大阪の「男と女」の講座が終わった。
「男と女」と言う言い方は少々乱暴だけれども、ユングのアニマ(女性性)とアニムス(男性性)の授業。
この講座は、無意識のより深い領域のテーマなので、わかったようでわからない、何とも難しい内容になりがち。
「理論の中に真の自己実現はない」とユングが言っているように、理論的な学びだけでは、どうしても「知ること」しかできない。
自分について、それを「経験」するためには、どうしても理論だけでなく体験的な学びが必要になるのです。
教育分析と言うものは、この「体験」がとても重要になってくる。
知識だけでは、自分を知ることに限界があるのです。
いずれにしろ、この「アニマ・アニムス」のテーマは、少し内容が重くなりがちなのですが、昨年あたりから、ボクなりに工夫をして授業を変化させてきた。
今回、東京も、大阪も、かなり「楽しく学ぶ」ことができたようだ。
難しいことは何も変わらないのだけれど、自分自身に落とし込んでいくうえで、授業内容の見直しの取り組みは、よかったような気がする。
ボク自身が、年齢を重ねることで、新しい概念を受けいれられるようになったことも、また表現方法を習熟させているという事もあるかもしれない。
よく考えてみれば、時代の持つ価値観の変化だって、当然あるわけですからね。
ユングの時代では研究対象にもならなかったような事例が、今では当たり前のように起きている、とは言え、やはり「男と女」のことは時代を超えて変わらない。
ユングが示した心理構造は、見事に人類の心を普遍的に説明してくれているわけだから、本当に素晴らしい。
終了後の、チームでの打ち上げは、毎回本当に楽しい。
心みたされながらの帰りの新幹線の揺れも、昨晩はゆりかごのようでした。
「男と女」と言う言い方は少々乱暴だけれども、ユングのアニマ(女性性)とアニムス(男性性)の授業。
この講座は、無意識のより深い領域のテーマなので、わかったようでわからない、何とも難しい内容になりがち。
「理論の中に真の自己実現はない」とユングが言っているように、理論的な学びだけでは、どうしても「知ること」しかできない。
自分について、それを「経験」するためには、どうしても理論だけでなく体験的な学びが必要になるのです。
教育分析と言うものは、この「体験」がとても重要になってくる。
知識だけでは、自分を知ることに限界があるのです。
いずれにしろ、この「アニマ・アニムス」のテーマは、少し内容が重くなりがちなのですが、昨年あたりから、ボクなりに工夫をして授業を変化させてきた。
今回、東京も、大阪も、かなり「楽しく学ぶ」ことができたようだ。
難しいことは何も変わらないのだけれど、自分自身に落とし込んでいくうえで、授業内容の見直しの取り組みは、よかったような気がする。
ボク自身が、年齢を重ねることで、新しい概念を受けいれられるようになったことも、また表現方法を習熟させているという事もあるかもしれない。
よく考えてみれば、時代の持つ価値観の変化だって、当然あるわけですからね。
ユングの時代では研究対象にもならなかったような事例が、今では当たり前のように起きている、とは言え、やはり「男と女」のことは時代を超えて変わらない。
ユングが示した心理構造は、見事に人類の心を普遍的に説明してくれているわけだから、本当に素晴らしい。
終了後の、チームでの打ち上げは、毎回本当に楽しい。
心みたされながらの帰りの新幹線の揺れも、昨晩はゆりかごのようでした。
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