先週末は、ファシリテーターコースの、3回目でした。毎回、プロを目指している彼らが提供する「ミニワーク」は工夫が凝らされ、楽しいものばかりです。
もちろん、まだ経験不足ですから、いろいろと失敗があったり、厳しいフィードバックを受けて、少し落ち込んだりすることもあります。
でも、ほとんどが、生まれてはじめて、ワークショップを主催する経験をするわけですから、それはそれは貴重な体験になるわけです。
ボクも、初めて人前でトレーニングをしたときのことをよく思い出します。もう、20年前ですね。
そのときにボクは、メインにリードしていく先輩のTトレーナーのそばで研修中でした。3日間のワークショップの中で、とても簡単なワークを担当する程度でした。
そのときの参加者は20名ぐらい。
そのワークショップ自体、ボクは2回目か3回目で、まだ全体像がつかめていないような状態でした。
初日が終わった、夜です。
そのTさんが、ボクにこういうのです。
「しばちゃんよー。明日、ちょっとだけ用事があって、これないんだけど、もう一人でやれるよな」って。
とたんに冷や汗がびっしょりです。
ありえません。だって、まだ研修中の身だし、頭に全部入っていないし・・・・・
ボクはあわてて「明日って、これと、あれと、あのレクチャーがあって、あの実習が・・・あー無理ですよ、そんなぁ」と当然のごとく、断りました。
でもTさんは、どうしてもこれないんだよ、というばかり。
覚悟を決めたボクは、「わかりました、ナントカやってみます」と震えながら承諾したのです。
「ところで、Tさん、いつ帰ってくるんですか?」
「うん、帰ってはこないよ」
「・・・・・・」
「後はしばちゃんに任せたから・・・」
もうボクは完全にパニックでした。
つまり、残りに二日間を全部、僕に任せたというのです。
考えられませんよね。
まだプロとしての、「ボク」が確立されていないのですから。
今考えると、パニックになっていた自分の中に、いろいろな言い訳が登場していました。
「だって、まだ準備ができていないもん」
「だって、20人の人たちはTさんのワークショップを受けにきたんだから」
「お金をもっらているのに、ボクなんかのセッションじゃ、文句をいわれる」
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
気づくと、セミナー会場の隅にある小さな給湯室の床にしゃがみこんで、頭を抱えていました。
「うーーーっ、できっこないーーーーーっ!」とうなりながらね。
そして、ボクにとっては、それがデビューとなったのです。
心臓が縮まる想いでした。
休憩に入るたびに、こっちは休憩どころではなくてにわか作りの原稿を手に、頭の中に必死に叩き込んでいました。
そういえば、学生時代の試験前のように。
あのときの20人の視線、怖かったなぁ。
もちろん、その人たちが怖い人たちだったわけではありません。
参加者の目の前に立っていながら、参加者は目に入らない。「参加者に寄り添う」なんてまったくしていませんでした。なんせボクは頭の中の「原稿」とずっと一緒でしたからね。
やることはやりましたが、中身はきっと、お粗末だったに違いありません。
でも、そんな苦い思い出と共にボクの心に残っていることは、「自分は、土壇場に立っても何とかできる人間なんだ」という、開き直りとも思える、自分勝手な信頼。
そもそも、T先輩は、ボクを信頼してくれていたんですよね。そうでなければ、任せっこありませんし。
かなりの荒療治でしたが、ボクにはいい結果をもたらしてくれた経験です。
どんなことにでも、「初めて」がありますよね。
そしてその「初めて」は、経験も不十分だし、上手にもできない。反省点ばかりで、身体中をミミズが這うように後悔が押し寄せてくることが多いのです。
それに比べてみても、今のファシリの仲間たちは・・・・ほんとにレベルが高い。
アートセラピーが大好きで、ナントカ、人を楽しませたくて、ナントカ、人の役に立ちたいっていう思いが、あふれ出しています。
最近はまっている「いしいしんじ」
今回は『トリツカレ男』というまたまたおかしな作品を読みました。
『トリツカレ男』いしいしんじ
ジョゼッペという、何かにトリツカレたようにはまり込んでしまう男の話。
オペラが気に入ると、いつまでも、何もかもオペラ調で話し始める。つまりずっと歌いながら生きていくんです。働いているレストランでも、「ごちゅう~もんは~なんです~か~♪」みたいに。
彼は、それをある日突然止めてしまいます。止めるというよりも、新しい何かにトリツカレてしまうのです。
たとえば「三段跳び」
毎日毎日出かけるときも、働いているときも、三段跳び(ホップ・ステップ・ジャンプ)なんです。しまいには大記録が生まれ、ついには全国大会に・・・というときになると、今度は昆虫採集にトリツカレて大会出場をドタキャンしてしまう・・・
こんな調子で、いろんなことにトリツカレながら、ついには、一人の女性にトリツカレてしまうのです。
このことから物語りは急展開していくのですが、興味のある方は文庫本も出ていますから是非に読んでみてください。
何かにトリツカレてしまうこと。
ボクたちは、オウム事件以来、何かに夢中になることを極端に恐れている傾向があります。
「それって、宗教じゃないの?」
アートセラピーを学んでいる僕たちに投げかけられる、不思議な質問です。
「宗教じゃないの?」イコール「洗脳されているんじゃないの?」「だまされているんじゃないの」「誰かが犠牲になっているんじゃないの?」のように聞こえてくるのです。
でも、「ダイスキなことを、思いっきりできる人生」があったとしたら、素敵だとは思いませんか?
