続・切腹ごっこ

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岡山城で白虎隊

2010-04-11 | ★城跡探訪
 初めて岡山城に行ってきた。あんまり時間が無くて郭内をゆっくり歩けなかったのが残念だったけど、思わぬ収穫もあった。

 現在の形の岡山城は1597年、豊臣五大老の一人宇喜多秀家が築城(大改修)した。別名「烏城」とも呼ばれるとおり黒い天守閣を持つ城だ。残念ながら昭和20年の空襲で天守は焼失してしまった。岡山城や名古屋城、広島城などのように空襲戦災で失われた城郭のことを思うと本当にもったいないと思うし残念でならない。
 空襲で焼失した天守は昭和41年に鉄筋コンクリート造りで再建された。さらに平成8年に改修され、金箔瓦が再現された。内部には幅が広くて登りやすい階段とエレベーターが完備されており、お土産屋さんや食事処まである。
 岡山城天守の一層め二層めの形は単純な方形ではなく、信長が建てた安土城に似ている。見る角度によって印象もかなり変わる。また近々時間をかけて見て回りたい。

      

 今(3月20日~5月9日まで)、「幕末の動乱・会津と長州そして岡山」という特別展示をしている。会津出身であり維新後岡山区長などを歴任した手代木勝任という人物の資料を中心に会津藩・長州藩関係する書や絵図などを展示していた。その中に一番旧い時期に描かれたといわれる「白虎隊自刃之図」があった。縦長の構図で掛け軸の形になっている。
 現在、白虎隊市中二番隊のうち自刃したのは20名(うち一名は蘇生)といわれている。しかし明治初めごろは自刃し死亡したのは16名だと思われていた。しかし、16名に追いついて同じ場所で自刃した1名と、場所は少し離れているものの同じように自刃した3名がいたことが分かり、それらを合わせて20名となった。
 展示されていた「白虎隊自刃之図」は明治初めごろに描かれたためか15名の隊士のみが描かれている。数名はすでにもろ肌脱ぎになり白い腹に、あるいは喉に刃を突き立てている。真っ赤な血とその中に見え隠れする白い腸が鮮やかだ。腸まで出ているのはたくさんある自刃図の中では凄惨な部類に入るんじゃないだろうか。時代が下るにつれてだんだん刺激の少ないものになってきているような気がする。
 時間があればもっとじっくり観察したかったんだけど…。

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