『花鳥風月』雑記

素朴に質素に優しくいきたいね

8月15日

2009年08月16日 | 雑感


昭和の歴史で衝撃的な一日であったであろうが64年も経つと、その時の体験者も20%を割って
遠ざかる過去となって行く【昭和20年8月15日】。おぼろげだが暑かったその日の記憶はある。

昭和20年4月5日私の兄も、ソロモン諸島ブーゲンビルで日本国に命を捧げこの靖国に祀られている。
近くに出掛けた折には立ち寄り参拝するのだが、終戦記念の日には数年ぶりに出掛けた。



地下鉄口から出た途端、種々の団体からのビラ攻勢、スピーカーでのアジ演説・・・騒々しかった。

靖国通り側道は右翼系車両でいっぱいだった、所々に機動隊車輌やパトカーが駐車されていた。



大戦戦没者慰霊の日か? 国務大臣・国会議員の儀礼の日か?
右翼系組織のパフォーマンスの日か?大戦回顧・反戦主張の祭りの日か?・・・。 
名誉ある英霊達も眉をひそめているのではないだろうか。

靖国神社参道の、あの物々しい雰囲気、防護装備の機動隊員・・・何か変だ!
過去の大戦の反省と二度と戦争はやらないと言う誓いは静寂な靖国の杜を取り戻した時がいい。           



特攻隊員が出撃前に親に書いた手紙が社務所前掲示板に貼られている、今回は、、、

《陸軍中尉 藤井富一  奈良県生駒郡安堵村出身25歳 20年8月6日沖縄方面にて戦死》

『永い々々25年間心配ばかりお掛けして、一時として安心させる様な事の出来なかったことが何より
心残りであります。せめて一時でも安心させたかった。しかし、富一も一人前の男になりました。
今こそ最後の御安心させる秋(とき)が寸前に迫り喜び勇み居ります。
今更何も思い残す事はありません。ただ感謝、喜び勇んで敵撃滅の決戦の空に真一文字に征きます。
お母さん、祝って下さい。たとえ私の身体が帰って来なくても、心は必ずお母様の膝下に帰ってゆきます。あのうるはしい山に包まれた故郷の空へ帰ってゆきます、そして、皆様と一緒に日本を守りませう』
 お母様ヘ




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