命二つの中に生たる櫻哉 芭蕉
句郎 「命二つの中に生たる櫻哉」。「水口(みなくち)にて二十年を経て、故人に逢ふ」と書き、『野ざらし紀行』に掲載。貞享二年、芭蕉42歳。
華女 水口とは、どこにあるの。
句郎 滋賀県甲賀市水口町、昔この町は東海道53次の宿駅だったようだ。この街道沿いに美冨久(みふく)酒造という美味しい酒を醸す酒蔵がある。
華女 句郎君はお酒のことになると一言あるのね。「故人」とは、具体的に誰だかわかっているの。
句郎 同郷の門人、伊賀上野の服部土芳と二十年ぶりに邂逅したようだ。
華女 それで分かったわ。芭蕉と土芳とは二十年前にも同じところで花見を一緒にしたのかしら。
句郎 それはどうかな。芭蕉と土芳とは、13才ほど年が離れている。芭蕉が故郷伊賀上野を出て江戸に出たのは29歳の時だったと言われているからね。その時、土芳は16歳だからね。その頃、芭蕉も土芳も水口の方に行って花見をしたとは考えられないからね。
華女 「命二つの中に」とは、何なのかしら。芭蕉と土芳、二人の中にという意味じゃないの。
句郎 問題は「生たる櫻哉」にあると思う。水口で芭蕉と土芳は再開し、花見をした。その嘱目吟なのか、それとも芭蕉の心象風景なのかというとだと思う。華女さんはどっちだと思う?
華女 そうね。私は場使用の心象風景を詠んだ句だと受け止めたわ。土芳とは、『三冊子』を書いた方よね。
句郎 そうだよね。芭蕉が故郷伊賀上野にいた頃、土芳は芭蕉から俳諧の手ほどきを受けたのではないかな。
華女 芭蕉は土芳の子供のころからの先生だったのね。
句郎 だから水口ではなく、伊賀上野の故郷で芭蕉と土芳は花見をした経験があったんじゃないのかな。
華女 琵琶湖畔の水口で芭蕉と土芳が花見をしたとき、芭蕉は故郷の伊賀上野で土芳と花見をしたことを思い出し、私が故郷伊賀上野を出てから二十年、二人とも無事に生き長らえたなぁーと感慨ぶかいものがあったのじゃないの。
句郎 華女さんのように解釈すると「命」とは、桜の命じゃなく、芭蕉と土芳の命ということになるね。
華女 そうなんじゃないの。そのように解釈しなくちゃ、俳句にならないように思うわ。
句郎 そうなのかな。芭蕉と土芳は琵琶湖畔の水口で花見をしたのは間違いのないことでしょ。大木の桜の花を見たんだ。20年以上を経ている桜の大木を見て、桜の木の生命力に感じ入ったんだよ。芭蕉はね。桜の木の生命力に元気付けられた芭蕉は言い放ったんだ。我々二人は生きている。我々が生きていることをこの桜が明らかにしているんだとね。
華女 私が言っていることと句郎君が言っていることは同じことよ。
句郎 そうなのかな。
華女 そうよ。
句郎 この句は芭蕉の名句の一つらしいよ。
華女 そうなの。句郎君の話を聞いて思ったわ。この桜は大木じゃないかということ。そうよね。大木の桜なのよね。だから句になったのよね。細い桜の木じゃ句にならないわ。