木の葉散る桜は軽し檜木笠 芭蕉
侘輔 「木の葉散る桜は軽し檜木笠」。「暮秋、桜の紅葉見んとて吉野の奥に分け入り侍るに、藁沓(わらぐつ)に足痛く、杖を立ててやすらふほどに」と前書きしてこの句を詠んでいる。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 「藁沓」とは、何ですかね。
侘助 「わらじ」のことじゃないかな。
呑助 「桜は軽し」とは、桜の枯葉が風に舞って落ちてきたということですか。
侘助 桜の枯葉が檜木笠に落ちてきたということなんじゃないですかね。
呑助 石のごつごつとした山道を草鞋で歩いたので足が痛くなったんでしようね。
侘助 杖に寄り掛かって休んでいると檜木笠の上に桜の枯葉が落ちてきた。それだけの句なんじゃないの。
呑助 俳句とは、そんなもんなんですね。
侘助 そんなもんなんですよ。俳句って、多分ね。でも吉野の山の中で杖をつき、休んで散り行く紅葉した桜の葉を眺めている男の姿が表現されているように感じるね。呑助 私にも分かりますよ。
侘助 言葉にリズム感があっていいんじゃないのかな。そう思わない。
呑助 そうですよね。自分でもこの程度の句なら、詠めそうな気がしますがね。実際詠んでみようとすると全然詠めませんね。いろいろなものに突っかかってすらすらといかないんですよ。淀みにかかる言葉かなと、そんな感じですね。
侘助 フランス文学者にして小説家の松浦寿輝氏が芭蕉百句の一つとして選んでいるから、この句を名句だと思う人は、かなりいるのかもしれないなぁー。そんな気がするよ。
呑助 嘱目吟として、軽いというのがいいんですか。
侘助 桜の紅葉した木の葉が笠の上に落ちたその刹那が詠まれているのが良いと書いていたような記憶があるよ。
呑助 そうなんだ。分かります。しかし自分が詠もうとすると言葉が渋滞してしまいそうです。
侘助 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という子規の句があるでしよう。この言葉は彼の母親が何気に話しているのを聞いてそのまま、是は句になると子規は思ったようだからね。
呑助 俳句って、考えて考えて詠むものではなく、普段使われている言葉をよく聞いているということなんですかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。私が子供の頃、よく隣近所のおばさんたちがお水取りが済むと寒さも和らぐというような話をよく聞いたのを覚えているんだ。だから句にならないかなと思っているんだがね。
呑助 「お水取り済むと和らぐ寒さ哉」。これで句になりませんか。
侘助 そうだよね。それで句になっていると自己満足できるといいのかな。
呑助 まずは自己満足ですよ。他人様に分かってもらうなんて難しいことですよ。
侘助 芭蕉もまた即興的に「木の葉散る」と上五が出てきた。散った紅葉した桜の葉は軽い。このことを「桜は軽し」という言葉に集約した。ここに芭蕉の手柄があるのかもしれない。
呑助 そうなんですよ。「桜は軽し」。この言葉が浮かばないんです。