二つの国が(チベットは自治区ですが)どこにあるのかもよくわからないまま、ボクは生きてきました。
直接かかわりもないし、ボクにとっては所詮「海の向こう」のこと・・・でした。
北京オリンピック開催にあたって、チベットの人々と中国政府が争っても、いったい何が起きているのかその原因すら知ろうとしていませんでした。
先日の『響・鼓動』に、来ていただく予定だったK.Cさん。
日本滞在中にしなくてはならないことが山積みで、今回は残念ながら参加できませんでした。
その代わり、グロースから帰ってきた翌日の月曜日にお会いして、いろいろとお話をさせてもらいました。
彼女は、ネパール在住ですが、チベットから毎年3000人余り亡命してくるチベットの人々に、何とか教育を施したいと、この秋から学校を開校します。
チベット亡命政府は、ご存知のようにインドのダラムサラにあります。
チベット族の亡命はヒマラヤを越え、いったんネパールに入り、ネパールにあるチベット亡命政府からパスポートを貰うということを知りました。
「亡命してくるのは、子どもが多いんですよ。」と、K.Cさん。
子どもたちの未来のために、と親たちは、子どもを積極的に亡命させるらしいのです。
時には子どもたちだけで、7000~8000メートル級の山脈を越えてくるというのです。
おまけに、ネパールの保護施設にたどり着く前に発見されたチベット族はその場で射殺されたり、中国に強制送還されたりしてしまうのだそうです。
なんとか生き延びたとしても、そのまま教育も技術もないままダラムサラにたどりついても、仕事にはありつけません。
結局、最下層の苦しい現実に直面しなければならないのです。
K.Cさんは、そんな彼らのために、ネパール政府の認可をとって、今年の秋に学校を開校するのです。
さらに、6人ほどの孤児のための孤児院を、来年春に開設する予定です。
大きな夢と、力強い生き方をK.Cさんは見せてくれました。
「日本(日本だけではないけれども)は・・・無駄ばかりですね。」
彼女なりの表現ですが、確かに、ボクたちは「生きること」「死ぬこと」から、かなり離れた生活をしているような気がします。
今のボクは、進んで何もない生活をしたいとは正直思わないけれども、大事な何かを置き去りにしていることはよく分かっています。
「チベットにいらっしゃるとわかりますが、みんな本音が出始めるんですよ。怒り出したり、本当の自分を出したり…。2-3日すればまたもとのように収まるんですけどね。私は、チベットの高地で過ごすことで浄化が起きているように感じるんですけどね。必要なプロセスだと思います。ぜひいらしてください。」
ボタンを押せば何でもできる「便利さ」についても、彼女は、「人間でいる必要がないですよね」と、ただ一言。
本当にその通りですね。
便利さを追求し、人間らしくあることができなくなる。
人間がみな標準化し、ワタシらしさが消えていく。
先進国に生まれ、文明や科学が発展している世界で人生を送ることの意味は、いったい何なのでしょうか。
一つ言えることは、どんな世界でもそこに生きる人々がいて、そのかかわりの中で心を成長させていかなければならないということ。
ランチをとりながら、日本の子どもたちをネパールに連れて行き、現地の子どもたちと交流させてあげたい…という話で盛り上がりました。
ボク自身、ネパールの子どもたちに何かができるとは思っていませんが、少なくとも、日本の子どもたちの心の成長につながる大切なプロジェクトになるような気がします。
来年4月、現地に行ってみることにしました。
でも、一つだけ気がかりなことが…
軟弱なボクは、現地での滞在に耐えられるのだろうか…。
正直言って、不安とワクワクが交錯しています。
直接かかわりもないし、ボクにとっては所詮「海の向こう」のこと・・・でした。
北京オリンピック開催にあたって、チベットの人々と中国政府が争っても、いったい何が起きているのかその原因すら知ろうとしていませんでした。
先日の『響・鼓動』に、来ていただく予定だったK.Cさん。
日本滞在中にしなくてはならないことが山積みで、今回は残念ながら参加できませんでした。
