の春日八郎先生を偲び懐かしむのです


 
今日もいい日だった。そう思いながら私は静にPCの前でそれを聞きました

 小さな旅楽しんで涙ぐむことも微笑むこともありました

2015-01-10 | 日記
1月7日、今日は会津坂下駅8時23分発会津若松行きの小さな旅、ワクワクしながら7時50分家を出ました。少し早いので駅には誰もいませんでした。



 温かい待合室で待っていると可愛いニャンコちゃんがやって来ました。まるまる太って毛並みもきれいでしたから野良ではありませんね。お客さんに可愛がってもらいたくて遊びに来たんでしょうね。



 時間通り会津川口発の二輛連結のジーゼルカーがやって来ました。予想以上の方が奥会津からお出でになって坂下駅で降りられるのに驚きました。



 たくさんの方が降りられた車内は閑散としていましたけど、車内はきれいで暖かく乗り心地は満点でした。



 
車窓から見る景色も旅行気分を満足させてくれました。



 40分ほどして七日町駅に着きました。見慣れた町通りですけど車で見る景色と違って新しい町のように見えるから不思議です。タクシーでお城に行きました



 
桜の廊下橋から見るお城は見慣れていますけど、雪景色の廊下橋から見るお城も趣があります。

 

本丸の雪の天守閣にも圧倒されました。観光客の姿もなくて私独りの天守閣のような気分でした。



 入場券売り場で聞くと今工事中で一部の展示場は閉ざされているとのことでした。 展示場は会津戊辰の戦争の経過と落城までの悲惨な状況の展示ががほとんどでした。
 観光客で賑わう時と違って私は独り静に心打たれながら展示を見ることが出来ました。

 悲惨な籠城の記録の抜粋が掲示されてるコーナーがありました。その一部です。


「いつ殺されるんでしょうか。いつ死ねるんでしょうか」
と言い含めた幼児が親に尋ねました。


「どんなことがあってもお城に入れ。入れなかったすぐに自殺せよ」
 私達はかねてよりそう言われておりました


 私は会津藩家老西郷頼母邸での一族21人が城に入らず奥の書院で環座(かんざ)になって自刃していたことを思い出して涙ぐんでしまいました。

  天守閣最上階からの眺めです。この郭外を西軍の大軍が取り巻いていたんだろうと思いながらしみじみと眺めました。