この海に草鞋(わらんじ)捨てん笠時雨 芭蕉
侘輔 「この海に草鞋(わらんじ)捨てん笠時雨」。「旅亭桐葉の主、心ざし浅からざりければ、しばらくとどまらせんとせしほどに」と前詞を書き、この句を載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 「この海」とは、どこの海ですか。
侘助 『野ざらし紀行』の旅は桑名から熱田の林桐葉宅に向かっているから熱田の海辺なんじゃないのかな。
呑助 当時は草鞋のことを「わらんじ」と言っていたんですかね。
侘助 草鞋のことを鎌倉時代には〈わらんず〉,室町時代に〈わらんじ〉,江戸時代になって〈わらじ〉と呼ばれるようになったらしい。しかし「江戸っ子のわらんじ履くらんがしさ」という川柳がある。「らんがしさ」とは騒々しさという意味のようだ。だから江戸時代にはまだ草鞋を「わらんじ」という言い回しは残っていたんじゃないのかな。
呑助 「笠時雨」とは何ですかね。
侘助 笠も草鞋と一緒に海に捨てた。その時、時雨が笠に当たっていたんじゃないのかな。その姿を見た芭蕉は笠時雨だと気づいたんじゃないかと考えているんだけど。
呑助 この句に何を感じられますか。
侘助 旅人にとってボロボロになった草鞋と笠は名残惜しいものなんじゃないのかな。だから思い切りがある。この思い切りを時雨に託した。
呑助 「思い切り」がされ表現されていると言うことですか。
侘助 芭蕉は、桐葉宅で歌仙を巻いている。この歌仙の発句が「この海に草鞋(わらんじ)捨てん笠時雨」だった。客人芭蕉は主人桐葉氏への挨拶吟だったんだ。しばらくの間、ご厄介になります。この気持ちを表現したのが「この海に草鞋(わらんじ)捨てん笠時雨」だった。どうしようかと思い惑っていましたが思いきりました。よろしくお願いします。
呑助 お世話になれるのか、どうか、心配していましたがお世話になろうと思い切ったということですか。
侘助 安住敦の句に「しぐるるや駅に西口東口」という句があるじゃない。雨が降ってきた。西口に出ようか、東口に出ようか、逡巡している気持ちが表現されているじゃない。逡巡している気持ちを思い切ったことを表現したのがこの句なのじゃないかな。
呑助 なるほどね。時雨という季語をこのように表現することもありなんですか。
侘助 芭蕉忌のことを時雨忌と言うくらいだから、芭蕉の句の本質を表現している句が「時雨」を詠んだ句にはあるんじゃないのかな。
呑助 旧暦の十月一二日に亡くなったというだけじゃなくということですか。
侘助 「旅人と我名よばれん初しぐれ」。漂泊の詩人を詠んでいるじゃない。「初時雨猿も小蓑を欲しげなり」。俳諧の古今集と言われている『猿蓑』という俳諧アンソロジーはこの句からとられたと言われているんでしょ。
呑助 芭蕉は時雨に日本の古典文学の伝統を見たということですか。
侘助 「神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬の始めなりける」詠み人知らず 後撰和歌集。この伝統を芭蕉は継承している。