秋風や薮も畠も不破の関 芭蕉
侘輔 「秋風や薮も畠も不破の関」。「不破」とのみ前詞を付け、この句を『まざらし紀行』に載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 この句は、同じような和歌を下敷きにした句でしたね。
侘助 そうそう、藤原良経の歌「人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただ秋の風」『新古今和歌集』。この歌をふまえて詠んだ芭蕉の句だよ。
呑助 芭蕉の句は藤原良経が詠んだ歌の世界の本質のようなものを的確に表現しているように感じますね。
侘助 「秋風」という言葉の世界が芭蕉の句によって大きくなっているようにも感じるよね。
呑助 芭蕉の俳諧理念に「不易流行」がありますよね。「流行」というものが表現されているように思いますね。
侘助 人の賑わった「不破の関」も今や廃屋となり閑散とし藪にも畑にも秋風が吹いているだけだということだよね。まさに「流行」ということだよね。
呑助 人間関係にあっても秋風が吹くなんて言うように言えるようになっていくのに芭蕉の句は貢献したんですかね。
侘助 「秋風」という言葉が表現する世界が広がったということだよね。
呑助 そういう事なんでしようね。
侘助 発見のある句というのは、「秋風や薮も畠も不破の関」のような句を言うんじゃないのかなと、考えているんだけど。
呑助 「秋風」には、寂びれていくというような意味があるということなんですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。
呑助 芭蕉さんにはこの句の他にどんな「秋風」を詠んだ句があるんですかね。
侘助 芭蕉の若い頃の句に「秋風の遣戸(やりど)の口やとがり声」なんていう句があるんだ。
呑助 「遣戸」とはなんですかね。
侘助 「雨戸」のようなものを言ったんじゃないのかな。
呑助 雨戸を開けたのか、閉めたのか、分からないがその当たりでとんがった声で言い合いをしているということですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。江戸時代の長屋のようなところの住んでいた庶民の間に吹く秋風を芭蕉は表現したんじゃないのかな。
呑助 人間関係に秋風が吹くということですか。
侘助 そうした庶民の生活実態のようなものを詠んだところに芭蕉の句の新しさがあったと思うんだけどね。
呑助 ちょっと上品さに欠けるような句ですかね。
侘助 「秋風の吹けども青し栗の毬」なんていう「秋風」を詠んだ句があるんだ。私の好きな句の一つなんだけれどね。
呑助 錦秋をつくりだす秋風に反していますね。
侘助 そうなんだよね。青い栗の毬が栗の錦秋なんだという認識を表現したんじゃないかと考えているんだけどね。
呑助 「秋風」がつくりだす錦秋は紅葉だけじゃないと芭蕉は言っているわけですか。
侘助 そうなんだ。ここにも芭蕉の発見があるように考えているんだけどね。
呑助 「秋風」の多面性を表現してみせたのが芭蕉だったということですか。
侘助 今の俳人もまた、秋風を詠むと秋風に新しい意味が付与されるんじゃないかと思っているんだけどね。