醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  550号  白井一道

2017-10-24 12:57:38 | 日記

 わがきぬにふしみの桃の雫せよ  芭蕉


句郎 「わがきぬにふしみの桃の雫せよ」。『野ざらし紀行』に「伏見西岸寺任口(にんこう)上人に逢て」を前詞を書き、掲載されている。貞享二年、芭蕉42歳。
華女 着物に桃の雫が落ちたら、シミになるじゃない。私だったら嫌よ。
句郎 「桃の雫」は何かを象徴しているのじゃないのかな。
華女 何を意味しているのかしら。
侘助 伏見西岸寺任口(にんこう)上人様より有難いお言葉を頂きたいということなんじゃないのかな。
華女 「桃」とは、任口(にんこう)上人のことね。「雫」とは、任口(にんこう)上人のお言葉なのね。
句郎 芭蕉の任口(にんこう)上人への挨拶吟なんだと思う。
華女 今流に言えば、「ご指導ご鞭撻お願いします」と言うことなのかしらね。
句郎 将に、挨拶だよ。挨拶の手垢の付いた言葉でなく、京都伏見は桃の産地だったようだから、滴り落ちる桃の雫のように仏さまの有難いお言葉をいただけたら、幸せですという丁寧な挨拶なんじゃないのかな。ゃないのかな。
華女 俳句は挨拶そのものだったのね。
句郎 季節のもの、桃を詠んで挨拶に変える。これが俳諧の発句の在り方の一つだったんだろうね。
華女 季節性より、挨拶性を大事にしていたのね。
句郎 歌仙36句を読み継ぐにはまず発句には亭主に対する挨拶が始まりだったんじゃないのかな。
華女 「朝晩寒くなりましたね」。八百屋さんの店先でこんな挨拶を店の主とお客さんとの間で交わされた挨拶は俳句の影響なのかしら。
侘助 今じゃ、スーパーで買い物をする人が多いから、季節の言葉を使った挨拶することもなくなってきたけれどね。
華女 日本には四季があるというじゃない。だから季節の言葉を交わすことが挨拶になったのかも。
句郎 スーパーの普及は日本人から季節の言葉を失わせる働きがあるような気もするな。
華女 先日、聞いた話よ。惣菜店の奥さんが若い奥さんらしい方に「寒くなりましたね」と言ったら、「今日は寒くないですよ」と言われてしまったと笑っていましたよ。
句郎 年とともに人間関係の基本は挨拶だと思うようになったからね。
華女 若者には俳句を教えて「挨拶」の重要性を学ばせなくてはいけないわ。
句郎 そうだよね。朝、川沿いのウォーキングロードで見ず知らずの人に「おはようございます」と挨拶を交わすと気持ちいいからね。
華女 確かに、そうよ。私も高校生の頃、憧れの先生がいたのよ。だから私は元気よく、「先生お早うございます」と挨拶したことを覚えているわ。
句郎 共通する季節感というものが人と人とを結びつける役割を日本ではしているのかもしれないな。
華女 季節感を表現する言葉を発見する遊びが俳句だったのかしら。
句郎 まず、俳諧は遊びだったから、俳句には遊びの面白さがなくちゃ、人々は集まってこない。
華女 笑いね。
句郎 男の笑い、まずは下ネタが始まりだよね。談林の俳諧は下ネタから始まったみたいだからね。下品な笑いから始まった。