明ぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉
侘輔 「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」。「草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱のかたに出て」と『野ざらし紀行』に書き、この句を載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 「濱」とは、どこの浜での嘱目吟なんですか。
侘助 大垣の木因邸で「しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮」と句を詠んだ後、木因は芭蕉を送って桑名から熱田まで同行したみたいだ。その途中、桑名の東郊にある浜の地蔵堂付近で詠んだのではないかと言われている。
呑助 桑名といえば、「その手は桑名の焼き蛤」なんていう言葉があるくらいだから、当時桑名と言えば、浜辺の街だったんでしようかね。
侘助 そうなんじゃないの。白魚は汽水域に生息する小魚のようだから、揖斐川が海に流れ出す汽水域で芭蕉はこの句を詠んだのではないかと思うよ。
呑助 この句の季題はいつですか。冬ですか。それとも早春ですか。歳時記を見ると「白魚」は春になっていますね。
侘助 安東次男は『芭蕉百五十句』の中にこの句を選んでいる。安東はこの句を芭蕉の冬の名句だと言っている。
呑助 へぇー、そうなんですか。
侘助 松浦寿輝氏も『芭蕉百句』の中でこの句は「寒気の空気感を表現している。しら魚こと一寸、冬の句と読む」と述べている。白魚は大きくなると10センチぐらいになるみたいだから、「一寸」じゃまだ冬かなということなのかもしれない。それとも「しら魚こと一寸」という言葉が冬をイメージするということなのかもしれない。
呑助 でも私は早春の薄暗さをこの句から感じますけどね。
侘助 この句の発案は、「雪薄し白魚しろきこと一寸」だった。この句を推敲し上五の「雪薄し」を「明ぼのや」に変えているから、芭蕉が実際に詠んだ時には雪が薄く濱を覆っていたのかもしれない。だから冬に芭蕉はこの句を詠んでいるのかもいれない。
呑助 だからでしょう。松浦氏がこの句には寒気の空気感があるといったのかもしれませんね。
侘助 曙の薄暗さの中に一寸ぐらいになった白魚が浜に打ち上げられぴちぴち跳ね上がっている姿を想像するんだけれど。
呑助 そうでしよう。私もそんな情景が瞼に浮びますよ。だから早春の浜辺なんですよ。
侘助 確かにこの寒さは早春の寒さかもしれないよね。
呑助 「しら魚白きこと」と詠んでいますが、この白さは透明感のある白さですよね。
侘助 曙の薄暗さの中で透明な白魚が白く見えたということに生命の躍動のようなものを芭蕉は表現したかったんじゃないのかな。
呑助 寒さの中に命の輝きを芭蕉は発見したんですよ。
侘助 白魚の白さとは命の輝きだよね。
呑助 命の輝きは早春の寒さの中にあるんですよ。
侘助 「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」という句を芭蕉は詠んでいる。この句の場合の「白し」も鴨の命の声が表現されているようにかんじるからね。芭蕉は白という色に命の輝きのようなものを発見したのかもしれない。