わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく 芭蕉
侘輔 「わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく」。『野ざらし紀行』に「大和の国に行脚して、葛下(かつげ)の郡竹の内と云処は彼(かの)ちりが旧里なれば、日ごろとヾまりて足を休む」と書きてこの句を載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句だ。
呑助 「葛下(かつげ)」とは、どこですか。
侘助 奈良の葛城の下の郡のことじゃないかな。
呑助 千里とは、浅草の料亭「千里亭」の主人にして芭蕉の門人でしたね。
侘助 そう、大和の国出身、江戸に出て料亭を営むようになったようだ。「海苔汁の手際見せけり浅黄椀」という句は、芭蕉の千里への挨拶吟だった。
呑助 芭蕉の旅はいつも一人じゃないですね。『野ざらし紀行』も千里が同行していますよね。
侘助 そうだね。『おくのほそ道』の旅には曾良が同行しているね。
呑助 芭蕉の旅は吟行の旅だったんですかね。
侘助 芭蕉の旅は門人との俳諧の旅だったのかもしれないなぁー。
呑助 そうかもしれませんね。
侘助 当時、東海道の一人旅は安全だったのかもしれないけれども、脇道に入ると危険があったのかもしれない。だから二人旅だったのかな。
呑助 「わた弓」とは、何ですか。
侘助 綿の木から綿を摘み取り、その綿を弓を張った糸で弾くとゴミが取れ、真っ白く輝く綿の塊ができて来るんだ。木から摘み取った綿をはじき、綿の塊を作る道具をわた弓だ。その綿を弾く音が琵琶の音に似ている。
呑助 葛城の下郡竹の内を「竹のおく」と表現したんですね。
侘助 「竹のおく」というと、竹やぶの奥にある人里のようなものをイメージするよう芭蕉は詠んだのかもしれない。
呑助 俳句はどれだけイメージを膨らますことができるかというところが勝負なのかもしれませんね。
侘助 竹の内村ではどの家でも綿の木を栽培し、綿花を摘み取り、綿や木綿糸を作り、生活していた。そうした農民の生活を表現している。勤勉な農民の生活を表現した句が「わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく」だったのでは考えているんだ。
呑助 門人千里の故郷の村人の生活を詠んだということですか。
侘助 江戸時代は身分制社会だからね。農民や町人は公家や武士から同等の人間としては認められていなかった。そうした下層民の生活を詠んだのが俳諧だからね。わた弓で綿を弾き、綿を作る。その静かな農民の生活の中に芭蕉は美を発見した。
呑助 それが俳諧なんだとワビちゃんは言いたいということなんですか。
侘助 「わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく」。この句には静かさがあるでしょ。この静かさが文学になっているのではと、考えているんだけど。
呑助 文学とは、何ですか。
侘助 真実の発見だと考えているんだ。公家や武士たちは農民の生活の中に静かさのようなものがあるはずがないと考えられていた。がそうではなく、農民の生活の中にも心静かに生活を楽しむものがあると芭蕉は発見したんだ。その発見したものを十七文字で表現した。芭蕉は農民や町人の生活の中に生きる人間の真実を発見した。