さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

会津坂下初市奇祭大俵引き

2020-01-15 | 日記




赤白の下帯の男等の熱気に町はわき返りました。

下帯の赤を輝かした男等の入場です。


参加者は町在住の方ばかりではありません。東京・埼玉・群馬・栃木・宮城などの各県、それに遠くは大阪の方々などの参加もありましたとそれぞれのお名前がアナウンスアナンスされ、「おう~」と応える元気な声が聞こえました。大俵引く人も応援する人も見る人もシャッターを切る人もみんなもう夢中です 。






 
大俵引きの前に先立って町のスポーツ少年団の子供達の俵引きもあるんです。








    
93歳の私は(常々自分に自分は83歳だと言いくるめてはいるんですけども大俵引きを撮るのはこれが最後になるかも知れないと思って重い一眼デジを連射にセットして撮影を楽しみました。カメラを手にすると負けんき強気がよみがえり撮影に邪魔なものは押し返し押してくるものは押し戻し夢中でシャッターを切り続けました。でも93歳の年には勝てません改めて見返すとつまらないカットばかりで落ち込んでしまいました。

でも帰り道千円で焼き蕎麦二つを買って帰り90歳のばばちゃんとしみじみ初市を味わいました。二人とも惚けていますけど認知症までには間があるみたいです。来年もがんばるつもりでいるンですけど・・・・ま93歳の初市が終わってほっとしているンです。


穏やかな暖冬の日に思うこと

2020-01-11 | 日記
まもなく冬の大寒の季節になろうとする冬の日なのにポンプ小屋跡の桜の空は澄み切って午後の気温が9℃近くにもなってまるで春になったような気持ちのいい今日の散歩道でした。


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まるで3月頃の暖かさにこれって地球の大気の異常な変わり目の姿ではなかろうかとふと不安に思ってしまったりするんです。今までは台風の被害などあまりなかった東北地方が昨年の10月の台風9号で甚大な被害を受けたのを思いだしたりもしたんです。

今南半球のオーストラリアはこれからが本格的な夏になるんですよね。
毎日新聞の余録によるとオーストラリアでは昨年の9月から南東部の森林で大干ばつによる森林火災が発生して消失面積が1000万ヘクタール住居の焼失もあって20人以上の死者もでて今も燃え続けている というのです。
記録的は乾燥で増した火勢は火災旋風や火災積乱雲などの凄絶な大気現象を起こしておりコアラなどの哺乳動物や鳥類や爬虫類などの生物に数十億の犠牲をだしているというんです。
これって地球上の人類の営みでおきていると考えらる地球大気の変動が要因なんでしょうね。2020年令和2年の平穏を祈るばかりです。

午前11時、いっとき(一刻)の吹雪が猛烈に吹き荒れて

2020-01-07 | 日記

    
ついに本格的な冬がやって来たと嬉しくなってコンデジ持って飛び出したんですけど集落の裏道は前が見えないほどに吹雪いているんです。豪雪地只見生まれの私ですけども耐えられず家に逃げ込みました。


 
でも雲荒れっていうんでしょうか1時間もすると吹雪は静まって午後3時頃にはこんなに晴れてしまったんです。やっぱり今年は記録的な暖冬になるんですね。


      
 寒い夜と思ったのに一や明けてみれば積もっていた雪はすっかり消えて明るい朝の光に晴れ渡っていました。


      
先の見えないように吹雪いていた集落の裏道も明るい朝の風景になっていました。



緑公園の堤の道も広々として消え残る雪もほんの少ししか見えません。まわりのスキー場は困っているんでしょうね。


 ニュースでは北海道でさえ記録的な雪不足で札幌の雪祭りのために5.000台ものダンプカーであちこちで掻き集めた雪を運んでいると報じていました。これからはこのような冬がつづくんでしょうかね。

私には遠い日の冬の風景が懐かしいんです。10年前の元旦に心清水八幡宮への初詣で途中でのスナップです。会津の冬は雪あってこその豊かな冬と私は思うんですけどもね。



地球の豊かな四季が壊れてしまわないよう願うばかりなんですよ。

今日は私の誕生日です

2020-01-03 | 日記


93歳になりました。
1927年1月に生まれて2020年(令和2年1月3日)93年1世紀近く生きてきたんですね。われながら驚いています

振り返ってみればそれぞれの年齢階層ごとに喜びと悲しみと、高揚と失意と、邂逅と別れとを惑いながらも精一杯生きてきたんですね。遠い道でした。

もちろんいくつかの恋いもありましたよ。でもそれはすべて片思いですから失恋などありません。ただ美しい思い出だけが残っているんです。

でも人には言えなくても密かに自分の心に誇れる行為の思いで出はあって数少ない年賀状のなかにそれを蘇らせて心うるうるさせるものもあったんですよ。

でも人に言えない過ちや悪や罪の行為がなかったんですか・・と問われればそんなものはありませんと言い切れない私でもあるんです。

93歳の新しく生きる道は今までとは違って歩む道でなければと思っているんです。一年後二年後あるいは三年後に心静かに人生をフィニッシュできるように歩まなけれならない道だと思っているんです。

新しい路の生きがいや価値はなんだろう 、そのみちをどういきればいいいんだろういまの私にはまだわかりなせん。でも93歳の誕生日はその道に一歩踏み出したのです。一生懸命生きて心静かに人生をフィニッシュするにはどう生きたらいいのかと惑っている私なんですよ。