トリツカレるほどに、何かに見も心もささげてしまう人生って、ボクには素敵に移ります。
トリツカレて、しまうことを恐れているってことは、それだけ幸せ感がうすくなっているってことなのかもしれませんね。
「自分と、人の人生に確かなプラスの違いを作り出していきたい!」
これが、ボクが、この道を始めたきっかけでした。
「トリツカレて」ますよね。
結果として、ボク自身の人生がプラスに転じてきたことを強く実感しています。
辛いことも、逃げ出さずに受け取ることができるようになりました。
そういうことが、「豊かな人生」なんだということにも気づいたんです。
だから、たくさんの反省をしているファシリの皆さん!
大好きなことを、トリツカレたようにのめりこんでください。不安を感じる人もいるかもしれませんが、そのすべてが豊かな人生への入り口なんですよ・・・・
ジョゼッペは純粋にトリツカレて、そしてとっても豊かな人生を送っているように見えるのです。
といっても落ち込むときは落ち込みますからね。
好きなことに全力を注げる人生を選んでいきましょうね。
それにしても、二日間のコラージュのワークは盛り上がっていたし、砂絵のワークはホントにきれいだったし、あの「フライパン」もとってもユニークでしたよ。
あの小芝居入りの、お笑い検定1級の先生のワークも。
僕も一緒になって楽しく学びました。
さて、明日から2日間、研修に行ってきます。
報告をお楽しみに。
もちろん、まだ経験不足ですから、いろいろと失敗があったり、厳しいフィードバックを受けて、少し落ち込んだりすることもあります。
でも、ほとんどが、生まれてはじめて、ワークショップを主催する経験をするわけですから、それはそれは貴重な体験になるわけです。
ボクも、初めて人前でトレーニングをしたときのことをよく思い出します。もう、20年前ですね。
そのときにボクは、メインにリードしていく先輩のTトレーナーのそばで研修中でした。3日間のワークショップの中で、とても簡単なワークを担当する程度でした。
そのときの参加者は20名ぐらい。
そのワークショップ自体、ボクは2回目か3回目で、まだ全体像がつかめていないような状態でした。
初日が終わった、夜です。
そのTさんが、ボクにこういうのです。
「しばちゃんよー。明日、ちょっとだけ用事があって、これないんだけど、もう一人でやれるよな」って。
とたんに冷や汗がびっしょりです。
ありえません。だって、まだ研修中の身だし、頭に全部入っていないし・・・・・
ボクはあわてて「明日って、これと、あれと、あのレクチャーがあって、あの実習が・・・あー無理ですよ、そんなぁ」と当然のごとく、断りました。
でもTさんは、どうしてもこれないんだよ、というばかり。
覚悟を決めたボクは、「わかりました、ナントカやってみます」と震えながら承諾したのです。
「ところで、Tさん、いつ帰ってくるんですか?」
「うん、帰ってはこないよ」
「・・・・・・」
「後はしばちゃんに任せたから・・・」
もうボクは完全にパニックでした。
つまり、残りに二日間を全部、僕に任せたというのです。
考えられませんよね。
まだプロとしての、「ボク」が確立されていないのですから。
今考えると、パニックになっていた自分の中に、いろいろな言い訳が登場していました。
「だって、まだ準備ができていないもん」
「だって、20人の人たちはTさんのワークショップを受けにきたんだから」
「お金をもっらているのに、ボクなんかのセッションじゃ、文句をいわれる」
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
気づくと、セミナー会場の隅にある小さな給湯室の床にしゃがみこんで、頭を抱えていました。
「うーーーっ、できっこないーーーーーっ!」とうなりながらね。
そして、ボクにとっては、それがデビューとなったのです。
心臓が縮まる想いでした。
休憩に入るたびに、こっちは休憩どころではなくてにわか作りの原稿を手に、頭の中に必死に叩き込んでいました。
そういえば、学生時代の試験前のように。
あのときの20人の視線、怖かったなぁ。
もちろん、その人たちが怖い人たちだったわけではありません。
