海暮れて鴨のこゑほのかに白し 芭蕉
侘輔 「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」。『野ざらし紀行』、熱田で詠まれた句として載せてある句である。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 この句は、五五七の句なんですかね。
侘助 破調の句だよね。だから「鴨のこゑ」に味わいがあるのじゃないのかな。
呑助 「鴨のこゑ」がほのかに白いとは、どういうことなんですかね。
侘助 「こゑ」を色で表現した成功例として知られる句のようなんだ。
呑助 鴨の声が白く見えるはずがありませんよね。
侘助 だから鴨の声を夕暮れて鴨の泣き声を聞いた時の芭蕉の印象が白かったと、いうことなんじゃないの。
呑助 芭蕉の心の中で鴨の声を白く感じたということなんですか。
侘助 そうなんじゃないの。
呑助 白という色が表現することは、何なんですかね。
侘助 心が真っ白になった。こんなことを言う人がいるでしょ。何かについての思いがなくなった。こんなことを言う場合に使うでしょ。だから夕暮れて暗くなった海の上で聞く鴨の声ってこんな声で鳴くんだというかすかな思いを持ったということを「ほのかに白し」と表現したんじゃないのかな。
呑助 新しい鴨の鳴き声を芭蕉は発見したということですか。
侘助 芭蕉は心象風景を表現しているが蕪村の世界は実際の風景のようだ。例えば「更衣(ころもがへ)野路の人はつかに白し」という句があるでしょ。この句を朔太郎は次のように評釈している。「春着を脱いで夏の薄物にかえる更衣(ころもがへ)の頃は、新綠初夏の候であつて、ロマンチツクな旅情をそそる季節である。さうした初夏の野道に、遠く點々とした行路の人の姿を見るのは、とりわけ心の旅愁を呼びおこして、何かの縹渺たるあこがれを感じさせる。「眺望」といふこの句の題が、またよくさうした情愁を表象して居り、如何にも詩情に富んだ俳句である。こかうした詩境は、西洋の詩や近代の詩には普通であるが、昔の日本の詩歌には珍しく、特に江戸時代の文學には全くなかつたところである。前出の「愁ひつつ丘に登れば花茨」や、春の句の「陽炎や名も知らぬ蟲の白き飛ぶ」などと共に、西歐詩の香氣を強く持つた蕪村獨特の句の一つである。」とね。
呑助 詩人の評釈は、評釈がすでに詩そのもののような印象を受けますね。
侘助 芭蕉の句がイメージする白と蕪村の句がイメージする白は全然違う。
呑助 芭蕉の白は、「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」の句が表現しているように厳しい寒さを思わせますが、蕪村の句には新緑のロマンチックな情緒のようなものでしょうかね。
侘助 「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」。この句は厳しい冬の海に生きる鴨が表現されているように思うよね。
呑助 芭蕉の生きた社会は厳しい社会だったんですかね。
侘助 五代将軍、綱吉の時代に芭蕉は生きたんだから、「お犬様」の時代だよ。江戸時代に生きた農民や町人の生活はそれはそれは厳しいものだったんじゃないのかな。その厳しさを芭蕉は表現した。