『線は、僕を描く』砥上裕將 を読む。
私にはあまり縁のない、水墨画の世界だったけれど、
早朝から読み初めて、一気読み。
才能は、煙みたいなもの。
気づくと、ごく自然にそこにあって、呼吸しているもの。
ふだん当たり前にやっていることの中に、才能ってあるんですよ。
まじめというのは、悪くないけれど、
少なくとも自然じゃない。
それぞれに異なる個性を持った水墨画家が何人も描かれていて、
それぞれに魅力的。
共通するイメージはそれぞれが迷い悩むことがあるとしても、
その上で「凛としている」こと。
「描いてみせること = 教えること」
なのだとしたら。
音楽に置き換えてみたとしたら。
師匠の姿を観察し、
どうしていたかを思いだし、
練習して。
その中でも自分を見失わず、自分の心を忘れず。
それで、自分はどうするのか、
どう表現するのか。
どの世界でも、根本は一緒なのかも。
音楽に触れているなかで、
同レベルの仲間内であっても技術的に優れている人に対して
「かなわない」、と思うことはたくさんあって。
私にはあんなふうな華やかな演奏ができない、と思うこともあって。
でも、師匠が「全体を見る目に優れている」といってくれるのであれば。
そのことばを、自分自身がもっと信じてもいいのかもな、と思った。
水墨画の世界を、自分の身近なことに置き換えて、
つらつらと朝から考えていた今日は
幼馴染みでリコーダー仲間でもある友人の誕生日。
一緒にたくさんの季節を過ごしたなぁ。
彼女はずっと茶道と剣道を続けて、
いまでは教える側にいる、それはそれは凛とした人だ。
そんな日にこの本を手に取っているというタイミング。
指先から筆を伝って描かれる線に
僕が描かれているように。
きっと私たちの音にも、
私たちが描かれる。
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