冬知らぬ宿や籾摺る音霰(おとあられ) 芭蕉
侘輔 「冬知らぬ宿や籾摺る音霰(おとあられ)」。『野ざらし紀行』中の俳文『夏炉一路』がある。「大和國長尾の里と云処ハ、さすがに都遠きにあらず、山里ながら山里に似ず。あるじ心有さまにて、老いたる母のおハしけるを、其家のかたへにしつらひ、庭前に木草(きぐさ)のおかしげなるを植置て、岩尾めづらかにすゑなし、手づから枝をたハめ石を撫(なで)ては、「此山蓬莱の嶋ともなりね、生薬(いくぐすり)とりてんよ」と老母につかへ、慰めなんどせし実有(まことあり)けり。「家貧して孝をあらハす」とこそこそ聞なれ、貧しからずして功を尽す。古人も難(かたき)事になんいゝける。」と書きてこの句を載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句だ。
呑助 「大和國長尾の里」というのは、大和葛城の竹の内村の隣村なんですかね。
侘助 そのようだよ。
呑助 「岩尾めづらかにすゑなし」とは、どういうことなんでしょうね。
侘助 不老長寿の島、蓬莱山信仰が古くは中国にあった。中国山東半島に蜃気楼が立つ場所があった。そこに仙人の住む理想郷があるという信仰が蓬莱山信仰だ。不老長寿の理想郷を意味しているのが「岩尾」じゃないのかな。この理想郷、岩尾は珍しいことに永遠だと言うことを言っているのかなと考えているんだけど。そんな岩尾を庭の一隅に造って蓬莱の島を模した。そこで長生きの薬草を作っている。
呑助 今でも貧しい生活をしている家族の方が少しましな生活をしている家族より親孝行だったりするってことありますね。
侘助 子どもの心を一番大事にして子育てをした家族では親孝行があるんじゃないのかな。
呑助 貧しい農家では冬だといっても籾摺る音がしているということを芭蕉は詠んでいるんですね。
侘助 そうだよ。当時の農家はどの家でもそうだったんじゃないのかな。秋に収穫し、籾摺りしたものは税として武士に収め、くず米を冬籾摺りし、自分たちで食べたのかもしれない。税として取られないよう隠していた籾を冬摺っていたのかもしれないなぁー。
呑助 そうした老母には厳しい社会を生き抜いていく知恵を心得ていたんじゃないですかね。
侘助 老人は確かに厳しい社会をどのように凌いで生きていくかの知恵を持っていたから若い者たちから尊敬もされたのかもしれないな。
呑助 今の時代とは大きな違いですよ。年寄りは若者にいろいろ教わる時代ですから。パソコン、ライン、スマホの使い方など、何一つ老人は時代についていけないんですからね。
侘助 今は社会の変化が激しいからね。老人はなかなか追いついていけないよね。
呑助 我々も若かった頃は時代の先端を行っているつもりだったですがね。
侘助 もう十年も前のことになるがね、田舎の町が隣の大きな市に合併されると大きな市では仕事がすべてパソコン化されていて、五十代の職員が仕事についていけないと辞めたという話を聞いたことがあるよ。
呑助 年上の者が年下の者に仕事を教わる。辛いことですよ。