だれかに話すとスッキリする。それは頭のなかを大掃除するような気持ちよさじゃないかって。
コトバミマンの泡
答えを出さない。答えを決めない。そうしているうちは、ずっと「可能性」が残る。
可能性の中に生きている限り、僕たちは物事を真剣に考えなくなるんだ。
「考えることは答えを出そうとすること」
答えを出そうとしないまま保留しているのは、何も考えないのと一緒なんだよ。
ボキャブラリーというのは「知っている」だけじゃ意味がなくって、「使える」ものじゃないといけないんだよ。
勉強でも、スポーツでも、習い事でも、なんでも一緒さ。
「できること」が増えれば、おもしろくなる。「できること」が少ないうちは、なかなか楽しめない。そして、書くことにおいては「表現力」を身につけることで「できること」が格段に増えていく。
「今の自分にできること」がひとつでもあるのなら、その悩みは「考えごと」の箱に入れる。もっと深く考える価値がある。
一方、「いまの自分にできること」がひとつもないのなら、その悩みは「心配ごと」の箱に入れてクローゼットにしまう。考えても仕方がない。自分にできることは、何にもないんだからね。
今でもあんまり、自分の悩みを誰かに話すことはしない。
しないんだけれど、書いているかもしれない。
逆に、イライラしたこと、ムッとしたこと、負の感情・・・みたいなものは言葉にしないようにしている。
言葉にしたらそこまでではなかったことも形になってしまうから。
そんなふうに使いかけながら、生きてるね。
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