その代わり、グロースから帰ってきた翌日の月曜日にお会いして、いろいろとお話をさせてもらいました。
彼女は、ネパール在住ですが、チベットから毎年3000人余り亡命してくるチベットの人々に、何とか教育を施したいと、この秋から学校を開校します。
チベット亡命政府は、ご存知のようにインドのダラムサラにあります。
チベット族の亡命はヒマラヤを越え、いったんネパールに入り、ネパールにあるチベット亡命政府からパスポートを貰うということを知りました。
「亡命してくるのは、子どもが多いんですよ。」と、K.Cさん。
子どもたちの未来のために、と親たちは、子どもを積極的に亡命させるらしいのです。
時には子どもたちだけで、7000~8000メートル級の山脈を越えてくるというのです。
おまけに、ネパールの保護施設にたどり着く前に発見されたチベット族はその場で射殺されたり、中国に強制送還されたりしてしまうのだそうです。
なんとか生き延びたとしても、そのまま教育も技術もないままダラムサラにたどりついても、仕事にはありつけません。
結局、最下層の苦しい現実に直面しなければならないのです。
K.Cさんは、そんな彼らのために、ネパール政府の認可をとって、今年の秋に学校を開校するのです。
さらに、6人ほどの孤児のための孤児院を、来年春に開設する予定です。
大きな夢と、力強い生き方をK.Cさんは見せてくれました。
「日本(日本だけではないけれども)は・・・無駄ばかりですね。」
彼女なりの表現ですが、確かに、ボクたちは「生きること」「死ぬこと」から、かなり離れた生活をしているような気がします。
今のボクは、進んで何もない生活をしたいとは正直思わないけれども、大事な何かを置き去りにしていることはよく分かっています。
「チベットにいらっしゃるとわかりますが、みんな本音が出始めるんですよ。怒り出したり、本当の自分を出したり…。2-3日すればまたもとのように収まるんですけどね。私は、チベットの高地で過ごすことで浄化が起きているように感じるんですけどね。必要なプロセスだと思います。ぜひいらしてください。」
ボタンを押せば何でもできる「便利さ」についても、彼女は、「人間でいる必要がないですよね」と、ただ一言。
本当にその通りですね。
便利さを追求し、人間らしくあることができなくなる。
人間がみな標準化し、ワタシらしさが消えていく。
先進国に生まれ、文明や科学が発展している世界で人生を送ることの意味は、いったい何なのでしょうか。
一つ言えることは、どんな世界でもそこに生きる人々がいて、そのかかわりの中で心を成長させていかなければならないということ。
ランチをとりながら、日本の子どもたちをネパールに連れて行き、現地の子どもたちと交流させてあげたい…という話で盛り上がりました。
ボク自身、ネパールの子どもたちに何かができるとは思っていませんが、少なくとも、日本の子どもたちの心の成長につながる大切なプロジェクトになるような気がします。
来年4月、現地に行ってみることにしました。
でも、一つだけ気がかりなことが…
軟弱なボクは、現地での滞在に耐えられるのだろうか…。
正直言って、不安とワクワクが交錯しています。
私の友人にウィグル族の友人がいます。
彼女からも、いろんな話を聞きました。
宗教や、民族の話、たくさんしました。
彼女から、日本人の素敵なところをたくさん教えてもらいました。
それだけに、この文章には私も感じることがあります。
とくに、人間が標準化していく、この言葉を私も最近ずっと感じていて、この表現。この一言を、よくぞ、言ってくれた! と嬉しく思いました。
是非、子ども達の交流実現させてください。
ウィグル族の友人・・・・?
ちゃいは、いったいどんな人間関係を持っているんでしょう。
子どもたちとのかかわりを大切にしているちゃいが、このプロジェクトに共感してくれるのは、とてもうれしいです。
実現しますよ、必ず。
そして、日本の子どもたちに、自分に誇りを持って生きることを体験的に味わってほしいなと思っています。
これは、ボク自身にとっても大切なことなんですけどね。