たしか小学生の頃読んだ宜保 愛子の心霊本。その中に、切腹した武士の無念からか常にしっとりと濡れている石段の話が載っていた。白い裃姿の武士が石段に正座したイラストが好きで、ときどきそのページを見返したりしていた。
最近その話を思い出して、試しに「石段 切腹 心霊」で検索してみたら、一つの逸話が検索に引っかかった。なんとなく作り話なんだろうな~と思ってただけに、ズバリそのものな逸話が実在することに驚くやら懐かしいやら。
―千葉県市川市の真間山弘法寺の石段には、どんなに日照りの日が続いても湿り気を失わない「涙石」なるものがあるという。
江戸時代、作事奉行の鈴木修理長頼という侍が日光東照宮造営に使う石材を市川を通して運んでいたのだが、その途中この寺の辺りで船が全く動かなくなってしまう。そこで長頼はあろうことか石材を弘法寺の石段に使ってしまう。当然幕府にお咎めを受け、責任を追及された長頼はその石段の二十七段目で切腹して果てた。それ以来、長頼がその上で切腹したと伝わる石は、長頼の血と涙が染み込んだせいかいつでもしっとりと濡れているそうな…。
うん。たしかこんな話だったと思う。
それにしても、なんで長頼は大事な石材を寺の石段に流用してしまったんだろう?東照宮造営に使う石なら高級な石材だったはず。寺の関係者に握らされた賄賂に目がくらんで、少しだけならバレないと踏んで、こっそり横流ししたのか(※注・個人的な想像)?
真間山弘法寺(ままさん・ぐほうじ)のサイトにある「涙石」の説明によると、長頼は船が動かなくなったことを「近くの弘法寺に仏縁あり」と思い、石材を勝手に石段に使用したとある。船がなぜか動かなくなったという不思議な現象を、仏様の思し召し(?)と思ったということか。
サイトの画像を見ると、たしかにその石だけはっきりと色が違い濡れていて苔むしてもいるようだ。サイズがはっきりとは分からないが、この上に正座するのはちょっと窮屈な気もする。腰かけて切腹するのは可能かもしれない。
旅行でたまたま寺に寄った学生が、面白半分に腰かけて切腹のポーズをして写真撮ったりすると、数日後割腹自殺死体として発見されたりする。大学のキャンパス内にある大階段の二十七段目で…。
先日ある方(切腹趣味の先輩)から兵庫県内の切腹史跡についてのメールを頂いた。この弘法寺の涙石も“切腹史跡”の一つということになるだろう。全国の、特に寺にはこういう史跡って多そうだ。