深夜、ABC放送(テレ朝系列・関西ローカル)でやってたタモリ倶楽部の、びびる大木と藤本美貴と豊田エリーが出てた“日本史に関係するスイーツとクイズ”の回(途中からしか見てなくて、公式HPがないので企画名自体不明)。
犬公方などとも呼ばれた徳川五代将軍綱吉が下した「生類憐みの令(複数の法令をまとめて呼んだもの)」。犬などの獣の他、鳥や魚、果ては蚊の保護まで奨励し、違反した者には死罪をも命じたという。しかし、令の影響があったのはせいぜい下級武士までで、それ以上の身分の者に処分は下らなかったとか。
番組で出題されていたのは「噛みついてきた犬を切り殺したとして増田兵部の家来に下された処分は?」という問題。「代わりに犬になる」とか「切ったので繋げる」という誤答の後、豊田エリーが「わかった!切腹!」と正解。その場の雰囲気は明るかったけど、思えばなかなか不条理な話だ。
ウィキペディアによると、旗本の秋田采女季品(中奥小姓秋田淡路守季久の嫡男) が吹矢で燕を撃ったため、代理として同家家臣多々越甚大夫が死罪、になったとか。なぜ代理として家臣が死罪になったかは不明だが、これもけっこう不条理。
家臣が代理になった理由としては、この秋田某が年若で元服前だったため、遊び役としていつも傍にいた同年代の家来の中から一番年長の者(といっても歳は10代)が選ばれて、もしくは自分から名乗り出て切腹した、とか妄想してみる。旗本といえば将軍にも拝謁できる身分なので、本人には比較的軽い処分で死罪までは至らず、燕を撃った時傍に居た家臣の方が責めを負ったとか。
元服前の少年が切腹に値する罪を犯した場合、特別に早めに元服を済ませ、形だけでも大人の武士ということにして切腹させるということもあったとか。少年本人ではなく、父親が罪を犯した場合も処罰の前に父親が死亡したりすると、その嫡男が父の代わりに罪を被り切腹したそうだ。
少年があまりにも幼い場合はどうなったんだろう?死罪は免れ仏門に入れられたり、親戚の家に預けられたり、有無を言わさず斬首されたり…?
切腹の地域差、興味深いですね。
戦国の気風の残る藩だとハラワタ掴みだしもあったんでしょうね。そういう話を幼い頃から聞いて育つのと聞かずに育つのでは、同じ武士でも普段の雰囲気とか佇まいとかが全然違ったかもしれませんね。戦国時代はもちろん、太平洋戦争中でもどこそこの県出身者の連隊は強い(よく持ちこたえる)とか弱いとか言われたそうです。今でも東北とか九州出身の力士は比較的多いですね。
武士の気風の地域差を研究した本なんかはけっこうありそうですね。
僕は、周囲がほとんどブリーフの時代っていうのは経験したことがないかも。高校は全寮制だったんで、寮の風呂に入る時に他の奴の下着は見てたけど、みんなトランクスでしたね。小学生の頃は全員白ブリーフでしたけど。そういえば今の小学生って何履いてるんだろ??ボクブリ?トランクス?
明治生まれの自分のじいちゃんが赤い褌を履いてたのを思い出しました。あれは夏だけだったのかな~
現在でもある地域差でぼくの経験したのは男のパンツでした。以前、まだボクブリが流行する前のトランクス全盛期、ぼくの勤めていた地方都市の会社では、若者も中年も、パンツは白ブリーフが圧倒的でした。ファッション誌なんかでトランクスの流行は知られていましたが、トランクス派はたまに入る新人とか、就職前からずっとトランクス派だったとか、ファッションに敏感な一部の人に限られていました。着替えの時などにトランクスを見られると大変珍しがられ、「そういうパンツ、風よく通る?」「ぶらぶらしない?」とか、時には「そんな気持ち悪いの、よくはけるね。」「お前はきっと小さいから平気なんだね。」なんて言われたり。その後都会に転勤し、社員旅行に行ったところ、若者も中年もほとんどトランクスになっていたのでギャップを感じました。
そういえば家康暗殺未遂の3兄弟の話は読んだことがあります。年齢差のある数人が順に切腹する場合、年若い者がちゃんと切腹できるように年上の者が見守ったり手伝ったりするために、年若い者から順に腹を切っていくという例もありますね。
4歳と1歳じゃ、さすがに自分が切腹させられる理由も何も理解できないでしょうね。男子は、後々成長してから命を復讐に来るかもしれないから、もしくは見せしめのために、という理由から助命は許されなかったんでしょうね。
確かに元服前かどうかで区別するのも面倒かもしれません。切腹する方からしても斬首より切腹の方が名誉だろうし。元服の時期や決まりなんかは地方によって違うかもしれないし。そういえば切腹自体に地域差はなかったんでしょうかね。
一例は、「武士道」に出てくる家康暗殺未遂で、一族男子全員の切腹が申し渡され、未遂犯の兄2人(24歳と17歳)とともに、8歳の弟も切腹します。8歳だと元服前でしょう。兄二人が腹を切りながら弟に心得を伝授しました。弟は兄同様作法通りに切腹したそうです。
もう一例は、仙台藩伊達騒動の罪人とされた原田甲斐(宗輔)の子、孫の切腹です。嫡子だけでなく、男子全員が切腹となりました。甲斐には4人の男子があり、切腹時25歳、23歳、22歳、20歳でした。長男以外の3人は切腹時はすでに養子に出ていましたが、切腹は免れませんでした。
長男(帯刀)には2人の男子(4歳と1歳、数えなので、1歳児は実質0歳)があり、この2人も含めて全員切腹とあります。(「樅の木は残った」、ウィキでの記述)
想像ですが、昔は子供が多く、一家の男子全員を処断するのに、ひとりひとりについて元服前か後かを区別せず、全員切腹とかを言い渡したのではないでしょうか。兄3人が切腹で弟一人が斬首も不公平かも知れません。
甲斐の一族切腹時にこの4歳児を実際にどうしたかはわかりません。形だけの切腹でもこわがったかもしれません。
この25歳の長男にして見れば、自分と3人の弟、2人の子全員切腹となり、不条理に思ったでしょう。
顔にあどけなさの残る少年が大人びた口上を述べて、その言葉通り立派に腹を切って果てる。そんなシーンを見てみたいです。高校1年ぐらいの男の子が制服のワイシャツ姿で正座してそんなセリフを言ってるのを想像してしまいます。
後藤寿庵さんの「卒業斬首式」っていうマンガがあるけど、「成人切腹式」というのも面白いかも。中学3年生の斬首と比べると、20歳の切腹はインパクトに欠けるかもしれないですけど。
江戸時代なら現在の平均と比べて子供を作るのも早かっただろうから、子供が元服の歳でも若い父親なんですよね。30代半ばの父親と15歳の息子の切腹、そそられますね。
なんと理不尽な切腹でしょうか。それを潔く受け入れる。理由はどうあれ、
「武士たる者、腹を切って死ねるは本望であり、名誉なこと。これ以上の喜びがありましょうか。」などと口上を述べる。
本来、元服と言えば現代でいう成人式ですよね。夢や希望にあふれ、自分が家をしょって立つんだというような、自覚の為の元服ですよね。それが、切腹するための元服とは。罪を犯した上での切腹であれば別かもしれませんが。
いずれにしても、10代半ばの元服する年頃、または働き盛りの30代の切腹。ともに、周囲に惜しまれながらの切腹というのは私の好みです。しかも、検視役が「見事だった。」と感嘆するほどの切腹。想像してしまいました。