参加者の目の前に立っていながら、参加者は目に入らない。「参加者に寄り添う」なんてまったくしていませんでした。なんせボクは頭の中の「原稿」とずっと一緒でしたからね。
やることはやりましたが、中身はきっと、お粗末だったに違いありません。
でも、そんな苦い思い出と共にボクの心に残っていることは、「自分は、土壇場に立っても何とかできる人間なんだ」という、開き直りとも思える、自分勝手な信頼。
そもそも、T先輩は、ボクを信頼してくれていたんですよね。そうでなければ、任せっこありませんし。
かなりの荒療治でしたが、ボクにはいい結果をもたらしてくれた経験です。
どんなことにでも、「初めて」がありますよね。
そしてその「初めて」は、経験も不十分だし、上手にもできない。反省点ばかりで、身体中をミミズが這うように後悔が押し寄せてくることが多いのです。
それに比べてみても、今のファシリの仲間たちは・・・・ほんとにレベルが高い。
アートセラピーが大好きで、ナントカ、人を楽しませたくて、ナントカ、人の役に立ちたいっていう思いが、あふれ出しています。
最近はまっている「いしいしんじ」
今回は『トリツカレ男』というまたまたおかしな作品を読みました。
『トリツカレ男』いしいしんじ
ジョゼッペという、何かにトリツカレたようにはまり込んでしまう男の話。
オペラが気に入ると、いつまでも、何もかもオペラ調で話し始める。つまりずっと歌いながら生きていくんです。働いているレストランでも、「ごちゅう~もんは~なんです~か~♪」みたいに。
彼は、それをある日突然止めてしまいます。止めるというよりも、新しい何かにトリツカレてしまうのです。
たとえば「三段跳び」
毎日毎日出かけるときも、働いているときも、三段跳び(ホップ・ステップ・ジャンプ)なんです。しまいには大記録が生まれ、ついには全国大会に・・・というときになると、今度は昆虫採集にトリツカレて大会出場をドタキャンしてしまう・・・
こんな調子で、いろんなことにトリツカレながら、ついには、一人の女性にトリツカレてしまうのです。
このことから物語りは急展開していくのですが、興味のある方は文庫本も出ていますから是非に読んでみてください。
何かにトリツカレてしまうこと。
ボクたちは、オウム事件以来、何かに夢中になることを極端に恐れている傾向があります。
「それって、宗教じゃないの?」
アートセラピーを学んでいる僕たちに投げかけられる、不思議な質問です。
「宗教じゃないの?」イコール「洗脳されているんじゃないの?」「だまされているんじゃないの」「誰かが犠牲になっているんじゃないの?」のように聞こえてくるのです。
でも、「ダイスキなことを、思いっきりできる人生」があったとしたら、素敵だとは思いませんか?
トリツカレるほどに、何かに見も心もささげてしまう人生って、ボクには素敵に移ります。
トリツカレて、しまうことを恐れているってことは、それだけ幸せ感がうすくなっているってことなのかもしれませんね。
「自分と、人の人生に確かなプラスの違いを作り出していきたい!」
これが、ボクが、この道を始めたきっかけでした。
「トリツカレて」ますよね。
結果として、ボク自身の人生がプラスに転じてきたことを強く実感しています。
辛いことも、逃げ出さずに受け取ることができるようになりました。
そういうことが、「豊かな人生」なんだということにも気づいたんです。
だから、たくさんの反省をしているファシリの皆さん!
大好きなことを、トリツカレたようにのめりこんでください。不安を感じる人もいるかもしれませんが、そのすべてが豊かな人生への入り口なんですよ・・・・
ジョゼッペは純粋にトリツカレて、そしてとっても豊かな人生を送っているように見えるのです。
といっても落ち込むときは落ち込みますからね。
好きなことに全力を注げる人生を選んでいきましょうね。
それにしても、二日間のコラージュのワークは盛り上がっていたし、砂絵のワークはホントにきれいだったし、あの「フライパン」もとってもユニークでしたよ。
あの小芝居入りの、お笑い検定1級の先生のワークも。
僕も一緒になって楽しく学びました。
さて、明日から2日間、研修に行ってきます。
報告をお楽しみに。
悪いことじゃなかったんだ。
また嬉しくなってきちゃいました。